養蜂家デビュー?

活動は通常どおり、週に何回か学校へ行ったり、同僚の仕事について行ったりしています。先週やったネイチャーゲームのひとつ、動物当てクイズ「私は誰でしょう」は意外と盛り上がり、みんな一斉に手を挙げて、叫んで熱中して参加してくれました。私もたのしかったです。こういう元気さはすごくいいです。人の話何にも聞いてない、落ち着かないとかいろいろあるはあるけど、たのしんでくれているのを見ると、準備してきてよかったなと思います。

f:id:reikomiyahara:20181030063425j:plain

ごみ拾い。

f:id:reikomiyahara:20181030063059j:plain 先週のお話。先週半ばに、同僚のマヌエル(2人目のカウンターパート、現在最終処分場の責任者として処分場へ常駐、今はたまに会う位で、友達というかんじ。)に「蜂蜜の収穫に招待するから、金曜日に休みを取ったらいいよ。」と言われ、金曜日に休みを取り、彼の畑へ連れて行ってもらいました。マヌエルは自分の畑を2つとその他にも、他の同僚が持っている広大な畑にもたまに出向いています。彼は、大学で農業専攻なのもあり、また、その後も農業経験も豊富なのか、農業大好きで知識も技術もたくさん持っています。市役所の知り合いが彼にアドバイスをあおぎにくることもあります。そして少し前から野菜と果物の栽培だけではなく、養蜂にも手を出しており、大事に大事に育てているようです。

 朝の待ち合わせには失敗し、家でゆっくり過ごそうかとも思いましたが、こういう風に相手の行動が読めず、待ち合わせができない、コミュニケージョンがなかなかうまくいかないことはよくあることです。他の同僚に相談したりしてたら、まぁなんとか無事に会うことに成功し、彼の畑へ。畑と言っても日本のような平らな畑が一般的な訳ではなく、ここではもちろん平らな畑もありますが、同様に山の斜面にいろいろ栽培している形で森のようになっているそれを畑とも呼びます。バナナとかフルーツとかアボカドとかの木そのものを植えているので、斜面でも十分(適している?)というかんじです。なので畑に行く道も山登りのようになりながら行くこともノーマルです。マヌエルは2つ彼自身の畑を持っていると書きましたが、1つは平らな畑、もう1つの今回招待してもらったほうは山の中にありました。とはいえ、街の中心からはバイクを飛ばして10分ほどの近さ。バイクから降りて、山を登っていくこと15分ほど、彼の土地であるという周辺に着いたらしい。奥に進んでいくと蜂の音がブンブンとだんだん大きくなって、その奥の奥に養蜂の箱が3つありました。

f:id:reikomiyahara:20181030062623j:plain

長袖を数枚、ズボンを2枚、長靴を履いて、他の同僚が貸してくれた専用のマスクを被り、箱へと近づきます。

f:id:reikomiyahara:20181030063644j:plain

f:id:reikomiyahara:20181030064109j:plain

葉を燃やして、この煙が蜂たちを落ち着かせ、追い払う役目を果たしてくれるらしい。実際マヌエルが煙をたくさん巻くと、たしかに気持ち蜂が来なくなったかんじがしました。

f:id:reikomiyahara:20181030062846j:plain

この板はスペイン語で「marco」(マルコ)と言うらしい。

f:id:reikomiyahara:20181030063905j:plain

無事1枚のマルコを収穫し、「これはお前が持って帰る分だぞ!」と渡してくれる。

もちろん板はあとでお返しします。

f:id:reikomiyahara:20181030064302j:plain

f:id:reikomiyahara:20181030064432j:plain

そして無事に収穫を終え、養蜂置き場から少し降りて、広がる木陰で休憩。雨が降っていたけど、すべて木が覆ってくれていたので、一切濡れず。

f:id:reikomiyahara:20181030064635j:plain

f:id:reikomiyahara:20181030062243j:plain

そしてお昼ごはんの時間もいいかんじに過ぎたので、帰路へ。家近くまで送ってもらい、帰還。蜂に刺されることなく終えることができよかったです。マヌエルにも感謝。

すこし余談ですが、彼の長女は中学生で、なんだか最近日本にすごい興味を持ち始めたらしく、私は彼女とメールを始めました。もちろん今はスペイン語でですが、聞くと「ひらがな、カタカナ、漢字」という3つの種類があるということなど、少し自分で調べている感がすごく伝わってきます。彼女にこの前一時帰国で持ってきたキティちゃんのキーホルダーをあげたら、すぐ学校のリュックに付けてくれている様子が写真で送られてきました。

話を戻し、ステイ先の家族もこの板状態のハチの巣から蜂蜜にするためには何がどう必要かはそこまで知らず、絞るのだろうけど、どこからどう始めたらいいかもわからず、結局インターネットで調べながら、見よう見まねで、やってみました。

濾せるように深い入れ物にガーゼをかけて、ハチの巣を少しずつ切って、ひとつひとつ絞りました。14時半くらいに始めて17時頃終了。1枚のマルコからこれだけ採取。

f:id:reikomiyahara:20181030061954j:plain

というか、これだけしか取れないのか…と思いました。もちろん遠心分離機とかの一般的なちゃんとした養蜂家が使っている機械を使えばもう少しはちゃんと採取できたかもしれないけど、とりあえず私がそのときにできる最大限の方法で採取したので良しとします。風味もしっかりあって、おいしい蜂蜜でした。

そしてこの週末は、エクアドル南部隊員でビルカバンバという街に遊びに行きました。すでに私は何度か会っているサモラの新隊員さんの南部へようこその会をロハから少し先に行ったところにある自然がきれいな場所でゆっくりしよう!という会を兼ねて。このビルカバンバには私はすでに2,3回来たことがあり、街自体は小さいのですぐ見終えてしますのですが、それでも何回来ても飽きない、ゆっくりできる良い場所です。

f:id:reikomiyahara:20181030223058j:plain

f:id:reikomiyahara:20181030065240j:plain

f:id:reikomiyahara:20181030222520j:plain

f:id:reikomiyahara:20181030065738j:plain

欧米からの移住者も多く、歩いていて「中国人」と言われず「どこから来たのかな?」と言われるのが新鮮なそんな街。なんでもこの街に前に日本人の支援で建てられた病院があります。オータニコーキチさんという人。街の人はみんな知っています。この方の名前がついた病院だったけど、どんな背景があってかはわかりませんが、前大統領の時代に病院名は変わってしまったとかなんとかかんとか。

おいしいパンもこの街では食べることができます。こういうパンはエクアドル人は作らないし、キトに行かないとこういうパンを売るパン屋さんはないので、久しぶりのおしゃれパンにみんな興奮。

f:id:reikomiyahara:20181030064849j:plainそしてもう一つ驚きの出来事が。今年の3月末にボリビアへ任国外旅行に行った際に、出会った協力隊のドミニカ共和国OBの方。そのときは南米を回っている途中とのことでしたが、最近エクアドル入りされていたようで、そしてなんとここビルカバンバで衝撃の再会。ここに少しの間滞在しているとのことでした。びっくりしました。なんかほんとにおもしろいです。日本にいても知り合えない人もいるのに、こうやって日本の反対側にいて圧倒的に少ない日本人母数の中、意図せずパッと出会える人もいるのは、偶然って不思議です。

f:id:reikomiyahara:20181030065528j:plain

川で水浴びする人たち。この水浴びという行為はここではほんとに楽しむ、リラックスする、そういう行為の一つとして大人もこどもも休日の楽しみ。シャンプーまでするのはどうかと思うけどね。

そしてこの街にも市役所の同僚が一人住んでおり、いつも家へ来い来いと言ってくれていたので、家の場所を教えてもらい、今回初めて訪ねてみました。奥さんと子どもたちにも挨拶ができました。この同僚はフランスで出稼ぎしていた期間があるらしいです。(任地ではスペイン、フランス、アメリカで働いていたという話はそこまで珍しくありません。こちらでこの同僚のように今は市役所で働く人でも、聞くと、工事現場や建設現場での仕事と聞きます。ちなみにステイ先の息子もアメリカ滞在中、家の床を作る仕事をしながら1ヵ月ほど滞在しています。)もちろん彼のように家庭を持って行く人は、10年とかそういう長さで行っているようです。

f:id:reikomiyahara:20181030233302j:plain

ビルカバンバはロハから南東にバスで1時間ほど行ったところですが、その間にマラカトスというもう一つの街が存在しています。これまではビルカバンバに行くのに通り過ぎたことしかなかったのですが、今回この街にも降りてみました。

f:id:reikomiyahara:20181030223454j:plain

f:id:reikomiyahara:20181030223248j:plain

教会に行って少しぶらっとして、その後の目的なマラカトスにあるらしい日本食屋。ここの主人と南部隊員のひとりのロハのシニア看護師隊員さんが知り合いということで行ってみることに。彼女が活動する病院に一度診察に来たというこのご主人はもちろんここマラカトス出身のエクアドル人ですが、20年の日本在住歴の持ち主。会話の日本語は習得済。やはり実際に日本に住んだことがあり、それも20年も。私達と話すときはテンポとかやわらかいかんじとかが近くて、それだけで話しているこちらもすごくラク。何かで読んだり目にしただけではなく、体感してもなお、日本という国を心からリスペクトしてくれている、そんな感じがしました。おもしろいな~と思いました。そういうのって自然と伝わるものなんだなと思いました。

f:id:reikomiyahara:20181030223632j:plain

その名も「SUKIYAKAI」。

f:id:reikomiyahara:20181030223830j:plain

f:id:reikomiyahara:20181030224014j:plain

日本仕込みのサービスも健在で、そして味も私達全員が「また来たい!」と満場一致の味。そして安い。また来ます。このおじさんにも会いにね。おじさんと写真を撮りそびれてしまったので、次回はおじさんと写真を撮ろう。

f:id:reikomiyahara:20181030224156j:plain

ごはんはエクアドルのパラパラごはん。

f:id:reikomiyahara:20181030224344j:plain

ということで、週末土日を利用してのお出かけ、とても充実していました。

 そうそう、この前あった少しうれしかったことは、となりの部署にいるカルロス。彼は一応副市長ですが、それを感じさせないゆるさと適当さと若さを持ち合わせています。彼にはいくつか日本語の挨拶を教えていたのですが、先日仕事(半分遊び?)でガラパゴス諸島に彼が行ったときに、日本人観光客がいたと。そこで、彼は私が教えた日本語で挨拶し、笑いを取った!みたいなことを言っていました。「おはようございます」「どうぞ良い一日を」と挨拶したらしいです。うん、よかったよかった。

引き続き、昼間は太陽がカンカンに照っています。今週末はエクアドルは大型連休。ハロウィンも少しイベント化され、ここでは「Noche de Brujas」(魔女の夜)と呼ばれているらしい。とはいえ、またエクアドル式にディスコで踊るイベントでしょうか。11月2日の南米版お盆「死者の日」と3日のクエンカという街の独立記念日、そして土日が重なって4日間です。お出かけしたらまたその様子ものちのち。

 そして来年3月のエクアドル全土の県知事・市長選も日ごとに熱を増しています。どうなるのかな~。たのしみです。

 

f:id:reikomiyahara:20181030063257j:plain

この子が着ているグレーのトレーナーは教育省所定の体操着。この体操着か制服でみんな学校に行きます。

灼熱の太陽

いま、南半球は夏ということで、エクアドルも夏、真夏といったかんじで、毎日灼熱の太陽が照っています。早いともう朝から夕方まで毎日太陽が照って暑い暑い。夜になると少し涼しくなるのは良いのですが、昼間の暑さはすごいです。やはりここは赤道の国、そして熱帯地域であることを思い知らされます。

f:id:reikomiyahara:20181025083555j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025083730j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025083900j:plain

小規模な何かのデモ運動だけど、それにしても暑そう。

そして最近の戦い。それは私の部屋で繰り広げられました。エクアドルのベッドも木製ですが、先日私のベッドの木枠に虫(小さい小さい虫、木に湧く虫らしい)がたかり、驚愕。少しでも早く…と気持ちが焦り、昼間特に急ぎの活動はなかったので、部署の人にお願いして1時間だけ抜けさせてもらい、家で駆除作業。シーツも枕カバーもすべてすべて洗濯して、ベッドの木枠は掃除機ですべて吸い、その日のうちに無事に完了。この掃除機も日本のようなお手軽掃除機ではなく、大きくて、リアルに「機械!」感満載の掃除機でしたが、それでもステイ先にあったのが奇跡的だと思いました。その日以降はとりあえず特に問題なしですが、でもまだ気を抜いていません。

 

今回はこの前一時帰国したときに見学に行った場所について。

まずは先輩隊員の配属先。キトにある学校。

f:id:reikomiyahara:20181025073207j:plain

キトの隊員連絡所から市内バスで50分ほど。

ここはアメリカのNGOが資本となり建てられ、運営されているところ。幼稚園から高校まであります。この施設は学費がすべて無料。

f:id:reikomiyahara:20181025073618j:plain
この地域はキトの中でも少し貧困地域にあるのか、また、親たちが放任だったり、お仕事も低所得のものだったり、家族構成が複雑だったりなどいろいろな諸事情を抱える子が多いらしい。でも、日本に比べたら家族構成が複雑なのはエクアドル全土で、私の任地でもふつうのことです。それでもみんな何も気にしないかんじの明るさには驚きます。この先輩隊員は幼児教育隊員として、この学校の中での幼稚園で活動中。来年の1月、あと3ヵ月ほどで帰国されてしまうのでさみしいですが、帰国前に見たかった活動先だったので、見学できてよかったです。

f:id:reikomiyahara:20181025074148j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025074406j:plain

家庭環境を心配してか、少量ずつとはいえ、朝食と昼食とおやつ2回の時間があるそう。先輩隊員曰く、土日の分ということなのか月曜はめちゃくちゃ食べてくれるけど、他は逆に食べさせるのが大変らしい。お腹空かないよね。

f:id:reikomiyahara:20181025073751j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025074836j:plain

お湯が出るシャワーも完備。すごい。それでもなかなかシャワーを浴びさせに来ない親も多いそうです。

f:id:reikomiyahara:20181025075116j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025075409j:plain

幼稚園から高校まであるだけあって、大きな施設でした。

そしてここからバスでさらに市内バスで中心部に戻り、私がエクアドルに到着してすぐの首都滞在中に同期隊員と見に行った旧市街へ。

f:id:reikomiyahara:20181025075640j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025075807j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025080227j:plain

街全体が世界遺産になっているキトのメイン観光地のひとつ。大統領府もあります。

f:id:reikomiyahara:20181025080723j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025081131j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025080536j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025081446j:plain


目的はこの旧市街の中にある教会。内装が黄金できれいと隊員から噂に聞いていたところです。

f:id:reikomiyahara:20181025082853j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025082000j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025083019j:plain

旧市街は観光地なだけあり、きれいですが、バスの停留所付近は人がたくさんで、盗難にも気を付けなければいけない場所。注意しながら、でもキトの土地勘がないので、停留所近くの薬局でおばさんに道を聞きながら、無事到着。

f:id:reikomiyahara:20181025082637j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025081633j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025082327j:plain

入り口からは少し金色が見えます。
入館料5ドルと高め設定でしたが、黄金内装も迫力大。撮影禁止だったので、残念。代わりにインターネットで検索した画像を引用します。

f:id:reikomiyahara:20181025083928p:plain

とってもきれいでした。そしてやはり改めて旧市街全体もきれい。

 

f:id:reikomiyahara:20181025083309j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025083428j:plain

そしてここからエコビアというエクアドルのキトの街を走るバスと路面電車が合体したような市民の足で移動し、お土産を買ったりして連絡所へ戻りました。ちなみにこのエコビアの中も観光客を中心に狙った盗難事件頻発の場所なので怯えながらも乗車。やはり普段乗り慣れていないとソワソワ。でも無事に何も盗られず帰還できよかった。

もうひとつ、活動見学に行った場所はオタバロという街の小学校。ここでは隊員OBの方が現在教員の一人として音楽のクラスを持って働かれています。前から音楽のクラスには関心があったので、見学したかったところ。エクアドルでは音楽のクラスは小学校でも義務付けされていないため、各学校の教育方針によります。オタバロは観光地で街としても潤っているかんじがするし、キトにも近いので私の任地に比べたら人々の生活は都市化されていたりもしそうですが、この先生が働かれている学校では校長先生の方針で音楽のクラスを実施しているようです。

f:id:reikomiyahara:20181025070532j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025070757j:plainリコーダーやピアニカ、歌のクラスを見学。おもしろかったです。

f:id:reikomiyahara:20181025071526j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025071746j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025071946j:plain

少し大きい子たちには、グループごとに歌わせて、それをお互いに論評し、点数をつけ合います。論評はかなり熱く論争していて、任地だけではないラテンの血をここでも感じました。

f:id:reikomiyahara:20181025072129j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025072253j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025072506j:plain

私の自己紹介のときにもいろんな質問をたくさんしてくれました。「日本でおばけ見たことある?」とかも。
 教室もかわいい。

f:id:reikomiyahara:20181025072726j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025072849j:plain

f:id:reikomiyahara:20181025071332j:plain

一時帰国の際に日本からエクアドル人に配るように持ってきたお菓子。ミルキーの飴とミルクキャラメル、お煎餅。エクアドル人に思ったよりもかなり好評でした。飴とキャラメルは甘いからウケるかなと思って、その通りでしたが、お煎餅も意外とみんなおいしいおいしいといって食べているのでよかった。特にエビ味が当たった人には味がわかりやすいらしく、さらに好評。部署の人には都度せがまれるので、他の部署の人用にも取って置くように調整するのがめんどさい、こういうところはほんとに図々しいというか、「くれくれ」口撃は敵いません。きっとエクアドルに来る前に日本人で図々しいなと思っていた人でも、きっとエクアドル人に比べたら謙虚だなと思うと思います。

¡¡Japón!!

f:id:reikomiyahara:20181018063715j:plain

先日、日本へ一時帰国しました。 行き、日本へ向かう機内の中。

改めて感じたのはやはり日本は遠い…ということ。エクアドルと日本は約14,600km。エクアドルからアメリカが5時間、アメリカから日本が13~15時間ということで、乗り継ぎも入れたら&自分の任地までを入れると1日以上。特に帰りはキトで休まず、空港内で任地近くのカタマヨまで行く国内便を6時間ほど待って、早朝便で帰り、ロハの市役所へ立ち寄るという用事もあったので、疲労はマックス。それでも無事に任地まで帰ってこれてよかったです。エクアドルに着いたときに、ロハで荷物運びを手伝ってくれた同期、ありがとう!ただ、逆にこれだけ遠い地球の裏側同士の国に飛行機で1日ほどかければ、行けるということにも驚きです。

そして約1年2か月ぶりの日本は思ったよりも暑かったけど、トイレットペーパーは流せるし、お風呂のシャワーは強い温水で、日本のお米はモチモチしておいしくて、生卵も生魚も食べられて最高でした。この期間に会ってくれた方々はありがとうございました。また今回お会いできなかった方々にはまた本帰国の際にゆっくりと。また今回の帰国の間に2つも友人の結婚式に出席することができ、よかったです。2人とも本当におめでとう。

そして事件といえば、成田空港でエクアドルに帰国する際、日本の出国審査を通り、中で少しゆっくりしていたとき、まさかのスマホが壊れました。出国審査前のお店がたくさんある空間だったらなんとか探して緊急で買っていたかもしれませんが、すでに出国審査済。しかもバッテリーがあったかくなってしまっていたりして、少しビビり航空会社のスタッフの方に相談したりと、バタバタでした。代替品をそこで探すという選択肢も時間もないまま、搭乗。けっこう焦った出来事でした。

 エクアドルの空港には夜到着。日本の10月の気候よりも2800メートルのキトの夜は寒かった~。

f:id:reikomiyahara:20181018064028j:plain

f:id:reikomiyahara:20181018063850j:plain

それでも今回エクアドルにまた降り立ったとき、着くまでは「また外国に来たな」という感じがするのかもと思っていましたが、どちらかというと「帰ってきた~」というかんじがすごくしました。こんな風には感じないと思っていたので、やはり1年以上住むとそうなるものなんでしょうか。キトの空港に降りて、エクアドル人の顔を見たら、なんか少しだけ懐かしくも感じ、日本よりは多人種とはいえ、これも1年以上エクアドル人を見続けているとこう感じるのかとも思い、少しおもしろかったです。

キトからカタマヨまでの国内便。早朝便は日の出の時間とかぶりるため、いつもとてもきれい。

f:id:reikomiyahara:20181018064206j:plain
f:id:reikomiyahara:20181018064344j:plain見えてきたカタマヨの街。ここからはすべて陸路移動になるためやっと一息。

f:id:reikomiyahara:20181018064507j:plain

f:id:reikomiyahara:20181018064641j:plain

f:id:reikomiyahara:20181018064854j:plain

ここの空港を出たときにやっと帰ってきた感がありましたが、カタマヨに住む同期が迎えてくれたのでうれしかったです。彼女とこの日の午後ロハで別れた時がなんだかすごく寂しかった。また日本人1人の環境に戻るんだなとここでやっと実感。

さて、先日一時帰国した際に、ある方から「エクアドルにある習慣などで、日本もそうだったらいいのになぁ…と思ったところはどんなところ?」と質問してもらったのですが、そのときに答えたことが、少し自分の中では不十分だったというか、もっと他にいろいろあるかも…と思い、改めて考えてみました。

ちなみに近隣に住む隊員の意見も少し参考にさせてもらっています。

 

まず、私がそのときに答えた内容は「意見をはっきり言う、意見交換が活発」という点。もちろんこれもひとつだと思います。こっちとしては怒ってるんじゃないか、とか怒らせるつもりで言っているんじゃないかということもはっきり言うので、そういう風にわかりやすく相手にどう思われるかなどを気にせず、自分の感情や意思を言葉で表現することはいいことだと思います。まぁ言われた相手も流してるだけという部分もあると思うので、それも含めて良い意味でほんとに気にしないということで、日本と比べると、収まってるんだと思います。

 

そして、もうひとつ思ったこと、これは一番に他の隊員も言っていましたが、家族とのつながりを大切にすること。きっとエクアドル人にとってはいつも家族でいることが当たり前なので、他の国に比べて自分たちが家族を大切にしている、とか、家族のつながりが深いなどとは思ってはいないかもしれませんが、確実に家族のつながりは深いです。みんなで一緒に生きている感が強いし、それが伝わってきます。もちろん子ども、兄弟が多く、家族が多いというのも自然とそうなる理由だとは思いますが、それでも一番は家族でいることが普通という点。金銭的な面でも外で働いている人が限られていたりするというような結果、一家族ほぼすべて同じお財布というような概念もあるのか、そのあたりは個人差や各家族の差はあっても、明らかに日本とは異なる習慣です。日本人がその部分を含めて良いと思うかは別ですが、家族みんなで過ごす時間が多いのはとても良いことで、すごいことだと思います。

 

あとは、人に話しかけるハードルが低いということ。道で困っていたら話しかけてくれる、何かお節介を焼くということは日本よりも多いですし、偶然隣になった人と話すということも普通。圧倒的に多いです。こうやって、何も余計なことを考えず、知らない人でも人との会話を楽しむというところは素敵だなぁと思います。こういうところには明るくていいですよね。

 最後。それは、個性が大切!という文化です。これも個性が大切ということを一人一人が意識して重んじている訳ではなく、おそらくただ自分は自分、他人は他人という考えがはっきりとしている人種なだけ、なのかもしれませんが、それはそれでわかりやすくて良いです。性差別や人種差別、いろいろな差別が日本で問題になっていることを考えると、あまり彼らに差別という観念はないように感じます。ここからは日本にはもちろん馴染まないし、世界標準で考えたらありえない!と言われてしまうことにもなり得ますが、ひとつの例として「人を呼ぶとき」。エクアドルではみんな平気で身体的特徴や外見、見た目からなるあだ名を使います。例えば、肌の色(黒色、白色、いわゆるヒスパニック系の肌の色など、ちなみにエクアドル人からは、私たち日本人は黄色人種の黄色ではなく、白色に分けられます、各民族の名称、髪の毛の色(自然の金髪の場合)、毛質(天然パーマの場合)、目の色(青色の目の場合)、目の形(細めの場合)、太っているか痩せているかなどです。着いてすぐの頃は、ほんとにこの習慣は慣れなくて、嫌いでした。なんでわざわざそんな風に呼ぶのか理解できなかったし、人のことを呼ぶには雑でお行儀悪いなとか思ってましたが、見ていると言われた方は一切気にしてなくて、嫌がっていない。それにちゃんと自分が呼ばれたことを認識しているので、彼らにとっては当たり前のことなんだと理解するようになりました。そしてその特徴をどう感じているかという以前にその特徴をその人の個性として認めているということが伝わってくるようにもなりました。個人個人が自分の特徴に自信を持っていたり、自分のアイデンティティとして捉えているということを感じたからかもしれません。また、呼称の語尾を変形させることで、丁寧な呼び方にしていたりもするので、彼らにとっては、大陸文化と混ざってきている分、周りにはいろいろな人、いろいろな民族の人がいて、あなたはこういう特徴を持っているんだね。と認めていることを表現しているだけで、だからどう…とかまでは決して深く考えていないということがわかるようになりました。これがわかる前は「感じ悪いな、イジワルだな」と思っていましたが、今はふつうになりました。

それはそれで細かいことを気にしていないんだなという点でいいなとも思いますが、だからといって他の国でも通用するかと言ったら少し違うのかな、少なくとも日本では受け入れられない習慣だとも思っています。今だに私は「チニータ!」(中国人のように目の細い顔の人ということを意味している呼び方)と呼ばれるのはあまり好きではありません。ちなみにエクアドル人同士でも、少し細めの目をしている人にはこう呼びます。私を日本人だと知っている人が言ってくることはさすがにないので、結局のところ通りすがりに知らない人からとか、そういうことが多いです。確認する前に違う国の人までを「中国人」という風に括っていることは失礼だよと思ったりもしたり、コソッと言われると陰口みたいで「感じワル~。」と感じたりもします。同期が私の任地に来て学校で子どもたちとアクティビティをしたとき、日本人だと言っても私たちのことを「チニータ(相手が女性のとき)、チニート(相手が男性のとき)」と何回か呼んでいた子が教室の後ろにいたらしく、同期がムッとして、「私たちは日本という国の人で、中国人ではないんだよ。私が君たちのことをペルー人と呼んだらどう感じる?」と言ったら、明らかに嫌な顔をした子がいたとのことでした。もちろんこの子が嫌な顔をしたのはこの同期が自分たちを他の国の人として呼んだということだけではなく、わざとペルー人と呼んだという風に認識したことにも関係しているのかなと思います。それはペルーとの国境に近い私が住むエクアドル南部では昔、ペルーに領土を盗られたという考えがかなり浸透しているようで、学校でもそう教えていたり、大人がそう言っていたりする背景があるからです。実際この同期が住むエクアドル北部ではこんなことは今までなかったと言っていました。でもそんなこと言ったら日本と中国だって、同様に色々な歴史がある訳でそれにより私たち日本人が人によっては中国人と間違えられることを嫌う人も多いのかなとも思います。なので、結局のところこういう風にいろいろな混乱を招きかねない習慣でもある訳で、やはり国際的には難しい習慣だと思います。個性重視の良さがあるとはいえ、実際私も使い出すと相手を特定するのに役立ったりするので、きっと彼らにとっては生まれた時から普通にある過ごしやすい習慣だと思うのですが、これはあくまでも基本的なエクアドル人の性格を見て、エクアドル人同士でのみ馴染む習慣かもしれないということをここでは言っておく必要があります。そして、相手が人によってはどう感じるか、とか、国際的な歴史をそれぞれ考えると外国人には適さない習慣であることを少しでも理解できるエクアドル人が増えて、子どもたちにもそれが伝わっていけばいいなぁと考えたりもします。まぁもしそうだった場合、すでにエクアドル社会はそうなっているかもしれないので、これはもう変わらない、変わりようのない習慣かもしれません。少し話が飛んで、最終的には否定的な書き方もしたところはありますが、一人一人が個性!という点ではとっても自由で、そしてどう言われても気にしない、私は私で何が悪いの!というこの性格こそがミソだと思います。

次回は今回のこの一時帰国でキトに上がった際に、行ったところや活動見学をしたお話について書きます。では~。

 

El día de la bandera

先週、9月26日、エクアドルではEl día de la banderaというお祝いでした。díaは「日」、 banderaは「旗、国旗」という意味。ということで、「国旗の日」。

 

これは本当にすてきな行事でした。

f:id:reikomiyahara:20181002111502j:plain市役所のとなりにある公園広場に近くの学校の生徒たちが何クラスか集まり(おそらくこれはランダムに「何年生は参加して!」みたいに言われて参加しているとは思われますが)、軍隊も来て、荘厳なかんじでした。国歌が流れ、国旗の説明のアナウンスや学生による演説も。

f:id:reikomiyahara:20181002110530j:plain

f:id:reikomiyahara:20181002104608j:plain

f:id:reikomiyahara:20181002110944j:plain

改めて国旗の意味を知ることができる良い機会だし、自分の国に誇りを持つという心も育つ気がします。エクアドルに来て思ったのは、やっぱり自分の国はとても大切だということ。日本にいたときは感じなかったけど、便利とか発展しているとかそういうことだけじゃなく、もともと持っている日本人の性格や性質から培われた文化、習慣や社会、エクアドルで生活しているからこそ感じる日本や日本人のすばらしさも日々実感します。日本人としてのアイデンティティを改めて確認できます。

f:id:reikomiyahara:20181002111928j:plain

軍隊のえらい人のお話のあとで、となりにいた市役所の同僚は「Qué hermosa!!」(素敵、すばらしいわ!)みたいなことを言っていました。みんなちゃんと国に誇りを持っていて素敵です。

 

そして先週の金曜日は国が管轄する環境省(ministerio del ambiente)主催の街清掃イベントが行われました。それに市役所の参加者として私たちの部署も数人参加。

f:id:reikomiyahara:20181002113943j:plain

f:id:reikomiyahara:20181002114223j:plain

f:id:reikomiyahara:20181002112853j:plain

あとは国の公共事業部みたいなところで働いている人たちや、近くの高校生たち、もちろん環境省(サモラ市に拠点をおいて働く人)の人たちも数名参加していました。ふだん関わらない人と話すことができてこれはこれでおもしろかったです。

f:id:reikomiyahara:20181002115657j:plain

f:id:reikomiyahara:20181002120116j:plain


他の都市で活動する環境教育隊員のところでもこの日に同様に環境省主催の清掃イベントがあったらしく、環境省が各地方自治体に働きかけたイベントだと思われます。

f:id:reikomiyahara:20181002115023j:plain

f:id:reikomiyahara:20181002114542j:plain

街の中で、ゴミ捨て場になってしまっている川に近い草むらをお掃除。掃除する側になると「なんでこんなことするの?」と心底思いますが、ここはこういうイベントごとのときに定期的に清掃しているらしく(私が着任してからは初だけど)、それでもまた捨てられてしまうという場所。市役所でも「対策を・・・」と言いながらも、実際取り締まるのはなかなか難しそうです。

 ごみ収集車もこのイベントのために特別出勤。このごみ収集車も毎日修理して騙し騙し使っているもの。運転手さんがこの前「Creo que mañana el camión grande se va a morir...」(たぶん大きい方の収集車、明日にでも死んでしまうと思うよ…)と上司に伝えてそのままほんとに故障。その週には他の大きい街に緊急修理に出かけていってしまいました。片道約1日かけて運搬。でもこの絵柄はかわいくて良いデザインだと思います。

f:id:reikomiyahara:20181002120416j:plain

 

そして今回はまた日本にはないフルーツを紹介。姿かたちはどちらもとても似ていますが、一応別の名前を持つそれぞれ別のフルーツ。

1つ目。「maracuya」(マラクヤ)。

f:id:reikomiyahara:20181002121321j:plain

f:id:reikomiyahara:20181002121731j:plain

2つ目。「granarilla」(グラナリージャ)。

f:id:reikomiyahara:20181002120644j:plain

f:id:reikomiyahara:20181002121058j:plain

丸い容姿を半分に包丁で切って食べます。どちらもこの中の部分をスプーンですくってそのままでも食べることができ、黒っぽい種のような部分もシャリシャリと食べることができます。でもマラクヤはジュースにしたり、デザートのソースに使ったり、ジュースをビールに混ぜて飲んだり、とバリエーション豊かな使い方をします。

味はどちらも酸味があってジューシー。特にマラクヤの方が酸味があるので、ジュースにすることが多いかなと思われますが、私はどちらもそのまま食べるのが大好きです。ジュースも好きだけど。10個で1ドル、激安。ほんとにフルーツがたくさんあって、しかも安い。オリエンテ地域の魅力の1つです。

だからみんな少しお腹が空いたときとかはフルーツを食べる習慣があって、これはとても健康的で良い食習慣だと思います。

さてさて、今週末から日本にすこ~しだけ一時帰国の予定です。日本で英気を養って、またエクアドルに戻ってこようと思います。

 では~。

夏! サマー!!!

8月中旬頃で一応雨の季節(冬)は終わり、少しずつ晴れてきたかな…というかんじでしたが、それでもなんだか肌寒い日もあったりして、でも、9月中旬頃からここ2週間でやっと乾季っぽい天気が安定的に続くようになりました。f:id:reikomiyahara:20181001010139j:plain

 昼間はカンカン照りに晴れて暑い、朝晩は少し気温が下がりますが、肌寒いというほどではなく、気が付くと1日のどこかで雨が降ってすぐ晴れて…という私が任地に到着した頃の季節です。亜熱帯とはいえ、夏(とても暑い、8月~2月)と冬(雨が多く、肌寒くなる、3月~7月)の違いをしっかり感じるようになりました。

f:id:reikomiyahara:20181001005742j:plain

昼間は何もしていなくても汗ばみます。でも私はエクアドルの中でコスタとシエラとオリエンテだったら、任地があるオリエンテのこの気候が好きです。コスタは、じめっとする暑さ、シエラは高山でまた日差しのかんじが少し違ったり、気温の差が激しく、シエラの景色もきれいですが、私にはオリエンテの気候が過ごしやすいです。 

そして、先日、他の街に住むボランティアがなんと2人も私の任地にあそびに来てくれました。

1人は、首都のキトからさらに北部に少しだけ行ったところにあるコタカチという所で数学の先生をするボランティア。ちなみに同期隊員の1人なので語学訓練時代からの仲間です。でも彼は現職教員制度を利用しているので、同期とはいえ、日本の年度末の学校の暦に合わせ、来年の3月に先に帰国します。

もう1人は、エクアドルの沿岸部の暑い地域、マナビ県の県庁でこの地の特産物の販促広報のお手伝いをしているボランティア。彼は現職企業派遣型という制度を使って参加しており、某お菓子メーカーの営業さんです。派遣期間は1年間。私よりあとに到着したけど、彼も先に帰国します。ちなみに3児のお父さん。

ちょうど私が今も週一で授業を行う学校でのクラスの日とかぶったので、授業をお手伝いしてもらうことになり、2人とも私の任地に南下してくるのにかなりの大移動、疲弊しながらも翌日1日私の活動に付き合ってくれました。習字道具を持ってきてもらって、習字の紹介もして、みんなに書いてもらったりしました。

ひらがなとスペイン語発音の変換表。すごい!!

f:id:reikomiyahara:20181001013910j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001013412j:plain

一応環境のお話しも少し。

f:id:reikomiyahara:20181001000539j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001013755j:plain

今学期初めてのクラスだったから、子どもたちにとっては、見慣れない日本人男性もいて、習字を書いて、おもしろい導入になったかなと思います。

f:id:reikomiyahara:20181001013636j:plainステイ先でお昼ごはんを出してもらい、疲労がたまっていたかんじだったので少し休んでから、職場へ。同僚数人に紹介し、最終処分場を見てもらい、ターミナルへ送って解散。

私自身も今後の参考になる良い機会でした。遠い中、最南部まで来てくれてありがとう~!

 

最近のステイ先は、お父さんお母さんがアメリカ滞在中でしたが、昨日無事に帰還。不在中は家はとっても静かでしたが、家の車の部品店は通常営業で息子たちがいつもと変わらず働いていたので、彼らの分と私の分と、平日のお昼ごはんは長女のパティが忙しい中、作りに来てくれていました。彼女の次男、大学生のJuan Diegoもだいたいパティに付いてお手伝い要員になり、お手伝い。大学生だしお小遣いはもらっているかもしれませんが、それでもパティのご用命に「ハイ、ハイ」と素直に応じ、そしてこの9月から学校にあがった末っ子アドレアンのお迎えと、えらいなぁと思います。ここでは親、特に母親の言うことは絶対。お母さんが黒と言えば黒だし、白と言えば白です。

私がお昼に戻るとだいたい学校終わりの末っ子5歳のアドレアンはステイ先で遊んでいるので、お昼ごはんを食べながら彼の様子を見るのもパティがお昼ごはんのために来てくれていた間は日課になっていました。やっぱりこのアドレアンは見ていてとてもおもしろいです。色が大好き、いろんな色を言えるし、絵を描くことも好き、中でもこの前からは虹を描くことにハマっています。そして先日初テストがほぼ満点だったらしく、母パティのテンションMAX、私がおもしろいなと思ったのは、魚とアイスとコーラの絵が描いてあって、どれが一番私たちの体に栄養がありますか?という問題。その問いに彼はしっかり魚を選び、その魚の絵をきれいに色まで塗っていました。やるぅ~。

 

今期は、まずは2校継続的に通うことにしています。1校はこの前紹介したフィンランド人ボランティアのメルヴィが活動していた学校。ここはメルヴィの最後の授業について行ったときに、先生がこれからも来てほしいというかんじだったから、来れる範囲で来ることになりました。この学校がある地域は、任地を流れるサモラ川の向こう側。川を渡って行きます。

f:id:reikomiyahara:20181001023413j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001004953j:plain
市役所からは歩いて20分くらい。

f:id:reikomiyahara:20181001031328j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001031010j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001030146j:plain
ここの地域は週一で回収車が通るだけで分別もないし、それ以前にごみの落ちている量が多いなと感じます。ごみを燃やしているあとも道にたくさん。街の中心からそう遠くないのに、川に遮られていることが影響しているのか、少し発展が遅れているかなというかんじもするし、おそらく経済的にも少し格差を感じます。ということで、ここの子どもたちには直接的に環境教育の授業をするのはやめて、一緒に遊んだり、日本の話とか、遊びとかそういうことを中心にやっていくつもりです。そしてクラスの終わりにみんなでごみ拾いをするという方向性にしました。1回目のクラスはエクアドルでも大人気のドラゴンボールの話、2回目のクラスは折り紙をみんなで折って、色を塗ろうというお遊び、今回はピカチュウの折り方を紹介し、みんなで顔を書き、色塗り。そしてクラスの終わりにみんなで広場をごみ拾い。クラスも小規模だし、なんといっても先生が一緒に参加してくれるのが良いところです。

 

学校。

f:id:reikomiyahara:20181001023854j:plain

折り紙の様子。

f:id:reikomiyahara:20181001025346j:plain

この2人は他の小さな子の分までお手伝いしていました。

f:id:reikomiyahara:20181001025127j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001002653j:plain

ごみ拾い。

f:id:reikomiyahara:20181001024259j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001004645j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001024823j:plain

彼は一番暴れん坊ですが、小さい子の面倒見もいいかんじ。

もうひとつのこれまで行っていた学校は初回は上に書いたように、少し分別の復習と隊員仲間と習字の紹介&体験、2回目のクラスはごみカードを使って分別の練習を行ってみました。

f:id:reikomiyahara:20181001021751j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001021528j:plain

f:id:reikomiyahara:20181001021304j:plain

やっぱりただ説明するより、考えながら実際にできるこういうアクティビティのほうが楽しんでもらえる気がします。ここの校長先生がこの前私の子どもへの接し方がとても良いと思うと言ってくれました。それだけでうれしかったです。エクアドルでは基本先生は割と日本に比べて高圧的というか、権威がある分、強面になって、厳しい態度・行動で接します。注意の仕方もこどもがもっと聴ける言い方、良い成長を促す注意の仕方があると思うんだけど、文化的なものも含めてそういう言い方はあまりしません。「そこまで一方的に怒らなくても…、そういう言い方しなくても…」と思うことがたくさんありますが、この先生はエクアドルにはないソフトな日本人の子どもたちへの接し方を感じ取ってくれていました。ありがたや~。このあたりは教育分野の隊員からもっといろいろ話を聞いて活動に生かしたいです。

そして 現在は市の中心教育機関に巡回申請を出しているところでもあります。申請先の教育委員会的なところからもこれからはアクティビティを混ぜて外とかでやってほしいと言われましたが、どんなかんじになるかはわからないけど、申請が早く下りますように。

f:id:reikomiyahara:20181001000518j:plain

 

別れの季節?

9月はなんだか私にとってお別れする機会が多かった気がします。

ちなみにエクアドルでも日本のように「お別れ会」をする習慣があります。スペイン語では「Despedida」と言い、「デスペディーダ」と読みます。

まず1人目。「Mervi」(メルヴィ)という女性。前に一度ブログに少しだけ登場したことがありましたが、彼女はフィンランド人のボランティア。任地には私のような外国人ボランティアが他にも数人いて、彼女もその一人でした。この彼女を含めた私以外の外国人ボランティアはみんな同じ一つの機関から派遣されていて、「Humana」というNGO団体のボランティアだそうです。彼らは彼らのメニューで研修などを行い、それぞれ配置されているらしい。細かい彼らの派遣スケジュールとか、どういう形態になっているのかとかはよく分かりませんが、彼女は約6か月間、Yantzaza市に滞在していました。このNGOは私のようにボランティアを市役所の内部に派遣しているのではなく、あくまでNGO組織として独立して活動を行い、プロジェクトを持ち込んで、時には市役所の他の部署と協働しながら働いていました。彼女やこのNGOの存在を知ったのは私が任地に着いてから約10か月後。彼女も私同様、環境教育のボランティアでしたが、上にも書いたようにNGO自体が私が所属する部署とは一切関わらず、彼らが市役所と働くときは他の部署の1人の同僚だけを窓口にしていたようだったので、それまでは私は一切彼らの存在を知らずに、また、知る由もなく生活していました。

今年の5月に「世界リサイクルデー」があり、この日にある学校に行って「リサイクルに関する何らかのクラスをしてね」みたいな漠然とした依頼を受け、行ったことがありました。そしてそこではじめて彼女に会いました。それで知り合ってから、何回か街で見かけたり、2回ほど仕事後にごはんを食べたり。彼女自身6か月という期間だし、あまり環境教育関連の活動がたくさんあるという訳でもなく、でも彼女は英語が話せたので、いくつかのコミュニティで子どもたちに英語を教えたりもしていました。

前に9月くらいまでが活動期間だということを聞いていたので、そろそろかなと思い、連絡を取り、帰るまでに会うことができました。簡単にお疲れ様会のようなかんじで夜ごはんを軽く一緒に食べ、その翌日に彼女は最後のクラスを行うということだったので、ついて行かせてもらうことに。ビデオを映すためのプロジェクターがあればいいなと言っていたので、市役所で借りたものを提供したりして、私も少し参加させてもらうこともできました。

彼女の最後のクラス。

f:id:reikomiyahara:20180907064645j:plain

彼女も違う国の人だけど、それでも、ラテン文化に対して同じように衝撃を受けていたりとか、異国に住む外国人という点、活動の進め方の難しさとか、お互い拙いスペイン語ながらも話を聞いていて、共感するところがたくさんありました。ちなみに彼女は任地で自転車とスマホを盗まれています。私も気を付けなければいけません。彼女以外のNGOのメンバーでまだ残る人はいるらしいけど、彼女は9月7日で終わり。いつかどこかでまた会える気もします。ヤンササ生活おつかれさま。元気でね。

 2人目。それはエクアドル南部の会「ロハ会」のメンバーが2人、無事に2年の任期を終え、日本帰国を迎えます。ということで先週末先輩隊員2人のお別れ会をロハ会の聖地であるロハで行いました。2人ともロハ市内隊員でした。

私が着いたときから、いろいろ教えてもらって、本当にお世話になりました。

1人目は看護師の隊員さん。2人目は障がい者支援の隊員さん。ほんとにいつも頼ってばかりだったので、これから寂しくなりますが、私も2人のようにしっかり任期を全うできるように残りの期間、過ごしていかなければいけません。また日本で会えるでしょう。

手作りのおつかれさまミルクレープ。

f:id:reikomiyahara:20180915051950j:plain

協力隊は年に4隊次あります。それぞれ2年の任期で年に4回派遣の時期があるということは、年に4回帰国の時期もあります。だいたい3ヵ月おき。今回見送る2人の前の隊次の先輩たちはこの前の7月あたまに帰国されましたが、このときもロハ会から1人帰国され、あっという間に今回のお別れ会。2隊次続けて合計3人もロハ会からお見送りし、一気に人数が少なくなってしまった気もするけど、残りのメンバーで引き続き盛り上げていきつつ、予定されている新メンバーの到着も心待ちにします。

 

f:id:reikomiyahara:20180915051225j:plain

そして3人目。正確には1.7人分くらいと言った方がいいのかな。0.7人分は4歳の男の子と8歳の女の子。ステイ先の家族です。ステイ先の一番下の娘、ヒメナとその子どもたち。ヒメナの旦那さんは私が到着した頃にはすでに単身アメリカで働いていました。そして今回のタイミングでヒメナが2人の子どもたちを連れて、アメリカへ生活の拠点を移すことになりました。もちろん行ってからいろいろな手続きがあるようで、住めるかはまだ100%ではないとは言われましたが、おそらく住めるだろうという見解を家族のみんなも持っているようです。いろいろな背景があるとは思うけど、私がこのニュースを聞いたのは1週間ほど前、あまりオープンにしていなかったし、小さな街の任地ではすぐにいろいろ広まるし、前に市役所の同僚から私が突っ込まれたこともあったくらいなので、きっとギリギリまで黙っていたんだろうと思います。それか単にそもそもこういう大事なことは前広にはしない習慣なのかもしれません。なんとなくみんなの会話を聞いていたら、「もしかしたら…」と感じたこともあったので聞いたら教えてくれたとは思うけど、あまり突っ込んで聞くのも憚られたので、そのままにしていました。このブログを書いているのはエクアドル時間9月17日月曜日の朝ですが、2日前15日の夕方にみんな出発していきました。今回アメリカにはステイ先のお父さんお母さんも一緒に。もちろんお父さんとお母さんは帰ってきます。旅行と、これから始まる娘や孫たちの新生活の様子をきっと少し見ておきたいという所もあるのかなと感じます。出発2日前には平日でしたが、夜みんなでステイ先に集まって、簡単な夕食会。恒例になりましたが、私も日本好き青年のDavid(14歳の孫)と1曲贈りました。そして出発当日、長女と旦那さんが交代しながら空港があるグアヤキルまで約10時間ほど陸路の旅、そしてそこから5時間ほどの空路の旅へ向かうため、バタバタとお別れをしました。ここでは家族のつながりがとても深いし、いつもみんな一緒にいることが当たり前という習慣、環境です。みんな涙ながらにお別れ。今回一緒に旅立ったヒメナの子どもたち、8歳の女の子(エミリー)とはよく遊んだし、その弟、4歳の男の子(ヴァレンティーノ)も小さいながらにちゃんと私を認識し、名前も呼んでくれて、週末はよく一緒に遊びました。ヒメナとエミリーには千代紙で折った着物の小さな折り紙を渡すと、ヒメナは明るく「Para mucha suerte!」(幸運のお守り!)と言いながら受け取ってくれて、エミリーはとても喜びながら、でもすぐ後ろを向いて私に見えないように少し涙を流していました。2人の子どもたちは少し生意気でケンカしたこともありましたが、それでも懐いてくれて、私にとって良い遊び相手にもなってくれていました。

そして別れ際。現在ステイ先にはお母さんのママも住んでいます。ステイ先ではみんなにおばあちゃんと呼ばれていますが、2週間ほど前までは隣にあるお母さんのお兄さんのお家にずっと住んでいたのですが、いろいろ内輪の事情があるようで、最近こちらで過ごしていました。高齢で歩行器で家の中を歩くのがやっと、でも食事は自分で部屋から出てきて、お母さんが作ったごはんをリビングで食べています。最後にこのおばあちゃんとも旅立つみんなはご挨拶。ステイ先のお母さんお父さんは2週間経たないうちに帰ってきますが、ここはエクアドル。このおばあちゃんにとってはきっと海外に飛行機で行くなんてまだまだ想像がつかないのか、ほぼ一生のお別れのように涙を流して悲しんでいました。「私たちは帰ってくるから」とお母さんお父さんはおばあちゃんをなだめながらも、お母さんも少し泣いていました。やはり個人個人いろいろな思いがあるのだと思います。この様子を見ると、やはりまだ日本のように海外旅行だったり、海外に行くということが身近ではないのかなということを感じました。ましてやここは首都から一番遠い県。そりゃ、おばあちゃんにとっては不安に感じるのかもしれません。

ヒメナのお誕生日をみんなでお祝いしたとき

f:id:reikomiyahara:20180917222619j:plain

エミリー。これはおばあちゃんのお誕生日会をしたときの写真。

f:id:reikomiyahara:20180917225516j:plain

エミリーの弟、ヴァレンティーノ。私が任地に着いたときから約1年が経過し、階段も1人で登れるようになって、ごはんも1人で食べれるようになるほど、この1年の成長が早い早い。

f:id:reikomiyahara:20180917225745j:plain

ということで予想外にお別れシーズンとなった9月。

ここエクアドルで、フィンランド人、日本人、エクアドル人、それぞれ別れもあればみんな新しい旅立ち、新しい生活が待っています。それぞれ楽しい日々を過ごせますように。

 

そしてまったく話題は異なりますが、来年の3月にエクアドル全土で次期県知事、市長選が迫っています。それに向けて特に約2か月前ころから少しずつみんなの話題に上るようになり、最近では集会なども開催され活発になっています。ここでは家族や親戚のつながりが太いから、おそらくそういう関係で誰を支持するとか、あとは市役所内の人間関係で誰を支持するとかいろいろあるようです。こういうところを見ると、ミクロな世界だけに、日本に比べて候補者が自分の生活にすごく身近で、直接的です。前にエクアドルの男性の好きな話題は「サッカー・政治・女性」の3つだ!と力説されたことがありますが、政治関係の話は尽きないといったかんじで、よく話しています。というか、政策を論評したり、誰側につくとか、自分の意見をかっこよく述べるとかが単に好き。日本の戦国時代のような雰囲気さえ感じます。前に県知事選挙の集会が州都サモラ市であったときは、その集会に参加するため任地から何台もバスを出して人々が隣町に移動していました。任地から全員が移動しているのではないかと感じたほど。ちなみに現市長の後押しを受けてこの派閥から任地の次期市長選に出馬するのは、現在市役所の公共物関係の部署をマネジメントしている女性です。

きのうも任地で歩いていたら、他の部署の同僚に会い、これから隣町に行くから一緒にどう?と誘われ、ついて行くと、家族関係のつながりを広げたこれもまた次期市長選に関する小さな会合でした。ここで出会った隣の州の市で市長をしている男性とその奥さんは最初はあまり打ち解けないかんじでしたが、最後いろいろ話を聞いてくれ、特に奥さんは日本と中国の違いをすごくわかってくれていたなぁ。

私は選挙自体には無関係ですが、任地で選挙の様子を見られるのが今から少したのしみです。

paseo

paseoとはスペイン語で「お出かけ、お散歩」という意味です。ちょっとした旅行というかんじにも、少しそこまでお散歩というかんじにも使う、幅広いかんじ。

最近のパセオについて書きます。

まずは2ヵ月ほど前に行ったエクアドル海岸地域パセオエクアドルの海岸地域のことをコスタ地域と呼びますが、これまでは先輩の任地であるトロンカルという所やエクアドル最大の街・グアヤキルへの用事で行ったくらいで、あまり海沿いに来た!という所までは行ったことがありませんでした。

今回、グアヤキルに住む日本人の方にアテンドしてもらい、私を含めて4人の隊員でエクアドルの海にあそびに行くぞ!と行ってきました。

 

行った場所はプエルトロペスという場所。プエルト(puerto)とはスペイン語で「港」という意味で、海岸沿いの地域には今回行ったプエルトロペスのように「プエルト〇〇」という名前が付いている場所が多いです。

グアヤキルの中心地から車で3時間ほど行ったところからいよいよ海岸沿い。そこから少し山を抜けプエルトロペスに到着。

f:id:reikomiyahara:20180829054302j:plain1泊2日のプエルトロペスの旅でしたが、朝から動いたので、内容はとっても充実していました。

f:id:reikomiyahara:20180829054251j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829054241j:plain着いて朝8時、朝食を食べて、少し浜を見ながら、港へ。そこから無人島「Isla de la plata」(意味は直訳すると「銀の島」)へ船で移動。エクアドルにはたくさんの珍しい動物が生息する世界遺産ガラパゴス諸島がありますが、この島はミニガラパゴスと呼ばれているほど、貴重な種が生息しているらしい。私はそんなに動物に詳しくないし、貴重な動物をみて感動するのかな~と思いながら、島に上陸。ガイドさんに付いて、島を歩くと、いきなり見たこともない驚きの鳥に遭遇。その名も「アオアシカツオドリ」。その名のとおり、足が青い。しかもきれ~いな水色、ターコイズブルー。きれいで見とれる色です。

f:id:reikomiyahara:20180829061409j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829060525j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829060541j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829060945j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829061001j:plainf:id:reikomiyahara:20180829055920j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829055936j:plain

卵を温めています。

f:id:reikomiyahara:20180829061358j:plain

白いほうはまだ大人になる前、もう少しで親鳥と同じ色になるらしい。

f:id:reikomiyahara:20180829061805j:plain

ここは国の国立公園になっているだけあって、鳥たちの管理もしっかりされているかんじでした。ただ島の入り口の反対側の海岸沿いにはごみがたくさん流れ着いていたけど。

f:id:reikomiyahara:20180829062208j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829062151j:plain


 島を1周して、船に戻り、ここからは少しシュノーケリングとホエールウォッチング。私はほぼ初めてのシュノーケリングだったので、少し戸惑った部分もあったけど、きれいな魚たちとウミガメが泳いでいる様子を見ることができました。

f:id:reikomiyahara:20180829061821j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829062502j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829062446j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829062841j:plain

そしてそしてクジラ!すごい迫力でした。まさかこんなに身近で見れるなんて思ってなかったので驚き。

f:id:reikomiyahara:20180829062826j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829063124j:plain

ただ、行きも帰り激しい船酔いでかなり疲弊。小さいころいつもしていた車酔いも最近はほぼなくなったので、いけるかな~と楽観的に構えていたけど、やはり船はまったくダメでした。ほんとに死ぬかと思うほど気持ち悪くて、途中クジラが見れない瞬間もあったのが残念だった。一緒に行ったボランティア仲間と同じ船に乗っていた欧米人グループはだいたい大丈夫そうでした。みんな強いな。次回以降の船は必ず酔い止め飲もう。

そして夜ごはんには海鮮を食べて、海沿いをたのしみ、翌日早朝、港で魚を仕入れて帰路に。

f:id:reikomiyahara:20180829063450j:plain

帰りに寄った「Montanita」(モンタニータ)という海岸。ここは外国からもサーファーが集まるという、ファンキーな街。でも佇まいはなんだか東南アジアを感じさせる雰囲気でした。

f:id:reikomiyahara:20180829063113j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829063500j:plain

f:id:reikomiyahara:20180829063747j:plain

他のボランティアも合流し、みんなでグアヤキルのお家でお昼ごはん。そして翌日朝に任地に向け出発。船酔いを除けば充実した3日間。海沿いの自然も見に行くことができて、すてきな体験でした。

 そしてもうひとつは最近のパセオ

先週の金曜日は、市役所内でのイベントパセオがありました。これは半分は「大人の社会科見学」、もう半分は遊びです。市役所の健康管理室のような部署と観光課が開催、ふだん市役所の職員たちは仕事によるけど、オフィスワーク中心になる人も多いので、少し出かけましょうという趣旨なのかなと理解。8月頃から毎週金曜日に開催されています。そしてちょうど先週が私が組み込まれた週。

これは同じ市役所の他の部署の仕事紹介と観光場所の紹介も兼ねていると思われます。まず市役所を出発し、下水道管理課が管理する水のタンク施設へ。

f:id:reikomiyahara:20180915051359j:plain

施設と言っても、水のプールがあるのは屋外、人が働くところに少し屋根が付いていたりというようなイメージでした。でも見ると、もちろん浄化するところでは機械のようなものが置かれていたけど、その他、水がそれぞれ溜められるプールのようなところや流れていくところではまだまだ人力が駆使されているんだろうなという印象でした。これでは少し大雨が続いたら、断水するのもわかるかも…と私は感じました。

f:id:reikomiyahara:20180915052237j:plain

f:id:reikomiyahara:20180915052606j:plain

f:id:reikomiyahara:20180915053441j:plain

f:id:reikomiyahara:20180915053548j:plain

そして続いて、市役所が管理する屠殺場へ。ここには前に一度訪れたことがありましたが、今回はこのパセオ用にしっかり見せる仕様になっていたので、いろいろ仕事を見ることができました。

f:id:reikomiyahara:20180915053850j:plain

そして次はいよいよ私たちのホームでもある最終処分場へ。

f:id:reikomiyahara:20180915053942j:plain

前も他のグループが回る日に私がたまたまここに居たことがあって、そのときもそうでしたが、やはり処分場に来ると他の場所とは少し違うニオイ、特にコンポスト場のあたりは生ごみのニオイもするので、このニオイに慣れないとみんな顔をしかめたり、早々に車の方に戻っておしゃべりをしている人もいました。これは水タンク施設でも同じで、みんな早々におしゃべりを始めて、同僚が話してくれる説明を聞かずにひたすらおしゃべりをしている人もいました。日本だとここまで直接的に「私の興味のないものは興味ない」とわかってしまう行動や態度はそこにいる相手のことを思うと少し憚られますが、あまり「思いやり」という概念がないので、彼らにとってはふつうのことなんだろうと思います。それに実際にこの水タンク施設にいた同僚は仕事の説明しながら、「俺はあの態度は好かない」と話していたりと、こういうところからもほんとにここでは「みんなで」「みんなと」という概念は薄く、それぞれの願望のままに動いて、それに対して自分はどう動くかどう述べるかも自由。個人主義です。こうやってその場その場ではっきり好き嫌いを表現できるところは私ももう少し見習ってもいいのかもしれません、もちろん場面場面によってだし、日本ではもう少し空気を読む必要もあると思います。

f:id:reikomiyahara:20180915053705j:plain

この乗り物は「lanchera」(ランチェラ)と呼ばれており、市民の交通の足機能も果たしているバス。このパセオ用に1台市役所が用意してくれます。

そしてこの最終処分場までで午前中終了。午前中で市役所の仕事を知ろうのパートは終了し、昼食。

そして午後はハイキングへ。車で40分ほど登っていくと、滝スポットがいくつかあり、そのうちのひとつへ。今回行ったこのコースは私もまだ知らなかったコースだったので、今回みんなと行けてよかったなぁと思います。

f:id:reikomiyahara:20180915054044j:plain

昼食は滝の入り口の近くで。どのコースにするか話し合い、それぞれ自己紹介も。「中国人か?!」と言われたときの「ちがうよ!日本人だよ!」という決めゼリフの返し方があるのですが、そのやりとりを知ってくれている同僚がいたので、私の自己紹介時に、横から振ってくれます。そしてみんなで爆笑。

市役所の「trabajo de acción social」という部署があります。直訳すると社会活動の仕事ということになるのですが、見ていると仕事内容は、保育園の運営管理、高齢者介護施設の運営管理、障がい者と高齢者支援の活動というのが主な仕事のようです。ここで働く人たちが今回私たちのグループには多くて、市役所イベントの時はいつも駆り出されているイメージですが、前にもイベントのときに一緒に料理を作るのを手伝ったりして、顔見知りだったりしたので、今回もさらに顔見知りになることができてよかったです。

そして1時間ほどのハイキングコースの滝の様子。

f:id:reikomiyahara:20180915054154j:plain自然大好きオジサンのsalomon!前にも一度紹介したことがあります。うちの部署の運転手さん。市役所で働く前は救急車の運転手さんだったそうな。 

f:id:reikomiyahara:20180915054258j:plain

f:id:reikomiyahara:20180915054742j:plain

f:id:reikomiyahara:20180915054851j:plain

日本の友人が出発前に餞別でくれた長靴ブーツ。これがここで大好評。任地では黄色の工事現場のおじさんが働くときに使うような固いがっちりした長靴しか種類がほぼないので、やはり特に女性に人気。

f:id:reikomiyahara:20180915054355j:plain

そしてコースを抜けて帰路へ。

f:id:reikomiyahara:20180915055036j:plain

そして昼食を食べた所に戻り、少しお酒を飲んで盛り上がる。踊りとね。

f:id:reikomiyahara:20180915054440j:plain

さてさて、9月も後半になり、学校での活動が少しずつ始まりそうです。

今日は新年度一発目、「primero de mayo」(プリメロ デ マヨ)という機関での授業を行いました。「プリメロ デ マヨ」とはプリメロが「1日」、マヨが「5月」。ということで日にちが学校名になっています。5月1日はエクアドルでは「労働・仕事の日」。このように、日にちが学校名になっていたり、通りの名前になっていたりすることがとても多い。ここは市内の教育機関のひとつで、市内でも一番大きい学校機関かなと感じます。エクアドルの学年制度は今もよく理解できていない部分も多いのですが、一応整理してみると、学校は1年生が6歳ころ(日本で言う小学校1年生)から始まります。その前に2年ほど幼児クラスがあるようです。そのあとこれは10年間続き、日本でいう中学3年になる歳まで、合計10年間educación basica(直訳すると基礎教育、日本で言う義務教育にあたると思われますが、ここでも義務化されているかは不明)があります。そのあとは高校(colegio、bachillerato)に行きます。高校は日本同様3年間。それでここが少し私には分かりづらいのですが、各基礎教育機関がそれぞれ10年間用意できているとは限らず、学校によって7年までとか8年までとかになっています。言い方を変えると1年生から始まる基礎教育機関は機関によって、7年までとか8年までとかしかありません。その場合、9年クラスや10年クラスがある教育機関に日本で言う編入のような形で継続して通うことになると思われます。今回私たちが訪れた学校も基礎教育8年生から高校3年まで用意されている大きな学校で基礎教育の途中からの学年と高校(colegio)が一緒になっている大きな学校。ちなみにそのあとは大学、日本とは異なり通常大学は5年通うそうです。大学で学んだと言う証明の称号を得るための活動、これにお金がかかると聞いたことがあります。なので、任地で見ていると、大学に行かずに働いている人も多いし、日本のようにアルパイト社会でもないので、それぞれの都合で大学に行かない選択をしている人も多いです。でもその場合安定した収入が得られる仕事には就くことは難しいと思われます。これは日本同様といったらそれまでだけど、大学に行かない人の割合は日本に比べたら相当高いと思います。

この6月まで私が週一の授業をしていた学校(ここは少し田舎の基礎教育機関)で会っていた子に今回行った学校で会い、「reiko~!!」と寄ってきてくれたので、話すと、この9月からこの「primero de mayo」に進級したんだとのことでした。

この授業をすることになった経緯は、前市長が現在ここで先生として働いていますが、この前市長が環境コースを1クラス担当していて、そこで週一での生徒たちとの活動依頼を市役所の私たちの部署にしてきたという経緯です。あ、ちなみにこの前市長さんはステイ先の義理の息子さん、ステイ先の長女の旦那さんでもあります。

 今日の様子。

f:id:reikomiyahara:20180915061359j:plain