paseo
paseoとはスペイン語で「お出かけ、お散歩」という意味です。ちょっとした旅行というかんじにも、少しそこまでお散歩というかんじにも使う、幅広いかんじ。
最近のパセオについて書きます。
まずは2ヵ月ほど前に行ったエクアドル海岸地域パセオ。エクアドルの海岸地域のことをコスタ地域と呼びますが、これまでは先輩の任地であるトロンカルという所やエクアドル最大の街・グアヤキルへの用事で行ったくらいで、あまり海沿いに来た!という所までは行ったことがありませんでした。
今回、グアヤキルに住む日本人の方にアテンドしてもらい、私を含めて4人の隊員でエクアドルの海にあそびに行くぞ!と行ってきました。
行った場所はプエルトロペスという場所。プエルト(puerto)とはスペイン語で「港」という意味で、海岸沿いの地域には今回行ったプエルトロペスのように「プエルト〇〇」という名前が付いている場所が多いです。
グアヤキルの中心地から車で3時間ほど行ったところからいよいよ海岸沿い。そこから少し山を抜けプエルトロペスに到着。
1泊2日のプエルトロペスの旅でしたが、朝から動いたので、内容はとっても充実していました。
着いて朝8時、朝食を食べて、少し浜を見ながら、港へ。そこから無人島「Isla de la plata」(意味は直訳すると「銀の島」)へ船で移動。エクアドルにはたくさんの珍しい動物が生息する世界遺産・ガラパゴス諸島がありますが、この島はミニガラパゴスと呼ばれているほど、貴重な種が生息しているらしい。私はそんなに動物に詳しくないし、貴重な動物をみて感動するのかな~と思いながら、島に上陸。ガイドさんに付いて、島を歩くと、いきなり見たこともない驚きの鳥に遭遇。その名も「アオアシカツオドリ」。その名のとおり、足が青い。しかもきれ~いな水色、ターコイズブルー。きれいで見とれる色です。
卵を温めています。
白いほうはまだ大人になる前、もう少しで親鳥と同じ色になるらしい。
ここは国の国立公園になっているだけあって、鳥たちの管理もしっかりされているかんじでした。ただ島の入り口の反対側の海岸沿いにはごみがたくさん流れ着いていたけど。
島を1周して、船に戻り、ここからは少しシュノーケリングとホエールウォッチング。私はほぼ初めてのシュノーケリングだったので、少し戸惑った部分もあったけど、きれいな魚たちとウミガメが泳いでいる様子を見ることができました。
そしてそしてクジラ!すごい迫力でした。まさかこんなに身近で見れるなんて思ってなかったので驚き。
ただ、行きも帰り激しい船酔いでかなり疲弊。小さいころいつもしていた車酔いも最近はほぼなくなったので、いけるかな~と楽観的に構えていたけど、やはり船はまったくダメでした。ほんとに死ぬかと思うほど気持ち悪くて、途中クジラが見れない瞬間もあったのが残念だった。一緒に行ったボランティア仲間と同じ船に乗っていた欧米人グループはだいたい大丈夫そうでした。みんな強いな。次回以降の船は必ず酔い止め飲もう。
そして夜ごはんには海鮮を食べて、海沿いをたのしみ、翌日早朝、港で魚を仕入れて帰路に。
帰りに寄った「Montanita」(モンタニータ)という海岸。ここは外国からもサーファーが集まるという、ファンキーな街。でも佇まいはなんだか東南アジアを感じさせる雰囲気でした。
他のボランティアも合流し、みんなでグアヤキルのお家でお昼ごはん。そして翌日朝に任地に向け出発。船酔いを除けば充実した3日間。海沿いの自然も見に行くことができて、すてきな体験でした。
そしてもうひとつは最近のパセオ。
先週の金曜日は、市役所内でのイベントパセオがありました。これは半分は「大人の社会科見学」、もう半分は遊びです。市役所の健康管理室のような部署と観光課が開催、ふだん市役所の職員たちは仕事によるけど、オフィスワーク中心になる人も多いので、少し出かけましょうという趣旨なのかなと理解。8月頃から毎週金曜日に開催されています。そしてちょうど先週が私が組み込まれた週。
これは同じ市役所の他の部署の仕事紹介と観光場所の紹介も兼ねていると思われます。まず市役所を出発し、下水道管理課が管理する水のタンク施設へ。
施設と言っても、水のプールがあるのは屋外、人が働くところに少し屋根が付いていたりというようなイメージでした。でも見ると、もちろん浄化するところでは機械のようなものが置かれていたけど、その他、水がそれぞれ溜められるプールのようなところや流れていくところではまだまだ人力が駆使されているんだろうなという印象でした。これでは少し大雨が続いたら、断水するのもわかるかも…と私は感じました。
そして続いて、市役所が管理する屠殺場へ。ここには前に一度訪れたことがありましたが、今回はこのパセオ用にしっかり見せる仕様になっていたので、いろいろ仕事を見ることができました。
そして次はいよいよ私たちのホームでもある最終処分場へ。
前も他のグループが回る日に私がたまたまここに居たことがあって、そのときもそうでしたが、やはり処分場に来ると他の場所とは少し違うニオイ、特にコンポスト場のあたりは生ごみのニオイもするので、このニオイに慣れないとみんな顔をしかめたり、早々に車の方に戻っておしゃべりをしている人もいました。これは水タンク施設でも同じで、みんな早々におしゃべりを始めて、同僚が話してくれる説明を聞かずにひたすらおしゃべりをしている人もいました。日本だとここまで直接的に「私の興味のないものは興味ない」とわかってしまう行動や態度はそこにいる相手のことを思うと少し憚られますが、あまり「思いやり」という概念がないので、彼らにとってはふつうのことなんだろうと思います。それに実際にこの水タンク施設にいた同僚は仕事の説明しながら、「俺はあの態度は好かない」と話していたりと、こういうところからもほんとにここでは「みんなで」「みんなと」という概念は薄く、それぞれの願望のままに動いて、それに対して自分はどう動くかどう述べるかも自由。個人主義です。こうやってその場その場ではっきり好き嫌いを表現できるところは私ももう少し見習ってもいいのかもしれません、もちろん場面場面によってだし、日本ではもう少し空気を読む必要もあると思います。
この乗り物は「lanchera」(ランチェラ)と呼ばれており、市民の交通の足機能も果たしているバス。このパセオ用に1台市役所が用意してくれます。
そしてこの最終処分場までで午前中終了。午前中で市役所の仕事を知ろうのパートは終了し、昼食。
そして午後はハイキングへ。車で40分ほど登っていくと、滝スポットがいくつかあり、そのうちのひとつへ。今回行ったこのコースは私もまだ知らなかったコースだったので、今回みんなと行けてよかったなぁと思います。
昼食は滝の入り口の近くで。どのコースにするか話し合い、それぞれ自己紹介も。「中国人か?!」と言われたときの「ちがうよ!日本人だよ!」という決めゼリフの返し方があるのですが、そのやりとりを知ってくれている同僚がいたので、私の自己紹介時に、横から振ってくれます。そしてみんなで爆笑。
市役所の「trabajo de acción social」という部署があります。直訳すると社会活動の仕事ということになるのですが、見ていると仕事内容は、保育園の運営管理、高齢者介護施設の運営管理、障がい者と高齢者支援の活動というのが主な仕事のようです。ここで働く人たちが今回私たちのグループには多くて、市役所イベントの時はいつも駆り出されているイメージですが、前にもイベントのときに一緒に料理を作るのを手伝ったりして、顔見知りだったりしたので、今回もさらに顔見知りになることができてよかったです。
そして1時間ほどのハイキングコースの滝の様子。
自然大好きオジサンのsalomon!前にも一度紹介したことがあります。うちの部署の運転手さん。市役所で働く前は救急車の運転手さんだったそうな。
日本の友人が出発前に餞別でくれた長靴ブーツ。これがここで大好評。任地では黄色の工事現場のおじさんが働くときに使うような固いがっちりした長靴しか種類がほぼないので、やはり特に女性に人気。
そしてコースを抜けて帰路へ。
そして昼食を食べた所に戻り、少しお酒を飲んで盛り上がる。踊りとね。
さてさて、9月も後半になり、学校での活動が少しずつ始まりそうです。
今日は新年度一発目、「primero de mayo」(プリメロ デ マヨ)という機関での授業を行いました。「プリメロ デ マヨ」とはプリメロが「1日」、マヨが「5月」。ということで日にちが学校名になっています。5月1日はエクアドルでは「労働・仕事の日」。このように、日にちが学校名になっていたり、通りの名前になっていたりすることがとても多い。ここは市内の教育機関のひとつで、市内でも一番大きい学校機関かなと感じます。エクアドルの学年制度は今もよく理解できていない部分も多いのですが、一応整理してみると、学校は1年生が6歳ころ(日本で言う小学校1年生)から始まります。その前に2年ほど幼児クラスがあるようです。そのあとこれは10年間続き、日本でいう中学3年になる歳まで、合計10年間educación basica(直訳すると基礎教育、日本で言う義務教育にあたると思われますが、ここでも義務化されているかは不明)があります。そのあとは高校(colegio、bachillerato)に行きます。高校は日本同様3年間。それでここが少し私には分かりづらいのですが、各基礎教育機関がそれぞれ10年間用意できているとは限らず、学校によって7年までとか8年までとかになっています。言い方を変えると1年生から始まる基礎教育機関は機関によって、7年までとか8年までとかしかありません。その場合、9年クラスや10年クラスがある教育機関に日本で言う編入のような形で継続して通うことになると思われます。今回私たちが訪れた学校も基礎教育8年生から高校3年まで用意されている大きな学校で基礎教育の途中からの学年と高校(colegio)が一緒になっている大きな学校。ちなみにそのあとは大学、日本とは異なり通常大学は5年通うそうです。大学で学んだと言う証明の称号を得るための活動、これにお金がかかると聞いたことがあります。なので、任地で見ていると、大学に行かずに働いている人も多いし、日本のようにアルパイト社会でもないので、それぞれの都合で大学に行かない選択をしている人も多いです。でもその場合安定した収入が得られる仕事には就くことは難しいと思われます。これは日本同様といったらそれまでだけど、大学に行かない人の割合は日本に比べたら相当高いと思います。
この6月まで私が週一の授業をしていた学校(ここは少し田舎の基礎教育機関)で会っていた子に今回行った学校で会い、「reiko~!!」と寄ってきてくれたので、話すと、この9月からこの「primero de mayo」に進級したんだとのことでした。
この授業をすることになった経緯は、前市長が現在ここで先生として働いていますが、この前市長が環境コースを1クラス担当していて、そこで週一での生徒たちとの活動依頼を市役所の私たちの部署にしてきたという経緯です。あ、ちなみにこの前市長さんはステイ先の義理の息子さん、ステイ先の長女の旦那さんでもあります。
今日の様子。