始業式と運動会

さて、9月に入り、子どもたちの学校生活も続々と始まっているかんじです。ここでは9月が新年度の始まりなので、新たに学校に入学する手続きや進級の手続きとか、いろいろ少しバタバタしているかんじもしますが、それでもステイ先の孫たちや道ですれ違う知り合いの子に「学校はいつから始まるの?」と聞くと、わりとみんな「知らない~♪」みたいなゆるい返事が返ってきていました。うん、いつまで経ってもよくわからない。何なんだろう、やっぱり掴めないよな、このほわっとしたかんじ。

それでも、きのう今日くらいから続々と生徒が登校しているようで、市役所に一番近い学校(Juan XXIII)では始業式のようなものが開かれていました。これは始業式兼入学式のようなかんじっぽい。この学校は小学校から高校まで同じひとつの教育機関になっており、日本でいう中学までの学年を修了し、高校が始まる子にとっては入学式、それ以外の子にとっては始業式のようなかんじかと解釈しました。エクアドル国歌斉唱もありました。
日本とは制度もいろいろ違うので細かいところまでは理解できませんが。同僚が自分の子どもが高校にあがる歳で、ちょっと出かけようと言われ、巡回の途中に学校へ立ち寄り、私も同僚と一緒に見物。こうやって仕事の合間にプライベートなことを持ち込むことができるのもここならでは。むしろみんなそうかな。良いなと思う面ももちろんありますが、仕事とプライベートを分けるという概念、そもそも分けた方がけじめがあるよねという考え方もないんだろうな…と見てて思います。他の同僚は、巡回に行くと出かけて行き、建築中の自分の家ばかり偵察に行ってるしね、気になるのはわかりますが、仕事しなよと思います、まぁでも彼は私にとても親切で人柄はとても良い人です。

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 来たい人は親たちも見学。見ているとエクアドルの親たちは心配症というか過保護というか、日本とはまた違う観点で自分の子どもに対して「そんなところまでやってあげるの?」と思ってしまうところがあるけれど、きっとこれもここの距離感ですね。

今後の活動のためもあり、学校が始まったということで、週一授業の学校へ行き、私もまた校長先生に挨拶してきました。

そして、キトから戻った週、8月29日~31日、水曜日から金曜日までの3日間、県内の市役所対抗運動会が開催されました。この大会は市役所にとっては、年に一度の大きなイベント。

 

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私の任地がある県はエクアドル南部の赤い部分、サモラ・チンチペ県ですが、ここを拡大すると、こんなかんじに州が分かれています。

 

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青い部分が任地があるYantzaza州、ちなみに州の中に市があります。
この県内にあるすべての州がひとつの市に集まって、スポーツ大会を行います。と言っても大会種目は、サッカー、バスケ、バレーボールの3種目。ほんとにエクアドルの人たちはこの3種目が大好き。エクアドル人、言った次の瞬間にはもう違うことをしてたりとか、いろいろなことに飽き性だなと思う側面は多々あるのですが、この3つのスポーツに関しては、人生を通して熱中しているのではないかと思わせるほどいつもこの3種目で競っています。今年の運動会の開催地はYacuambi(ヤクアンビ)というところ。任地の左となりの州で、車で1時間半ほど。ヤクアンビはアスアイ県との県境で、このアスアイ県には私たちが任地配属前に1ヵ月過ごしたクエンカという大きな街がある、シエラ地域の県です。ヤクアンビは任地よりは少し標高が高く、シエラ地域のインディヘナが多いんだよと周りに言われて、任地と同じ県内、オリエンテ地域に属するのになんでだろう…と思いながら訪れましたが、行ってみると到着までの道は登り坂で、ほんとに少し涼しく、山岳インディヘナも多かったな~。改めてこう地図を見ると、シエラのアスアイ県に接してるだけあります。こうやって人が流れてきたんだなと納得。アスアイ県に入る主な手段は長距離バスでロハをいったんぐるっと経由する経路なのですが、そういえば前にこのアスアイ県とヤクアンビの間に日本大使館の草の根支援で建てられた橋があり、クエンカとヤクアンビの交通の便が良くなったという話を聞いたことがあったけど、きっとここのあたりのことを言ってたんだなと、今回その話がつながりました。

 運動会開会式の風景。

 

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学校の始業式同様、ここでも国歌斉唱を行っていました。f:id:reikomiyahara:20180905065624j:plain

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聖火を持っている男性が山岳インディヘナのひとつ、サラグロ族と呼ばれる人たちです。男性も女性も、髪の毛を長くして、うしろで三つ編みしています。サラグロ族という名前のサラグロは地名から来ています。いつかそこを訪れたら、彼らについてさらに紹介します。

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サラグロの女性がクイ(ハツカネズミ)を焼いています。

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このモデルのような佇まいのかわいい彼女は市役所の同僚です。これは「マドリーナ」と言って、必ずスポーツ大会の各チームに配置される女性。主にはそれぞれのチームから選出されるので、彼女も同じ市役所の中から選出されているし、他に出場している市役所たちも、それぞれ自分たちの市役所からマドリーナ役になる女性を選出。それぞれみんなきらびやかに着飾っていました。他の国がわからないのですが、これもここならではの慣習ですか?きっと「チームを見守る女性」的な立ち位置、キリスト教の何らかの何かに関係していると思われるのですが、そういうことを含めても、う~ん、正直私にはマドリーナの存在意味がわからない。もちろん着飾っている女性たちはみんな美しくて見惚れますが。

開会式後に集合写真。

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開会式後の気合い注入。

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「これは労働の一環だからがんばろう」みたいなセリフが印象的でした。このセリフの裏には、この3日間はふつうの平日だけど、この選手にエントリーしている職員たちはみんな市長から仕事を休んでこの運動会に参加してもよいというお達しが出ているから、みんなまじめに全力で戦ってねみたいなことを言いたかったんだと思われます。でもみんなもちゃんとまじめに聞くから、やっぱりスポーツ文化がとっても大切にされています。

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 昼間は総当たり戦でそれぞれの州と各種目激闘し、夜はお酒飲んで、みんなで踊って騒ぐという、まぁお決まりの楽しみ方です。

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同僚(48歳)、サッカー得意と言っているだけあり、試合開始後すぐにゴールをたくさん入れていました。ちなみに彼がここ最近仕事の合間に建築中の自分の家の偵察に夢中の同僚。エクアドルでは、日本で中年と呼ばれる年齢の人たちも機敏に動いて運動をこなすので、すごいなと思います。もちろん男女ともに、体型も関係なく。

 

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 暗くなると、コートの電気が点かなくて、一時中断、このまま延期か…とも囁かれましたが、無事に電気が点いて試合再開。

開催期間の3日間とも開催地ヤクアンビに泊まるという選択肢もあり、まぁ1日くらいは泊まってもいいかなとも思ったけど、これまでの経験上、エクアドルの人と宿泊をともにすると間違いなくサバイバルになること間違いなしと予想でき、私はそれまでのキトでの公務の疲れが少し溜まっていたし、朝6時出発の眠気に勝てず、1日目だけ行って、その日の夜に帰るという人の車に乗せてもらい、初日の夜に帰宅しました。

 

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そして、大会結果、なんだかんだヤンササチームは総合優勝したらしいです。ということで、試合に出ていた同僚何人かには一応「Felícitaciones! General campionato!」(総合優勝おめでとう!)と声を掛けておきました。うん、おめでとう。

日本では台風や北海道地震など、やはり今年は自然災害が多いなと感じる年です。少しでも被害が最小限にとどまることを祈っています。

ではまた。

中間報告会と日本祭り


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1週間ほどの首都滞在が終わり、無事に任地に戻ってきました。今回の滞在目的は、健康診断や安全対策のお話など諸々の会議、そしてなんといってもメインは中間報告会と「日本祭り」への参加でした。中間報告会は派遣1年を迎えるボランティアの活動発表の場、ということで私も報告対象者として、1人15分、配属先の同僚とスペイン語で発表。報告形態はいろいろ自由でしたが、まぁふつうに私がはじめに10分ほど報告し、そのあとで同僚にコメントをもらう形にしました。

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緊張したけど、他の隊員にも聞いてもらえて、発表もできて、いい機会、いい経験になったと思います。今回の報告対象者は私の隊次である2017年度1次隊9人と、私たちの3か月後に到着し、まもなく1年を迎えそうな2次隊7人の合計16人。前回聞いた中間報告会は4人だったので、これまでに比べたら人数が比べ者にならないくらいに多く、ボリューム満点の報告会でした。環境教育の同じ職種以外の隊員の活動は同期を含めてもなかなかじっくり聞いたり写真を見る機会がないので、みんなの発表が直接聞けたのもすごくよかったです。半年前の先輩隊員の前回の報告会では、「中間発表、何話せばいいの?」状態でしたが、気づくともう自分たちの報告会が終わっているので、時間が過ぎるのは早いです。

2017年度1次隊の同期9人。まずは1年を変わらずこのメンバーで迎えることができて何より。

f:id:reikomiyahara:20180829083420j:plain中間報告会が無事終わり、気持ちの面ではだいぶ軽くなり、そのまま翌日から2日間は「日本祭り」に参加。本来例年はもう少し早くこの報告会が開かれており、他の国の同期達は少し前にすでに続々と中間発表を終えていました。エクアドルは今回この日本祭りに合わせてJICAの公務を設定し、お祭りでの活動も公務に組まれていたので、他の国の同期隊員から比べると少し遅めの報告会でした。

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手前の白いドームの中がお食事処。お寿司、ラーメンなどもありましたが、高かったので見物だけ。「厳選」という看板がおもしろい。
この「日本祭り」は前にも書きましたが、エクアドルと日本の外交関係100周年をお祝いする大きな行事。8月25日26日の2日間、8月26日にちょうど100周年目を迎えました。

開会式での一枚。関係者要人による「鏡開き」。日本大使や大使館、外務省の方、実行委員長、さださんも奥にいらっしゃいます。

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会場の中にはたくさんの日本関連のブースが集まっていました。主に私達ボランティアがお手伝いさせてもらったのはもちろんJICAブース、と、その他、書道コーナー、ゆるキャラの展示コーナー、日本の伝統おもちゃの展示コーナー。

ゆるキャラマップ。なんとエクアドルにもゆるキャラがいたということを今回知る。

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この中でも私がお手伝いさせてもらったのは、JICAブースの中の環境教育コーナーと日本の伝統おもちゃの展示コーナー。環境教育ブースでは生ごみの堆肥化手法コンポストの紹介とか私達がどこの街で活動しているかとか、古新聞で折り紙の紹介とかを行いました。

JICAブースに構えられたお神輿。

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各環境隊員マップ。

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コンポストコーナーに人が群がる。

新聞紙再利用方法の紹介ボード。

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1日目は法被で。

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2日目は浴衣で。

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日本のおもちゃコーナー。意外とスペイン語で説明するのがおもしろかった。

そしてJICAブースの中の環境教育部会コーナーのお隣は医療部会コーナー。簡単健康診断を行っていたり、それぞれの食事やジュースのカロリーやお砂糖の含有量の見える化の展示もあって「へぇ~」と思うことがたくさんでした。みんながんばってたな。

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お祭り1日目の開場前に現地に到着、開場まで2時間ほどブース設営の準備。会場には音楽ステージもありましたが、そこでは様々な公演が行われていました。そこで1日目の開場とともにNHKさだまさしさんの番組「生さだ」の生中継収録が始まりました。

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環境教育ブースにそこまで人来ないでしょと、その間に生さだ見に行こうと思っていたら、意外にも開場とともに環境教育のブースにも人だかりができ、収録観覧どころではなくなってしまいましたが、みんな思った以上にコンポストに関心を持ってくれたりして、よかったよかった。交代の時間を使って、会場内も見学しつつ、感動したのは久しぶりの抹茶アイス。日本のコンビニで買えるような棒アイスがこちらでは30円~80円ほどですが、さすがお祭り会場価格、抹茶味ということもあり、3ドルとかなり高騰していましたが、買ってよかった。ほんとに日本の抹茶アイスでした。他のごはんはすべて高値だったので、帰ったら本物の日本のごはんがいつかは食べられるので今回は断念。

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たなばたの紹介。

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f:id:reikomiyahara:20180829113252j:plain「私と家族が健康でいられますように」みたいなことが書かれています。

おみくじコーナー。

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2日目にはもうひとつ大仕事が。それは隊員の音楽隊グループ「Sushi Mixto」での参加。さだまさしも歌う音楽ステージでの演奏というなかなかに大きな機会をもらうことができ、前々から準備していました。もちろんふだんは別々の任地にいるので合わせることができず、首都にみんなで集まったこの数日のタイミングで合奏練習だったので練習不足はもちろん否めないけど、それでも今回はと、いつにも増して、みんなで合わせて練習し本番に臨みました。一応曲目を紹介すると、「ドラえもんのうた」⇒私たちの紹介⇒「花は咲く」⇒「上を向いて歩こう」⇒「Yo nací en este país」をボランティアのみで演奏。そしてそのあとでJICA事務所のスタッフの方々の歌と一緒に「涙そうそう」と「A mi lindo Ecuador」を合同演奏、というなかなかにおおがかりなステージとなりましたが、ボランティアのみんなの客席からの応援(サクラ)もあり、エクアドル人も含めてみんな盛り上がってくれました。

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そして演奏のあとは夕方まで環境ブースとおもちゃ紹介のブースをお手伝いし、最後はいよいよさだまさしコンサート。この時間からはブースを閉めてもいいよとありがたい指示をもらい、片付け後、みんなで歌を聴くことができました。歌ももちろん素敵だったし、これを機にみんなでさだファンになったかんじです。あとはトークもとてもおもしろかったな~。となりに日本人のスペイン語通訳ボランティアを置いてのトーク形式で、その通訳さんとの掛け合いがおもしろかったのと、何よりその通訳さんの訳し方が聞いていてとてもおもしろかったし、しっかりエクアドル人のウケも取っていて、海外のこういう舞台に慣れているんだな~と感じさせました、さすがプロというかんじでした。歌詞も大画面にスペイン語訳が出ていて、スペイン語を勉強している身としてはそれだけでもとても興味深かったです。そしていよいよフィナーレ。さださんの最後の曲から、盆踊りができるように構成されていて、みんなで盆踊りを踊り、閉会。

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エクアドルでバナナ農場を経営する「田辺さん」のブース。田辺さんは今回のこの100周年祭り実行委員会の委員長です。

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屋台コーナー。テントの上には「Ecuador y Japón, siempre países hermanos」(エクアドルと日本、いつも兄弟の国)というなかなかに熱いフレーズ。

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エクアドル人と折り鶴を折って、その写真とともに折り鶴によるエクアドル日本の国旗看板。これがメイン会場の入り口に飾ってありました。私も配属先での写真を送ったところ何枚か採用され、このうしろの写真たちの中に市役所の同僚のみんなと撮った写真が貼られていました。

環境教育部会メンバーで最後に一枚。

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という、内容盛りだくさんの大盛況のイベント。こういう記念の時にエクアドルにいることができてよかったなぁと思います。任地に戻ってから、ステイ先の家族や市役所の同僚にも「ニュースに出てたよ!キトの日本のお祭り!」みたいなことを言ってもらったのでなかなかにやはり大きなイベントだったのだと思います。

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JICAブースでお手伝いしていたときに、エクアドル在住の日本人のおじさまに声をかけてもらいました。エクアドルの前の大統領は中国贔屓だったけど、今のモレノ大統領は日本贔屓らしいので、これからもっと親交が深くなるかもねなんて言っていました。ちょうど中間報告会での大使のお話にもあったように、現在モレノ大統領の来日計画もあるようなので、【エクアドル×日本】これからも注目かもしれません。

待望の!

これまで隊員がいる一番近い隣の県の都市ロハまで山を越え3時間ほど、地方の田舎で一人ひっそり暮らしてきた私ですが、ついに、ついに、先日同じ県内のサモラ市に新隊員さんが到着しました。サモラに隊員が来ると聞いたのが3ヵ月ほど前、それから首を長くして待っていました。順番で言うと、ロハ⇒(1.5H)⇒サモラ⇒(1.5H)⇒ヤンササというかんじの流れでの移動になるので、サモラはロハとの中間地点。任地があるサモラ・チンチペ県の入り口の街、県の州都(県の中にいくつかある州の中心、県庁が置かれている州)です。でもこれで任地から1時間ちょっとのところにも仲間ができました。私が到着する前にサモラには一人隊員がいたときがあったそうなのですが、私が到着した時にはすでに帰国されてしまっていたので、私にとってはという点ではじめての同県内の隊員仲間です。
ということで、来週は1週間首都に行くし、早めに会いたいな~と思い立ち、今日サモラでお会いすることができました。いろいろお話できたのでよかったし、たのしかったな~。ロハまでは日帰りだとバタバタするし、なんだかんだ往復のバス代を考えると、日帰りするのはもったいないのですが、サモラだったら現地のみんなもそうしているように、ちょっと行って帰ってこれる距離で、ほんとに気軽に会いにいくことができます。とってもうれしい。

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サモラのcentroの教会。

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となりに県庁。

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前にステイ先の家族とその友達にサモラのお祭りに連れて行ってもらったときに撮ったもの。暗いけど私が写ってます。笑

 

さてさて、話は変わって、今日はカルロスという人物について。

市役所の同僚にカルロスという人がいます。彼は私の部署の向かいの部屋にいるので、よく会うし、仕事してるのかと思いきや、だいたいはyoutubeを見ていることが多いので、用事がなくても行って挨拶したり話したりすることができます。市役所の中には日本語の挨拶を知ろうとしてくれて、がんばって一言二言覚えて、会うと使ってくれる人が数人いますが、彼もその一人。でもレベルはこの数人のうちでは最上級。例えば、「おはよう」と「ありがとう」は「おはようございます」「ありがとうございます」を使ってくれます。「ございます」という言い回しを見ないでスラスラ言える人は今のところ、このカルロスだけです。スペイン語で朝の挨拶をして少し話した後の去り際はだいたい「Que tenga un buen día!」(良い一日を)という決めゼリフがありますが、それも私が前に教えて今ではスラスラと「どうぞ良い一日を」と使いこなします。もちろん使える場面は私とだけですが。
今日朝、道を歩いていたら、カルロスが道の反対側に。「あ!」と思い、彼ならきっと聞き分けてくれるだろうという想定で、少し大きめの声で「おはようございます」と向こう側に向かって叫ぶと、予想通り、パッと反応。任地で叫んだ日本語が通じました。「よし!」と心の中でガッツポーズ。これだけでうれしくなる、任地ではそんな日常です。同じ部署の同僚たちとカルロス。

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もちろん上記の例はまったく日本語を知らなかった人、特に日本語にすごい思い入れがある人ではない場合で、一人例外はいます。それはステイ先の孫の一人、14歳のDavid。これまでも何回かブログにも書いていますが、彼はひらがなとカタカナは書けるし、読めるし、挨拶もできます。今漢字を勉強してるそうだけど、やっぱり数が多いし、難しいみたい。彼は5人兄弟の4番目。上の3人のお兄ちゃんは大学生、末っ子は今度小学生。お兄ちゃんたちは勉強できる風だったので勝手に彼もそうなんだろうなと思っていたら、そうじゃなく末っ子はまだこれからだけど、Davidだけはいつも試験を落として補習を受けているとのことでした。でも会うと私に「これから日本語の勉強するよ」とか「ギター弾きたい」とか言って日本語は積極的に勉強してるから、おもしろいです。この前、「今年はエクアドルと日本が外交関係100周年だからそのお祭りがキトであるんだよ」(←スペイン語で)という話をしたら、彼から「ホントに~?」(←日本語で)と返ってきました。自然に出ている感じがやはり勉強してるんだなと感じさせます。彼はギターを弾いて、歌も歌いますが、音楽と日本のすべてのことに魅了されている、そんなアーティスティックなかんじです。今から「僕はいつか日本に行って日本で働くんだ」と言っている姿は、キラキラしていて素直でいいな~と思います。いつか実現するといいね。

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Davidの家族(女性がステイ先の長女で5人息子です。水色のシャツを着ているお父さんの前にしゃがんでいるのが日本大好きボーイのDavid。)

ここまでの話とはまったく対照的な話ですが、最近のニュース。家の斜め前にステイ先の次女の嫁ぎ先のお家があります。ここの次男とステイ先の娘は夫婦ですが、この旦那さんのおじいさんが先日亡くなりました。このおじいさんは90歳くらいで、アルツハイマー病を患っていましたが、体は元気で、上品にいつも家の周りを犬とお散歩していました。この前の土日、私がロハに出かけていて、日曜の夜にステイ先に戻ると、なんだか家の前に大きなテントが。家の中からはまぶしいくらいの真っ白なライトが照らされています。このように家の前に大きなテントを出して、椅子を並べて、何人か訪問客がポツポツと座り、真っ白いライト。これがここではお葬式の目印。お葬式を出している様子は何回か見たことがあるので、「あ、誰か亡くなったんだ」ということがすぐわかりましたが、ここのお家で亡くなると言ったら、その90歳のおじいさんだろうか?でも元気そうだったし、この前も歩いてたからな~、誰だろう…と思いつつ家に帰り、ステイ先の家族に聞くとやはりそのおじいさんとのこと。私自身も少し信じられないといったかんじで驚きました。私でもこうだから、きっと家族にとっては相当な衝撃だったと思います。

ここではひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんまで生きていることが珍しくありません。今回亡くなったおじいさんも多くのひ孫たちがいました。おそらく一番はみんな若くして子どもを産んでいるからかなとも思いますが、割とエクアドルの人たちもみんな長生きです。現に今回亡くなったおじいちゃんも90歳前後だし、ステイ先のお母さんのお母さんも90歳くらいだけど、元気です。日本と同じで、エクアドルも昔と比較したら今はかなり食べ物も良くなっているのだとは思いますが、もともとの食習慣が日本に比べたらお砂糖も油も摂るし、野菜をあまり食べないし、そういう食生活の中でも日本に引けを取らないくらいの人生をみんな生きていると思うと、総じてエクアドルの人たちはもともとの基礎体力が強いというか、いろいろな意味で生きる力が強いと思います。あとはなんだろう…対人関係のストレスとかも日本人に比べたらほぼないと思うので、そういう点ももしかすると関係しているかもしれません。


先週はおおむね部署内で中間報告会用の発表準備をしつつ、最終処分場に行って栽培作業。この前はトウモロコシ、そして数日前はカカオを。私が処分場で栽培作業をしようと言い出した時期と2代目のカウンターパート・マヌエルが処分場の責任者になった時期がちょうど重なり、彼は農業大好きなので、今のところ協力して作業ができています。カカオの植え方もわかりやすく教えてくれて、私はエクアドルでカカオを植えれるようになりました。

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処分場で働く同僚・Mateo(マテオ)。生まれたばかりの小鳥を見せに来てくれる。

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バッタも見せに来てくれる。

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処分場で働く何人かの仲間とエクアドル日本祭りの一環で必要だったので撮ってもらいました。

そしてそして、1週間後、ついに8月26日がエクアドルを日本外交樹立100周年記念日です。エクアドル時間25日26日の土日昼間にDavidにも話したように、キトで100周年を祝うエクアドル×日本の大きなお祭りが行われます。それにあわせて今回の私たちの中間報告会も設定され、報告会翌日から私達ボランティアも公務の一環でお祭りの運営のお手伝いをします。楽器も演奏できる場があるとかで、一応そちらもみんなで準備中。日本からさだまさしさんも来ます。またその様子は中間報告会とあわせて。
果たしてどんなかんじになるのか、たのしみです。まずは中間報告を乗り越えられるよう、がんばります。

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ステイ先の飼っている猫にこの前子どもが産まれました。お母さんと同じ模様。

Yantzaza1周年

7月でエクアドルにやって来て1年経過~ということを前に書きましたが、任地にやってきたのは2017年の8月10日でした。なので任地に到着したという点でも、先日無事に任地1周年を迎えています。早いなぁ。

先日市役所の夏休みの文化教室も無事に終了。最後の発表会はなかなか盛り上がっていました。急遽、前日に私も先生たちと演奏で参加することになり、1日で合わせた割にはイイかんじでした。曲も先生の一押しのエクアドルでも有名な曲ということで任地の人たちにも好評。私が走り書き程度に書いたカタカナの譜面メモをなぜかすごい気に入ってくれて、メモを再度清書させられ、写真まで撮影しSNSに投稿。さすが芸術家、目のつけ所が理解不能。でも今回の機会とこの合同演奏で、この市役所のアーティストチームと親交を深められたので、よかったし、また他の曲も一緒に演奏しようと私との演奏を気に入ってくれたのでとてもうれしかったです

伝統民舞の幼児クラス。かわいい。

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伝統民舞の少し大人クラス。

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音楽クラス。音楽は先生たちも含め譜面という概念なしでやっているので、教える側も習得する側もなかなか大変だと思います。

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私も参加。

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最後の子どもたちへの修了書。絵画のクラス分には、インストラクターとしてなんと私の名前を載せてくれました。そして1枚1枚日本語でサイン。こういうのも当日発表会が進んでいる最中にみんなで切って、サインして準備。これがエクアドル式。

エクアドルの子どもたちにしては珍しくとても大人しくて、ふつうはみんな「出来ないから手伝って」とか「私の代わりに描いて」とお願いの嵐の中、淡々と落ち着いて1人で自分の作品を仕上げていたのがとても印象的だった女の子。反応が素直なので、私もコミュニケーションが取りやすかったです。途中からクラスに参加してきたので、仕上がりがギリギリになり、その時は私もお手伝いしたけど、本人から頼まれたことはなかった…!

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絵のクラスがあるときはほぼ1日中文化施設に行っていたので、朝部署に出勤、徒歩もしくは市役所の車を探して交渉、施設に移動。お昼ごはんのためにまたステイ先に戻り、急いで食べて、また市役所の車を探すかバスで移動というかんじの1日の流れでバタバタと過ごしていました。そういう疲れとか、7月に2回ほど遠出をする機会があり、それが原因なのかは不明でしたが、7月後半から8月あたまは珍しく少し体調を崩していました。基本エクアドルのごはんをおいしく食べている私も、そのときは何も食べたくない…と私の胃がはっきりと主張。ほぼ何も食べられずに、危機を感じて、ひたすら経口補水液を作って飲んで、ひたすらリンゴを煮て食べて乗り切りましたが、この前無事に回復し、今は以前のようにお腹も空くし、ごはんがおいしく見えるし、おいしく食べられる幸せを感じて過ごしています。

クラスで仲良くなった女の子が「私が写真撮る!」と張り切り、撮ってくれたなかなかイイお写真。みんなクラスを重ねるごとに懐いてくれたけど、その中でも特に私に絡んでくれた子どもたちと。

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今は、文化教室終了後は、来週に控えた中間報告会(着任後1年を経過する隊員たちの中間発表の場)に向けた準備のため、部署で同僚と冗談を言って笑いながら所内で静かに過ごす時間が多めです。

 7月には、ステイ先のお父さんお母さんが自分たちの生まれた街を訪ねるというので、一緒に連れて行ってくれました。彼らが生まれた街は、ロハからさらに車で1時間ほど行ったところの標高の高い寒いシエラ地域。Oña(オーニャ)という州のpatacocha(パタコチャ)という地区。クイというハツカネズミを焼き、モテという穀物と合わせて食べる習慣を持つ地域の一つです。

家庭で飼育されているクイ。

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お皿にのったクイ。

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お祭り会場のコミュニティ広場と併設された炊き出し場。ここの水は(おそらく)湧き水なのか、そのまま飲んでも大丈夫と言われ、半信半疑で飲んだところ、とても冷たくて、とてもおいしかったです。

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その中にある教会。

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子どもの頃に時期はバラバラだけどお父さんもお母さんもグアダルーペという任地から車で40分ほどのオリエンテ気候の街に越してきています。この生誕の街訪問が迫った時期は家では回顧するように、家族で昔の話や親戚たちの話をみんなでしていました。なんでもステイ先のお母さんは小さいころ、いろいろな事情でお母さんと離れて過ごしていたらしく、兄弟だけで施設のようなところで過ごしていた時期があったと言っていました。そのときはすでにグアダルーペというオリエンテの街に越してきていたそうですが、オリエンテのインディヘナ民族・シュアル族の友達にお腹が空いたら果物の採り方を教えてもらってみんなで食べてたという話がなんだか印象的だったな~。任地のみんなもそこらへんになる果物を見つける力がすごいという話を前にしたけど、そういう受け継がれた血の流れがきっとあるんだろうなと感じます。

コミュニティ広場の前に広がる小麦畑(trigo)。

 

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インディヘナの少年。

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翌日、お昼からのミサで儀式のようなものを行っていました。

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毎年この時期にこのキリスト教関係のお祭りがここでは開催されるらしく、その目的にあわせて、それぞれこの土地に縁のある人が集まり、みんなで騒ぐというお祭りでした。縁があるというのは主に家族、親族になるので、ステイ先のお父さんお母さんの親戚の人たちもたくさん来ていました。スペイン語で早く関係性を紹介されるので、正直あまりどういうつながりの人たちか覚えていないけど、でもまぁ大きく見て親族の方々。小さい街なのでなかなか観光では訪れるような場所ではないところに遊びに行けたのでよかった。

ステイ先のお母さんのおじさんのお家にも訪問。

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シエラ地域に植生するサボテンとその実。この実はそのまま食べられました。

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ステイ先の長女の末っ子(5歳)。彼はなかなかおもしろい感性を持っていると個人的に感じていて、私のツボを刺激してきます。忍者と手裏剣大好き。この9月からいよいよ小学校に入学予定。

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同様にキリスト教関係のお話。

隣の県の大きな都市ロハの先にある同期隊員が住むカタマヨという街から1時間ほど登ったところに「el cisne」(エル シズネ)という街があります。街自体はとっっっても小さいのですが、ここはキリスト教の総本山のようになっていて、とてもきれいなバリシカ教会があり、総本山のマリア様が飾られていました。ほんとに人がたくさん。

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街の通りに出る露店もたくさん。砂糖菓子が名物。

8月の今の時期、多くの人がエクアドル中、南米中から集まるようです。信仰心、感謝の表れの行為として、「歩く」という行為がキリスト教でも大切にされていて、この「el cisne」の街から、バスで2時間ほどのロハまでみんなが歩きます。この街に来るのにもみんな歩いたり野宿したりしながら、なかなかサバイバルな行事だけどみんなにとっては神聖な大切な行事。教会のまわりにもいくつか寝泊まり用のテントがすでに張られていました。それにしても教会、とってもきれいでした。少し前からこの話はちょくちょく任地でも聞くほど、そしてみんないつも「この期間は世界中が歩くんだから~」と言うほどに一般的で注目の共通の話題。まぁ「世界中」というのはここの人たちがいつも使う比喩というか、もちろん実際には世界中ではないけれど、自分たちのまわりはすべてというような雰囲気で伝えたいときにだいたい使っています。

今回はロハ会の何人かのメンバー、たまたまあそびに来ていたキト隊員の先輩と一緒に回りました。

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行きはふつうのバスで行けたけど、帰りのバスはほぼなし。帰りたい人でごった返して、でもバスが来ない。途中で立ち往生しているバスにも乗せてもらえず、警察官とエクアドル人は何やら道路でケンカをしていました。警察官が言っていることとバス会社が言っていることと、タクシーの運転手が言っていることがすべてチグハグ。私たちは試行錯誤の結果、通りすがる行き先が同じの住民の車に乗せてもらい、なんとか街の下まで降りました。こういう風な一大イベントということで、みんなが言うように世界中から?人がたくさん来るということが分かっているはずなのに、しかもエクアドル人にとっては毎年のこと、警察も出しているにも関わらず、この一切計画性なしのグダグダのかんじはどこに行っても同じなんだなと心の中では思ってしまいました。まぁでも思ったより早めに帰れたのでよかったです。

昼間歩くには日差しも強いし、私は歩くイベントには参加したくないけれど、このタイミングでこの場所を見に行けて、良い機会だったなと思います。ステイ先の家族にも「el cisne」に行ってきたよと良い話題になりました。

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VACACIONES!!!

ここエクアドルでは、学校の1年の周期は9月から始まって6月末に修了を迎えます。9月から新しい学年、学期が始まります。学校はだいたい7月あたまからvacaciones(夏休み)に入ります。そこで子どもたちのための市役所の夏季講習が2週間ほど前から始まりました。これは市役所の文化振興課のような所が主催なので、講習と言っても勉強ではなく、情操教育です。内容は、ピアノ・ギター・歌などの音楽、ダンス(伝統民謡と現代曲)、絵画です。ちなみに各学校で勉強自体の補習はそれぞれ行われているみたいです。

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ごみ回収で学校のコンテナに行くと、補習を受けている子どもたちに遭遇。

 

この夏季講習は約1ヵ月間行われ、みんなそれぞれ1ヵ月後の修了式に向けて、成果物を完成させます。私が1年前、任地に到着してすぐの頃、この修了式兼発表会が行われていて、この部分だけ見学させてもらいました。この見学をきっかけに、この文化振興課の人たちとはもともと顔見知りだったので、夏季講習が始まる少し前にコンタクトを取り、何か環境教育とコラボできないかと考えている、例えば自然をモチーフにした絵画を1つ取り入れるなどして、絵画のクラスでお手伝いできますかと聞いてみた結果、絵画のクラスの先生が快諾してくれて、先週からその絵画講習のお手伝いに行っています。先生的には手伝ってくれる人が1人増えた、ラッキー!みたいなかんじもしましたが、それはそれで良しとします。

クラスは1時間目が5歳~8歳くらい、2時間目が9歳~12歳くらい、お昼を挟んで、午後、3時間目はまた5歳~8歳くらい、最後が去年も受講した子たちや少し上級者向けというかんじ。1日目は鉛筆で線や波線、丸を描く練習。2日目の冒頭に、私は環境についての短いお話の時間をもらい、一応本業である環境の活動も。そこで恒例の忍者のあそびも披露し、少しみんなで遊んで、終わり、絵画の先生にバトンタッチ。2時間目の少し大きい子たちの時間には、忍者のあそびはやめて、初めてのアクティビティを試したのですが、結局はうまく理解してもらえず、こちらは断念。まぁこんな風にうまくいかないことの方が多いです。そしてこの日は家や木や太陽、川などの風景を描く練習。

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3日目から絵の具を使って色を塗りました。絵の具の登場に子どもたちもテンションMAX。基本青、赤、黄色、黒、白の5色の大きい缶をそれぞれ混ぜて他の色を作って、その中間色である果物などを描いていました。

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でも基本は絵を描くのが好きでここに来ている子が多いから、学校の授業よりはみんなちゃんと聞いている気がします。まぁ最初の1日2日目くらいまでは。時間中にトイレに行かせてと教室を出ていく子の数の多さは、学校と同じです。一応みんな事前に一言確認をしてくれて、ちゃんと帰ってくるからいいのですが、それにしても半分以上がトイレに行きます。見てると、ひとつの絵を描くのも、いろいろな性格の子がいて、おもしろいです。

あとは鉛筆削り。真ん中に差し込んで、クルクル手で回して削る鉛筆削りがここにもあるのですが、学校で鉛筆を使うという習慣があまりないため(基本ボールペンと修正液を使う子が多い)、おそらく鉛筆を削ると言うこと自体があまり身近ではないです。見ていると鉛筆削りの使い方をみんな知らないのでびっくり。片付けという習慣もあまりないので、使ったパレットを洗うということもなく、そのまま放置。そもそも片付けって、きっと次に使うためにしていると思うのですが、次に使う時のことを考えない習慣なので、きっと片付けという習慣があまり根付かないんだと感じました。もちろんこれも人それぞれ、1人1人の性格にもよるけど。でも鉛筆と消しゴムはクラス終了後にちゃんと教室の後ろに持って行ってね、絵の具用の筆は自分で洗うようにと初回に先生が言って、私もできるだけ言うようにしています。せめて鉛筆くらいは片付けてほしいなと。今のところまだ大半の子は言われたように後ろに戻してから、帰ってくれています。

積み上げられるパレット。毎回みんなで洗うようにしたら、それぞれ絵の具も出しすぎないし、私達も洗う時間が省けるのに。それに小さな子どもたちにはきれいなパレットが使いたいとせがまれるし。でもこれはこれで、次の時間の子たちがパレットの余っている絵の具をそのまま使ったりもできているので、これがエクアドル式と言ったらそれまで。

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最近一番気になったのは「靴紐」。日本にいるときは一切考えたこともなかったし、自分がどうだったかも思い返したこともなかったけど、ここでは3歳くらいから靴紐がある運動靴を履いている子が多いです。もちろんお兄ちゃんお姉ちゃんのおさがりとか、そういう事情も多いとは思うけど、紐がほどけたときに、当たり前のように足をチョイと差し出して「結んで?」って言ってくる子がほとんど。その姿はまるでお姫様、王子様です。こんなものなのか?と少し違和感を感じて、幼児教育のエクアドル隊員に相談。もちろん地域差はあると思いますが、ここでは子どもたちの発達段階には合わない靴紐の運動靴を履いている子が多くて、この隊員の幼稚園でも、先生=靴紐を結ぶ人みたいになっていたそう。この隊員は配属先で3歳、4歳まではできるだけマジックテープの靴で来てもらうように推奨したらしいですが。

最後の上級者クラスの中の子で一人、ここ最近、少し早くから来て、中に入って一緒に小さな子たちを見てくれる女の子がいます。クラスの先生がバタバタして教室からいなくなることもしばしばあるのですが、そんなときは私ひとりで、同時に呼ばれたりし、どうしようも理解できないことを言われて対応しきれないとき、その子が聞いてくれたりしたり、集中力がない子のところで一緒に色塗りしてくれたり、彼女も自然に面倒を見てくれてボランティアしてくれています。聞くと、絵を描くのがとても好きとのこと。私は彼女の今年の作品の出来上がりをたのしみにしています。

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上級者クラスは私は暇になるので、この前空いた時間で気晴らしに私も描きました。私も学校の勉強より、音楽や絵画とか、そういうものの方が好きです。

 

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そんな中、同僚(兼、現在のカウンターパート)のホアンカルロスのお誕生日が。部署でお祝い。

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先週、ステイ先の家族の娘の一人に連れられて、初めてのイベントに行ってきました。それは「Graduación」と言って、学校を卒業したことのお祝い。高校からはここではどんな勉強を修了したかということで、修了すると「〇〇の分野を勉強した」資格・証明のような証がもらえます。前に少し紹介した「titulo」という文化。ここではこれが大切。(逆に言うと、このtituloをもらってしまえばそれでイイ。という雰囲気も感じられます。)その証明をもらったことへのお祝いをします。日本で言う卒業祝いのようなかんじです。家族によりそのお祝いをごはんだけにしたり、少し派手にしたり、いろいろあるようですが、今回はかなり大きめのパーティーだったのではと思います。

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お家の2階の半屋上のようなところに椅子がぎっしり。

市役所の同僚数人にも会ったりして、これも良い機会でした。

 

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肌寒い日が続いていて、珍しく風邪を引いています。高熱を出したことはエクアドルで2回ありますが、どれもすぐに下がって、風邪という症状ではなかったので、逆にいうと初めて、一般的な風邪の症状、咳と鼻水と少し熱が。早く治るよう、家ではかなりゆっくり過ごしています。

日本はこの前の大雨洪水の被害と、酷暑の影響が心配です。エクアドルでもどちらもニュースになっています。洪水被害地域の1日も早い復興を願っています。熱中症にはお気をつけて。

 

1年

2017年の7月6日に日本を出発してからちょうど1年が経ちました。過ぎてみると早かったかなというかんじがします。でもあと半分あると思うと、これからどう感じるのかまったく想像がつかないな~というかんじもします。後半の1年はこれまたどんな1年になるのか、たのしみです。理解不能なことも毎日たくさんあるけど、エクアドルを知れてよかったと思える日々を過ごしているので、きっと魅力あふれる国です。

 先週の金曜日は街の一斉清掃活動、通称「minga(ミンガ)」が企画され、私も参加。みんなと道路を一緒に掃き掃除。うちの部署によるものなので、もちろん参加者は同じ部署の同僚たち。これが市民全体になったらどんなにいいことかと思うけど、それはまた別問題で、これからも考えていかないといけないです。まぁでも顔なじみの同僚たちと過ごせる良い機会でもあるので、これはこれでたのしんでいます。

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いくつかのグループに分かれ、普段は8時始業のところ、7時からに前倒し。ただ、この掃き掃除、一番は道路脇に溜まった泥や土、砂を取り除くのがみんなにとっては大切で、途中私はプラスチックごみを拾ったりもしたけど、すぐに意味がないことに気づきました。なぜかと言うと、最終的にはショベルカーが来て、点々と積みあがった土や雑草の山をかき集めていくのですが、その土をどこに持って行くのかと思いきや、他の舗装されていない近くのわき道にならしていました。ってことはごみを集めても、そっちに捨てられるだけなので、意味ないなと思い、途中で私はやめて、みんなと同じように土や砂埃メインで掃いて掃いて掃きました。いつか改善提案しないといけません。

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その後お昼過ぎまで掃き続け、みんなで上司が頼んでおいてくれたお昼ごはんを近くの食堂で食べ、解散。その後は物品の後片付けを手伝ったりして、朝に前倒しで働いた分、午後からはもうお休みモードに。1時間早めにみんな帰宅。ごみ回収組の同僚たちは昼食後午後の回収を頼まれ、少し不満そうにしながらも、回収に繰り出していました。私のカウンターパートである上司はまだ残ってお仕事をしていました。エクアドル人には珍しくいつも残ったりしています。

 

そしてこの土日はひさしぶりに任地でゆっくり過ごしました。土曜日はちょうど2年目の始まりの日だな~ということで、ふと思い立って、部屋を大掃除。夕方からはいつも遊んでいる(遊んでもらっているとも言う)ステイ先の娘の子どもに呼び出されたので、お家に行って遊ぶことに。そのおうちに向かう途中、歩いていると知り合いが道端で飲み会を開いていて「ビール飲んでけ!」と声をかけてもらったので、ビールを1本ごちそうに。ごみ回収車を運転する同僚の友達ということで顔見知りになった人に久しぶりに会って、話したり、なんだかんだで1年経って、任地でこういう何でもない日常があることに感謝というかんじです。日曜日も家でゆっくり。夕方からは恒例の集まれる家族が集まってのカカオの実からのチョコラテ作り。もちろん私もお手伝い。作っている途中で、ミサの時間になって、お母さんはいったん途中退出。そして残りのメンバー、お父さんと娘2人、私で何とか終盤戦に持って行き、娘が仕上げ。夕食(こっちは夕食は日本に比べると軽めです)に作りたてのチョコラテとパンでミサ帰りのお母さん含めみんなで軽い夕食。

この週末は他の隊員の任地で日本祭りがあるからと、何人かはそちらに遊びに行っていたので、私も行こうかギリギリまで悩んだのですが、やはり私の任地からは遠く、移動もタイトだな~となんだかゆっくりしたかったので、私は任地に残りました。もちろん1年経ってまだまだ知らないエクアドルの他の場所を知りたいという気持ちを持ちつつをも、あとはなんとなく、ステイ先の家族との時間をはじめ、任地でしかできないゆるい過ごし方も大切にしようと最近は思ったりもしているので、この週末はそういう過ごし方ができて、よかったです。f:id:reikomiyahara:20180709160053j:plain

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さてさて、南半球に位置する私の任地では今、冬を迎えています。もちろん日本の冬のような気候ではないので、ふだんは冬であることを私は忘れて過ごしていますが、みんなとの会話の中で、「今は冬だ」という会話が出てくるので、私はその度に冬であることを思い出しています。冬でも、昼間太陽が照っていい天気だと、日差しも強く暑いですが、それでも雨が降るとけっこう肌寒くなったり、夜は涼しいなと感じることもあります。これが私の任地の冬です。任地の冬は雨も多いです。エクアドルにはおそらく天気予報がありません。毎日ニュースは放送されているけど、天気予報の時間もなさそうだし、新聞などにもその手の欄は目にしたことはない気がします(ちなみに星占いはエクアドルにもあります。)専門的な何かで必要とされて、その手の分野で働いている人もいるかもしれませんが、ふだんのみんなの生活には天気予報は特に必要とされている感じはしません。日本で天気予報を頼りに過ごしていた私にとっては、任地ではみんなが気象予報士で、みんな雨が降る前に教えてくれます。日本人の私にもはっきり「あ、雨が降るな」と分かる空模様のときもありますが、同僚と歩いていて、私には全く想像がつかないときに、「たぶん雨が降るよ」と同僚に言われ、数分後いきなり曇って雨が降ってきたときは予知能力を持っているのかと驚きました。1日の中で雨が突然降ったり、すぐ晴れたりするので、日本の天気予報のように傘を持って行こうとかそういう計画性はできないのですが、基本みんな傘を持たないし、よほど強い雨でないと傘を使うという習慣もないので、その部分はみんなにとって重要ではないと思われます。この傘を使わず、濡れるという習慣は私にはどうしても慣れない部分ですが、みんな濡れるということに対して抵抗感をあまり持っていないというかんじもします。すぐ晴れて、すぐ乾くということなのか、ただ気にしないということなのか、よくわからないけど、ここの人たちはそうやって過ごしています。

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市役所からの帰り道の虹の空。よく見ると二重です。

MUSICA

タイトルはスペイン語で「音楽」という意味です。ほぼ英語と同じで似ています。読み方は「ムシカ」。ありがたいことにエクアドルでも細々と音楽を演奏する機会に恵まれているのでその話を少し。

この前の国内研修の記事でも少し紹介しましたが、エクアドル隊員には私が到着したときから余興隊というのがあって、何人か楽器を演奏する人たちの集まりがあり、到着したときから入れてもらっていました。

到着したときのメンバーは、三線(環境隊員)、キーボード兼歌(音楽隊員)、ギター(幼児教育隊員)、ケーナ(コミュニティ開発隊員、ケーナエクアドルの縦笛。この人は私の同期ですが、学生時代の吹奏楽経験を生かし、エクアドルに到着してからケーナを始め、かなりのスピードで習得中)、ウクレレ(幼児教育隊員)、バイオリン(環境隊員)、私(フルート)といったかんじでした。このメンバーで機会があるときは演奏させてもらっていましたが、ここにこれまでに到着した隊員(防災隊員のフルートがもう1人、環境隊員のクラリネット)も加わり、少しずつ規模が大きくなっています。この中で三線とキーボード兼歌の担当者は私よりちょうど1年前から活動している先輩隊員。私がほぼエクアドルに到着して1年が経とうとしているということは、逆に言うと、この先輩たちは2年の任期を終え近日中に日本に帰ります。ということで、この先輩隊員たちにとって最後の舞台となった演奏は、グアヤキルで行われた「ISSEIKI」という先日参加したイベント。今年がエクアドル・日本が国交樹立100周年ということで開催されたもののひとつで、グアヤキルという最大の都市で行われただけあり、たくさんの人でにぎわっていました。主には、コスプレとかアニメとかそういう視点から日本を知ったという人が多そうなかんじでした。

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会場には盆栽のコーナーがあったり、野口英世のコーナーがあったり、お寿司のコーナーがあったりと、日本文化満載。私達JICAボランティアは日本大使館のスペースを一部使わせてもらい、習字と浴衣着付けの紹介。

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そして音楽隊としての参加。これまでは単なる余興隊と称していましたが、今回からグループ名も。その名も「Sushi Mixto」。いきなり先輩によって付けられたグループ名でしたが、私は気に入ってます。演奏曲は、「島唄」と「花」の三線をメインにした沖縄の曲、「どんなときも」(これはスペイン語訳の歌詞が出ており、これまでも私たちにとって定番の曲)、「花は咲く」、「Yo nací en este país」(「花は咲く」は日本の震災関連、「Yo nací en este país」はエクアドルの2年前の震災関連の曲ということでセットで演奏)、「上を向いて歩こう」です。

他にも剣道の実演、アルゼンチンの日系の子どもたちによる和太鼓演奏などなど演目は盛りだくさんでしたが、きっと日本人が演奏するというだけで、会場に集まる日本好きのエクアドル人にとっては興味が湧くのか、私たちの舞台もみんなすごく盛り上がってくれました。

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ありがたや~。練習不足なのは次の機会でリベンジするとして、たのしい時間を過ごせました。着付けも習字も忙しかったけど、たのしかったです。

今回の旅程は全4日間。1日目早朝任地出発。13時間かけて、この7月に帰国する三線担当の先輩隊員の任地トロンカルへ。ここで先輩隊員のステイ先のおうちで1泊させてもらい、2日目朝にグアヤキルへ。トロンカルからグアヤキルはバスで2時間ほど。

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コスタ地域のバナナ農場の景色が広がります。お祭り1日目を終え、この日の夜はグアヤキルに住む日本人の方のお宅で夜ご飯をごちそうになりながら1泊させてもらい、次の日のお祭りにもブースのお手伝いと音楽隊の参加。

その日の夜にグアヤキルのホテルにみんなで1泊して、私は任地に戻るため4日目早朝出発。やはり私は移動時間が今回集まった他の隊員に比べ桁違いですが、まぁこれも今しか味わえないことかな~と乗り物に乗るのは好きなのでたのしんでいます。

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グアヤキルで泊まったホステルからの夜の風景。

グアヤキルエクアドル一の大都市ですが、訪れる時はやはりいつも観光の一つで行くので、なかなかこのあたりの人々の生活の実態を見ることはできませんが、大都市だけに貧富の差が大きいことも感じられます。

 

お祭り会場にいた野口英世野口英世が黄熱病の研究をエクアドルでもしていたということで、エクアドルと少し縁があります。今年の100周年関係のお祭りでも大使館などがかなりフューチャーしています。私が子どもの頃に一番読んだ伝記は野口英世の本でした。なつかしい。それにしてもけっこう完成度の高いコスプレ。

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会場で開会セレモニーそっちのけで、私たち隊員の似顔絵を描いてくれた女の子と。習字の筆で描いてたけど上手。

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 さて、任地では、学校が夏休みに入るため、少し前から学期末試験のようなものが始まっていて、そのため、週に1回行っていた学校への訪問もお休み。そこで以前からやりたいと思っていた最終処分場の脇にある栽培所の活性化作業を始めました。2人目のカウンターパート・マヌエルと。これもどこまで続くかわからないけど、私も何もやることがないよりはいいので、行ける時は処分場に行っています。

そしてそしてワールドカップ、ここでも盛り上がっています。何より日本すごかった!このグアヤキル期間中にはセネガル戦、任地に戻って、ポーランド戦とベルギー戦。ベルギー戦はエクアドルでは午後でした。冗談っぽく上司に「午後は試合後に来るね!」と話したら、大丈夫そうな雰囲気だったので、お昼ごはんを食べたあと、2時間半だけ家でステイ先の家族と観戦しました。みんなにバカにされまくっていたけど、試合後、何人かから「日本はいい戦いだった!」と言われました。私もほんとにそう思いました。ベルギー相手に2点も。こちらの生中継でも途中から「siempre peligro, Japón」(常に日本は危険だ…)と実況が入るようになりました。

日本のベルギー戦は職場のみんなと「賭けるぞ!」と持ち掛けられ、向こうも日本は負けるという予想でふっかけてきてる感が満載でしたが、物はパン10個とコーラだったので承諾。でも予想以上に熱戦でした。みんなにパンとコーラを振る舞い、私のワールドカップ2018は終了しましたが、一応今後もみんなと見守っていきます。エクアドルは南米の国ということで、現在コロンビアとブラジルとウルグアイを応援中。

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