¡¡Japón!!

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先日、日本へ一時帰国しました。 行き、日本へ向かう機内の中。

改めて感じたのはやはり日本は遠い…ということ。エクアドルと日本は約14,600km。エクアドルからアメリカが5時間、アメリカから日本が13~15時間ということで、乗り継ぎも入れたら&自分の任地までを入れると1日以上。特に帰りはキトで休まず、空港内で任地近くのカタマヨまで行く国内便を6時間ほど待って、早朝便で帰り、ロハの市役所へ立ち寄るという用事もあったので、疲労はマックス。それでも無事に任地まで帰ってこれてよかったです。エクアドルに着いたときに、ロハで荷物運びを手伝ってくれた同期、ありがとう!ただ、逆にこれだけ遠い地球の裏側同士の国に飛行機で1日ほどかければ、行けるということにも驚きです。

そして約1年2か月ぶりの日本は思ったよりも暑かったけど、トイレットペーパーは流せるし、お風呂のシャワーは強い温水で、日本のお米はモチモチしておいしくて、生卵も生魚も食べられて最高でした。この期間に会ってくれた方々はありがとうございました。また今回お会いできなかった方々にはまた本帰国の際にゆっくりと。また今回の帰国の間に2つも友人の結婚式に出席することができ、よかったです。2人とも本当におめでとう。

そして事件といえば、成田空港でエクアドルに帰国する際、日本の出国審査を通り、中で少しゆっくりしていたとき、まさかのスマホが壊れました。出国審査前のお店がたくさんある空間だったらなんとか探して緊急で買っていたかもしれませんが、すでに出国審査済。しかもバッテリーがあったかくなってしまっていたりして、少しビビり航空会社のスタッフの方に相談したりと、バタバタでした。代替品をそこで探すという選択肢も時間もないまま、搭乗。けっこう焦った出来事でした。

 エクアドルの空港には夜到着。日本の10月の気候よりも2800メートルのキトの夜は寒かった~。

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それでも今回エクアドルにまた降り立ったとき、着くまでは「また外国に来たな」という感じがするのかもと思っていましたが、どちらかというと「帰ってきた~」というかんじがすごくしました。こんな風には感じないと思っていたので、やはり1年以上住むとそうなるものなんでしょうか。キトの空港に降りて、エクアドル人の顔を見たら、なんか少しだけ懐かしくも感じ、日本よりは多人種とはいえ、これも1年以上エクアドル人を見続けているとこう感じるのかとも思い、少しおもしろかったです。

キトからカタマヨまでの国内便。早朝便は日の出の時間とかぶりるため、いつもとてもきれい。

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f:id:reikomiyahara:20181018064344j:plain見えてきたカタマヨの街。ここからはすべて陸路移動になるためやっと一息。

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ここの空港を出たときにやっと帰ってきた感がありましたが、カタマヨに住む同期が迎えてくれたのでうれしかったです。彼女とこの日の午後ロハで別れた時がなんだかすごく寂しかった。また日本人1人の環境に戻るんだなとここでやっと実感。

さて、先日一時帰国した際に、ある方から「エクアドルにある習慣などで、日本もそうだったらいいのになぁ…と思ったところはどんなところ?」と質問してもらったのですが、そのときに答えたことが、少し自分の中では不十分だったというか、もっと他にいろいろあるかも…と思い、改めて考えてみました。

ちなみに近隣に住む隊員の意見も少し参考にさせてもらっています。

 

まず、私がそのときに答えた内容は「意見をはっきり言う、意見交換が活発」という点。もちろんこれもひとつだと思います。こっちとしては怒ってるんじゃないか、とか怒らせるつもりで言っているんじゃないかということもはっきり言うので、そういう風にわかりやすく相手にどう思われるかなどを気にせず、自分の感情や意思を言葉で表現することはいいことだと思います。まぁ言われた相手も流してるだけという部分もあると思うので、それも含めて良い意味でほんとに気にしないということで、日本と比べると、収まってるんだと思います。

 

そして、もうひとつ思ったこと、これは一番に他の隊員も言っていましたが、家族とのつながりを大切にすること。きっとエクアドル人にとってはいつも家族でいることが当たり前なので、他の国に比べて自分たちが家族を大切にしている、とか、家族のつながりが深いなどとは思ってはいないかもしれませんが、確実に家族のつながりは深いです。みんなで一緒に生きている感が強いし、それが伝わってきます。もちろん子ども、兄弟が多く、家族が多いというのも自然とそうなる理由だとは思いますが、それでも一番は家族でいることが普通という点。金銭的な面でも外で働いている人が限られていたりするというような結果、一家族ほぼすべて同じお財布というような概念もあるのか、そのあたりは個人差や各家族の差はあっても、明らかに日本とは異なる習慣です。日本人がその部分を含めて良いと思うかは別ですが、家族みんなで過ごす時間が多いのはとても良いことで、すごいことだと思います。

 

あとは、人に話しかけるハードルが低いということ。道で困っていたら話しかけてくれる、何かお節介を焼くということは日本よりも多いですし、偶然隣になった人と話すということも普通。圧倒的に多いです。こうやって、何も余計なことを考えず、知らない人でも人との会話を楽しむというところは素敵だなぁと思います。こういうところには明るくていいですよね。

 最後。それは、個性が大切!という文化です。これも個性が大切ということを一人一人が意識して重んじている訳ではなく、おそらくただ自分は自分、他人は他人という考えがはっきりとしている人種なだけ、なのかもしれませんが、それはそれでわかりやすくて良いです。性差別や人種差別、いろいろな差別が日本で問題になっていることを考えると、あまり彼らに差別という観念はないように感じます。ここからは日本にはもちろん馴染まないし、世界標準で考えたらありえない!と言われてしまうことにもなり得ますが、ひとつの例として「人を呼ぶとき」。エクアドルではみんな平気で身体的特徴や外見、見た目からなるあだ名を使います。例えば、肌の色(黒色、白色、いわゆるヒスパニック系の肌の色など、ちなみにエクアドル人からは、私たち日本人は黄色人種の黄色ではなく、白色に分けられます、各民族の名称、髪の毛の色(自然の金髪の場合)、毛質(天然パーマの場合)、目の色(青色の目の場合)、目の形(細めの場合)、太っているか痩せているかなどです。着いてすぐの頃は、ほんとにこの習慣は慣れなくて、嫌いでした。なんでわざわざそんな風に呼ぶのか理解できなかったし、人のことを呼ぶには雑でお行儀悪いなとか思ってましたが、見ていると言われた方は一切気にしてなくて、嫌がっていない。それにちゃんと自分が呼ばれたことを認識しているので、彼らにとっては当たり前のことなんだと理解するようになりました。そしてその特徴をどう感じているかという以前にその特徴をその人の個性として認めているということが伝わってくるようにもなりました。個人個人が自分の特徴に自信を持っていたり、自分のアイデンティティとして捉えているということを感じたからかもしれません。また、呼称の語尾を変形させることで、丁寧な呼び方にしていたりもするので、彼らにとっては、大陸文化と混ざってきている分、周りにはいろいろな人、いろいろな民族の人がいて、あなたはこういう特徴を持っているんだね。と認めていることを表現しているだけで、だからどう…とかまでは決して深く考えていないということがわかるようになりました。これがわかる前は「感じ悪いな、イジワルだな」と思っていましたが、今はふつうになりました。

それはそれで細かいことを気にしていないんだなという点でいいなとも思いますが、だからといって他の国でも通用するかと言ったら少し違うのかな、少なくとも日本では受け入れられない習慣だとも思っています。今だに私は「チニータ!」(中国人のように目の細い顔の人ということを意味している呼び方)と呼ばれるのはあまり好きではありません。ちなみにエクアドル人同士でも、少し細めの目をしている人にはこう呼びます。私を日本人だと知っている人が言ってくることはさすがにないので、結局のところ通りすがりに知らない人からとか、そういうことが多いです。確認する前に違う国の人までを「中国人」という風に括っていることは失礼だよと思ったりもしたり、コソッと言われると陰口みたいで「感じワル~。」と感じたりもします。同期が私の任地に来て学校で子どもたちとアクティビティをしたとき、日本人だと言っても私たちのことを「チニータ(相手が女性のとき)、チニート(相手が男性のとき)」と何回か呼んでいた子が教室の後ろにいたらしく、同期がムッとして、「私たちは日本という国の人で、中国人ではないんだよ。私が君たちのことをペルー人と呼んだらどう感じる?」と言ったら、明らかに嫌な顔をした子がいたとのことでした。もちろんこの子が嫌な顔をしたのはこの同期が自分たちを他の国の人として呼んだということだけではなく、わざとペルー人と呼んだという風に認識したことにも関係しているのかなと思います。それはペルーとの国境に近い私が住むエクアドル南部では昔、ペルーに領土を盗られたという考えがかなり浸透しているようで、学校でもそう教えていたり、大人がそう言っていたりする背景があるからです。実際この同期が住むエクアドル北部ではこんなことは今までなかったと言っていました。でもそんなこと言ったら日本と中国だって、同様に色々な歴史がある訳でそれにより私たち日本人が人によっては中国人と間違えられることを嫌う人も多いのかなとも思います。なので、結局のところこういう風にいろいろな混乱を招きかねない習慣でもある訳で、やはり国際的には難しい習慣だと思います。個性重視の良さがあるとはいえ、実際私も使い出すと相手を特定するのに役立ったりするので、きっと彼らにとっては生まれた時から普通にある過ごしやすい習慣だと思うのですが、これはあくまでも基本的なエクアドル人の性格を見て、エクアドル人同士でのみ馴染む習慣かもしれないということをここでは言っておく必要があります。そして、相手が人によってはどう感じるか、とか、国際的な歴史をそれぞれ考えると外国人には適さない習慣であることを少しでも理解できるエクアドル人が増えて、子どもたちにもそれが伝わっていけばいいなぁと考えたりもします。まぁもしそうだった場合、すでにエクアドル社会はそうなっているかもしれないので、これはもう変わらない、変わりようのない習慣かもしれません。少し話が飛んで、最終的には否定的な書き方もしたところはありますが、一人一人が個性!という点ではとっても自由で、そしてどう言われても気にしない、私は私で何が悪いの!というこの性格こそがミソだと思います。

次回は今回のこの一時帰国でキトに上がった際に、行ったところや活動見学をしたお話について書きます。では~。