女性の日

3月8日は国際女性デー。ここエクアドルでも女性の日「el día de la mujer」としてお祝いされていました。

日本ではなじみがなかったので、私自身恥ずかしながら国際女性デーの存在を知らなかったので、貴重な、新しい経験でした。

お祝いの言葉は「Felíz día‼」(フェリス ディア…日本で言う「おめでとう」)です。女性から言われたら、「Felíz día‼」と返して、ハグしたりして、一緒にお祝いをし合います。男性から言ってもらったら、「Gracias」(ありがとう)と返します。

日ごろの感謝を女性に伝える日という趣旨で、お祝いしてもらえます。

午前中からお昼過ぎまで、同僚の仕事に同行していて、出かけていたので直接は会えなかったのですが、午後戻ると、机の上にお花とチョコレートが。前にうちの部署に大学生インターンとして来ていたジョニーが里帰りしているらしく、置いていってくれたとのこと。きのう歩いていたら、偶然彼に遭遇したので、改めてお礼を言うことができました。

 

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市役所内でも夕方に女性の日のイベントが実施されました。他の部署のイベント主催者が私にも声をかけてくれたので、参加させてもらいました。ここでもお花をもらい、市長などの簡単なお話のあと、コーラとケーキが振る舞われました。

 せっせと用意をする男性陣。ちなみに一番左は前のカウンターパート・オルランド。部署を離れても、私のことを気にかけてくれます。

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ステイ先の家族でも男性陣から、「Felíz día‼」と言ってもらったり、女性陣同士で言葉をかけあったり。

そして夜には、他の部署の女性が誘ってくれて、discoteca(ディスコテカ)に。日本でちょっと飲みに行こうとなると、お酒を飲めるレストランや居酒屋でごはんやお酒を楽しみながら、話して盛り上がるというのが一般的かなと思いますが、ここではとにかく踊り・踊り・踊り!ディスコテカに行こうとなります。ステイ先の家族が誰もいないメンバーでディスコテカに行くのは初めてでしたが、みんな親切でたのしかったです。そして行ったら、家族の長女が夫婦で来ていたり、次女の旦那さんなども別グループで来ていたりと、偶然会ったりもしました。

 

キリスト教という文化、歴史的にも欧米の習慣が入っているということもあるとは思いますが、女性の存在の大きさを感じます。あとは世界に共通して女性はいろいろな意味で強いなぁと。特に南米の血が流れている女性たちを見ていると、本当にそれを感じます。

ちょっと話は逸れるけど、「mandarina」(マンダリーナ)という言葉があります。意味は一般的には「オレンジ、ミカン類のフルーツ」を指します。エクアドルでもとても一般的な果物。でももう一つの意味があって、「家の中で奥さんや女性の尻に敷かれている男性」という意味もあります。辞書には載っていないけど、任地に来て一番最初に教えてもらったほどここではよく使われています。

いいタイミングで使うと、かなりウケます。あとは誰かが「こいつはmandarinaだからな~」と言っているのを、「あなたはmandarinaなのね!」と繰り返すだけでも、みんな笑うくらい、親しまれている言葉。他の中南米の国で使うかはわからないので、エクアドルに来る機会があったらぜひ使ってみてください。きっとかなりの確率で笑いを取ることができるはず。

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市役所の女性陣で記念撮影。集会の最後に撮影しました。最前列にいる1人の男性が、Bladimir Armijos Vivanco 現市長。

araña

タイトルのarañaはスペイン語で「蜘蛛」という意味。

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これは蜘蛛のおもちゃ。大きいし、手触りは少しベタベタするかんじでおもちゃの人形とはいえ、けっこう気持ち悪い。1週間前にあったお祭りの露店にあって、ステイ先の末娘の子ども、4歳の男の子がこれにリアルに怖がってるのをいいことに面白がって、ステイ先のお母さんが購入。休日にゆっくり起きて、完璧に気を抜いて朝ごはんを食べていたら、いきなりうしろからこれが飛んできて、びっくり。飛ばしてきた犯人、ステイ先の息子に大笑いされる。こういうかんじで、ここ1週間、ステイ先ではこれを使っては大人たちもみんなで驚かせてあそんでいる、ステイ先にはそんな一幕もあります。

 

これまではエクアドルに来てからのことだけを書いてきましたが、今回は私が協力隊に参加するまでの経緯も記しておこうかと思ったので書きます。

 

私は協力隊に参加する前は会社員をしていました。大学卒業後、一般企業に就職し、忙しいながらもたのしくOL生活を送っていました。最初のきっかけとなったのは、あるつながりで知り合いだった同じ会社の4つ上の先輩が協力隊に参加するということで退職されたこと。出発前に部屋を整理していたら、自分では一切覚えていなかったけど、大学入学時に購買部に置いてあった協力隊のパンフレットが出てきたので、きっと学生時代から知らず知らずのうちに関心を抱いていたんだろうなと思いますが、海外経験もないし、外国語も特別できる訳ではないし、何か資格や専門技術がある訳ではないしなぁ、と勝手にあきらめていました。そもそもこのときはまだまだ2年間も途上国に住むということもあまりピンときていなかったのかもしれません。でもその退職された会社の先輩の話を聞いたとき、もしかしたら私も参加できる可能性があるのかも…なんて思いを少しだけ抱いたことは覚えています。ただ、そのとき私は社会人1年目を終え、やっと2年目になるとき。職場の仕事もまだまだ理解できてないし…と、退職するという選択肢は一切なく、業務を習得することに専念していました。そこから2年目、3年目…とあっという間に月日が経ち、気づいたら社会人4年目。そしてその夏にそれまでずっと体調を崩し治療していた祖母が亡くなりました。亡くなる前、日に日に弱っていく祖母を見ていて、これまでこんなに近くで人間が弱くなっていくというか、死に近づいていくのを見たことがなかったので、このときはじめて「あ、人ってこうやって亡くなっていくんだなぁ…」とこの歳になってやっと経験しました。私の中ではそんな出来事があって、いずれ私もいつか亡くなる訳で、そのときに「あれをやっておけばよかったなぁ…」とか「あの選択をしていたらどうなっていたかなぁ」とかベッドの上で後悔したくないなと思うようになって、そのときに「きっとこのまま過ごし続けたら、協力隊に参加したかったと後悔するんだろうなぁ…」という思いが少しずつ強くなっていきました。幸い会社では人間関係に恵まれて、感謝すべき環境なのはわかっていたのですが、私の中では今のこのタイミングじゃないと参加はもうできないなということも思って、さんざん悩んだ結果、「応募するだけ応募しよう。」と決めました。もちろん受かるかもわからないけど、「どうせ応募するなら最大限できるだけのことはして、それで落ちたらあきらめられるな」と。このとき社会人4年目の秋。協力隊の応募は年に2回、春と秋です。そのとき私にとって次の応募のチャンスは社会人5年目・2016年の春。落ちても何回もだらだら受け続けるのも嫌だったので、2016年の春と秋だけ受けようと決め、少しずつ準備することに。TOEICを受け直したり、健康診断に向けて食生活を気を付けたり、応募書類を少しずつ書いたり。協力隊の選考は1次が書類、2次が面接の2回で合否が決まります。書類選考は前述のとおり、TOEICのスコア(高校卒業程度のスコアで応募可能で、点数が高いから優遇されるという訳ではなく、JICAが提示する最低限のラインをクリアしていれば大丈夫なようです、もちろん応募する活動内容や国に応じてですが)、健康診断表、自己PR書類、履歴書などでした。書類の準備はけっこうなボリュームがあって、健康診断にはお金もかかるし、ちょっと応募してみようかな~とかで応募できる量ではありませんでしたが、なんとか期日までに完成させて、投函。なんとなく、もうこの時点でできるだけのことはしたし、書きたいことも書いたので、これでダメだったら秋受けなくてもいいかもな~なんてことも考えていました。少し忘れたころに結果が届き、内容は2次選考の案内でした。そしてたしかこのときに会社の上司にも話したっけ。もちろん受かった訳ではないですが、可能性として合格した場合、会社を退職しなければいけないですと伝えました。

2次選考の面接は平日。会社休めなかったらしょうがないなと思いつつ、でも幸い問題なくお休みをもらうことができ、面接当日。内容は「人物面接」と「技術面接」と呼ばれる2回の面接を同日に行います。人物のほうは基本的なこれまでやってきたこととか志望動機とか。「技術」のほうは応募した職種に適合しているかどうか。面接は少し難しいなと感じる場面もあったけど、それでも最終的には良い雰囲気で話したいこと、伝えておきたいことは全部伝えられたから、このときもこれで落ちたらしょうがない!と思っていました。学生時代の就活で嫌になるほど面接を経験しておいてよかったとこの時ばかりは思いました。

そんなこんなで無事受験が終わり、ほんとに忘れたころに結果が届き、届いた書類は開ける前からなんだか重たそうな一式。もしやこれは…と、開けると合格書類でした。あまり信じられなかったので、何度も見返した覚えがあります。2016年の夏に結果を受け取り、2017年4月から訓練に参加してくださいという通知。家族とは少しモメましたが、その時はほぼ押し切って参加を決め、訓練が始まる直前の3月末に5年間お世話になった会社を退職しました。

そこからはあっという間で訓練所ではたくさんのおもしろい出会いがあって、3か月間の語学訓練を無事に修了し、自治体への表敬訪問、家族・友人と過ごして、2017年の7月6日に日本を出発し、アメリカ経由の合計24時間のフライトでほぼ日本の裏側、遠い遠いエクアドルにやって来て、今私はここで生活している訳ですが、ここまで来るのにたくさんの人の理解と協力があってここに居れることを忘れないようにしようと思います。

 

駒ヶ根訓練所近くの桜。

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 訓練たのしかったなぁ。みんな元気かな。

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生活するっていうのは旅行するのとは訳が違くて、価値観も習慣もすべてが違う人間がひとりそこのコミュニティに入るということはすごく大変で、入り込めば入り込むほど、はるかに私の想像を超えて、泥臭いこと・嫌なこと・びっくりすること・辛いこと・いろんな人の思惑が絡み合ったり、いろいろな見方をされて、冷静に自分の置かれている環境を見ると、先が見えない暗闇にいるようなかんじもします。ふだんは感じないようにしていますが。任地にやって来て半年、まだまだ残りがあるので、一度ここで、参加するまでのことを思い出したりしながら、疲れないようにゆっくり過ごしていきたいなと思う今日この頃です。

お祭りモード?

カルナバルが終わり、街の様子も元に戻るかと思いきや、カルナバル後の16日から昨日26日まで街のお祭りfiesta(フィエスタ)が続いていました。夜にマラソン大会やスポーツ大会があったり、エクアドル人が大好きなミスコン、平日も含めて、何らかのプログラムが日々用意されていました。

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ラソン大会の様子。


なんでかと言うと、2月26日が「cantónヤンササの日」。それで26日を集大成として、その日に向けてかなり街は盛り上がっていました。26日の昼間には、それぞれ、学校や職場団体ごとに行われるパレードがあったり。私もお願いして、市役所チームの最後尾にこっそり参加させてもらって、車関係を扱う部署のおじさんたちと歩かせてもらいました。

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パレードの大トリ。


エクアドルの地方行政区分は、国→県→州→市→barrio(バリオ)という風に徐々に細分化されていきます。州のことをcantón(カントン)と呼び、cantónヤンササはヤンササ市をはじめ、いくつかの村のような田舎地域と呼ばれる教区分も持って、一つの州を形成しています。なので、「cantónヤンササの日」は、ヤンササが州化されて、市やいくつかのコミュニティが1つにまとまった記念日というかんじでしょうか。

ちなみにbarrio(バリオ)というのは市内の区画みたいなかんじです。任地や隣町のロハは、日本のような番地はないので、家を1軒1軒で特定することはできません。住所の特定はこのバリオや、道の名前で行っていると思われます。

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 パレード終了後、中央公園には人がたくさん。お昼ごはんの市民向けの炊き出しが出るとかでずっと待っていたんだけど、1時間待ってもなかなか始まらず、最終的にお腹が空きすぎたのであきらめて家に帰りました。

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「YANTZAZA」(ヤンササ)の文字の名前も今回のお祭り期間に完成。エクアドルの多くの都市には、その都市名をかたどったオブジェがあるのですが、任地にはずっとなくて、できるといいなぁと勝手に思っていたら、私が知らなかっただけで、今回のお祭りでお披露目するという計画がすでに前から計画が始まっていたようです。

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こっちは中央公園で夜に開かれたミスコンと野外フェス。

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そして選ばれたミスたち。ミスのことを、エクアドルでは「reina(レイナ)」(意味は「クイーン、女王」)と呼びます。この写真の奥の方で私は偶然会ったごみ収集の同僚たちと集まり、踊りの時間が始まるのを待っていました。

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そして、今回は「グァバ」についても少しだけ。乾季と雨季の任地では今だけが旬の果物らしいです。外見はこんなかんじで細長い。

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で、これを割ると中に白い実がぎっしり。

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この実をひとつひとつ食べるのですが、まぁまぁ大きな種が入っているので、まわりの少しの白い果肉を吸いながら食べて、残った種は出す。グァバの木にはこの細長いものがたくさんぶら下がって成っています。

この前久しぶりにごみ収集車に乗らせてもらっていたら、最終処分場につながる登り坂の脇にたくさんグァバが成っていて、いきなり「採るぞ!食べるぞ!」という流れになりました。彼らはトラックを止めて、トラックの上にヒョイヒョイと登って、木から採ります。私も彼らが採ってくれたやつを1本いただきました。前にも何回かステイ先や知り合いに連れて行ってもらった畑で食べたことはあったものの、やはり小さいころから食べ慣れているのか、男性ということもあり、ガツガツ食べ進めるので、私がやっと1本食べ終わるまでに彼らはそれぞれ5本くらい食べ終わっていました。ごみ収集車から種と皮を周りに広がる森に捨てるのですが、まぁ生ごみなので、果物の皮と種だから何か月後かには土に返るのでいっかと、私も仕方なく種は外に車から捨てました。

やっと1本食べ終えたところで、ちょうど収集場所のバスターミナルに着いたので、私はごみ収集車の中にちゃんと皮を捨てようかなと車を降りてうしろに回ったら、それはそれは汚いぬかるみに足を突っ込んでしまい、ため息。グァバを採るところから、車に登って、ひょいひょい採って、がつがつ食べて、さらりと捨ててというこの一連の流れ、ポイ捨てを含んでいるものの、さっそうとやってのける現地の彼らとはスピードが違いすぎて一人笑う。しかも挙句の果てには、ちゃんと捨てようとしたにも関わらず、ぬかるみに足を突っ込むというまぬけっぷりを発揮しながらも、まぁみんなと一緒にグァバをおいしく食べられたのでよかったです。別の日にはパパイヤを採って、途中の休憩ポイントで一休み。

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自然がたくさん。

 

そしてそして、先週末の土日にはロハのシニア隊員の3人がなんと私の任地に遊びに来てくれました。

この土日もお祭りが開催されていたので、それを少し見学しつつ、滝を見に行ったり、任地に流れるサモラ川のつり橋を歩いて渡ったり、またロハとは違った景色を見てもらえてよかったです。ステイ先の家族やお祭り会場で会った同僚や知り合いにも少し紹介できました。最近雨が多くて涼しい日が多い任地も、この土日はカンカン照りでいいお天気。オリエンテの気候を存分に感じてもらえました。

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お祭りのプログラムのひとつ、牛の品評会。最後までは見れませんでしたが、コンテストのようなかんじで、一番美しい牛が選ばれていた模様。

とまぁこんなかんじで、カルナバルに始まった街のお祭りモードが無事きのうをもって終了しました。

今日27日は振替休日で市役所はお休み。ゆっくーり過ごしました。そして2月も明日で終わり、3月がやってきます。

カルナバル2018

2月10日から13日までエクアドルではカルナバルが開催されていました。国全体がカルナバルモード。それぞれの都市ごとに街をあげて開催されます。

エクアドルのカルナバルはとにかく濡れまくります。ということで私も濡れまくりました。

エクアドルは雨季で、熱帯気候の任地でも昼間でも雨が降るとけっこう涼しかったりもします。カルナバル期間中は昼間は晴れていたので、日差しも照っていましたが、水を全身掛けられると、それでも冷たいし、だんだん寒くなります。「冷たい、寒い」はスペイン語で「frío」(フリオ)というのですが、でも会話の中で「寒い!」と言う時は、現地語を使うことが多いです。エクアドルの山間部シエラでは日常的に話されている現地語ですが、任地では特定の言葉に対してのみ使います。ケチュア語で「寒い」は「chachai」(チャチャイ)と言います。水を掛けられたらみんな「チャチャイ!」と叫んでいました。もちろん私も。

私のカルナバルは、10日は昼間街を歩いていたら偶然遭遇した市役所の同僚に彼の畑に連れて行ってもらったりして、特に家族もカルナバルには繰り出さなかったため、この日は家でゆっくり。11日から家族は濡れるモードに入りました。家でも子供を交えて水を掛け合ったりして、この日は夕方から夜にかけて隣町のサモラで行われているカルナバルに、12日は家族の中のパティという長女の旦那さん家族が集まっていて、パティのおうちでBBQ、13日最終日に任地ヤンササのカルナバルに家族と参加という流れでした。

パティのおうちで水掛け放題。BBQもおいしかった。

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任地の中の地域にchicaña(チカーニャ)と呼ばれる地域があります。任地の中ではまぁまぁ田舎のほうです。家からは車で15分くらいのところ。任地にはサモラ川という大きな川が流れていますが、ここにはサモラ川につながる川沿いの大きな広場があって、ここが任地のカルナバルのメイン会場。その名も「chicaña caliente 2018」。Chicañaは前述のとおり地域の名前、caliente(カリエンテ)はスペイン語で「熱い、暖かい」という意味です。おそらく気温も暑い、人々が盛り上がっている、南米人の情熱などをこのcalienteに掛けて名付けられた模様。川にもジャブジャブ入って、ステイ先の子どもたちと遊びました。野外フェスのようなかんじで常に音楽が演奏されているので、それでみんなで踊って、お酒飲んでというかんじです。横のほうでは、バレーボールとかのスポーツ大会も開催されていました。

水ももちろん掛けられるのですが、それ以外には泡スプレーとか、色のついた粉とかも掛けられます。幸い卵は飛んでこなかったのでよかったです。

水遊びしたい盛りの子どもたちにとっては最高のイベントです。特に泡スプレーは子供たちにも大人気。もちろん川に浸かっていたのもあり、少し濡れるとかではなくほんとにずぶ濡れ。水を掛けられるときは頭から、時々うしろからシャツの中にも注がれます。個人的に参加するまでは楽しめるかかなり不安でしたが、体験してみて私はとてもたのしかったです。1年に1回くらいなら、これだけずぶ濡れになるカルナバルを楽しみにできるなというかんじでした。

 会場ではずぶ濡れになるので、カメラや携帯を置いていっていたため、私が撮ったものではないのですが、少しでも雰囲気が伝われば。

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さて、最近思っていること。これまでは、「エクアドル人」の性格、考え方など、国全体の人間像として捉えるようにしていたところがあったけど、最近は「エクアドル人」という風に捉えるのをやめました。もちろん基本的な部分で違うところはたくさんあるけど、それでもみんなそれぞれいろいろな性格を持っているので、私と分かり合える人もいれば、そうでない人もいます。この先またどうなるかわからないけど、私はみんなと仲良くしたいというスタンスは忘れずに、みんなと友好的に接しているつもりですが、それでも向こうがこの私のスタンスに応じたくないのであれば、いったんしょうがないなと置いておくことにしました。日本人でもいろいろな性格の人がいるように、エクアドル人にもいろいろな性格の人がいるんだろうなということです。考えるとすごく当たり前なことなのですが、最近はこう考えて、私はマイペースに私と友好的に接してくれる人と関係性を築いていけたらいいなと思います。あとは、日本人と考え方が違うのは当たり前だし、違う文化を持っているので、ふだんは彼らの持つ異文化を楽しみながら、私らしく自分は自分でやっていきます。

国民投票

先週の日曜日、エクアドルでは国民投票がありました。内容は人選ではなくて、大統領の今の政策に関する信任投票みたいなかんじのようでした。7つの質問があって、それにSí(はい)、もしくは、No(いいえ)で答えます。Síは今の大統領政権モレノ首相を支持すること、Noは前大統領のコレア氏を支持していることを示すようです。市内にあるいくつかの学校が投票所になっていました。でも聞いたら、ステイ先のお父さんとお母さんは別々の投票所。それぞれ持っている自分の苗字で割り振られているらしいです。日曜の午後、お母さんが出かけたりしてお昼ごはんがみんなの分作れないと、外に食べに行くのですが、この日もお母さんが忙しかったので、昼食を外で食べてから、私は先に家に戻ったけど、お父さんと息子は投票に行っていました。まぁそれもあってか、街にはいつもよりさらに人が多かった気もしました。

投票は18歳~65歳の人に強制義務があって、みんなにとって選挙は「行かなければいけない」もののようです。棄権とかいう選択の余地はなさそうでした。ステイ先のお父さんに若者たちもみんな投票に行くんだねって言ったら、「obligación(義務)だからね。」って言っていました。投票すると、顔写真付きの投票証明書みたいなカードを受け取ることができます。これがきっとエクアドル人の人にとってはとても重要のようです。だからみんな投票に行くのかな。ステイ先の家族の中でロハの大学に行っているため、ふだんは任地にいない子どもたちも、この土日は投票のために任地に帰ってきていたし、ステイ先に遊びに来ては、みんなでニュースをつけて、夕方は開票速報を見ていて、とにかくステイ先の家族は政治の話をよく話しています。

エクアドルには日本でこの前できたマイナンバーカード制度のような1人1人が固有の番号を持つ身分証明書類があります。これがエクアドル人にとっては一番の証明書、「cédula」があります。セデュラと読み、身分証明などの公的な証書、証明書という意味。日本の運転免許証みたいにこれも顔写真付きでプラスチックのカードです。同僚に投票したらもらえる証明書もこのセデュラと同じような意味を持つのかな?って聞いたら、「そうだよ」と言っていました。

ちなみに「cédula」の証明書番号は、いろんな場面で言わなければいけません。スーパーで物を買うときも。市役所で各家庭を訪問したときは、訪問の証跡を残すためにサインをもらったのですが、このカードナンバーも一緒にもらいました。この番号は12桁くらいあって、割と長い。このカードには、番号と名前、出生地、人種(種族含め)、最終学歴もしくは職業、親の名前が書いてあります。任地出身の人は19から始まる番号、ロハは11から、キトは17からなどなど、おそらく出身県であたまの番号が割り振られています。これも前に家を回った時に、だいたいは19から始まる人、時々11から始まる人がいて、でもさらに稀に他の番号から始まる人がいて、同僚が訪問先の人に「〇〇出身なの?」みたいな話をしていたような気がしたので、聞いてみたらそんなかんじのことを言っていました。ちなみに以下のように、エクアドルには24の県があります。

 

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キトから戻り、部署での関係性が良くないと話をしましたが、やられて嫌なこととか、こちらとしては言われたことで、今後関わっていくのは無理かも…なんて思うほど嫌なことが続いた1週間でした。そのときは私ももう我慢の限界になり、ステイ先の家族にすべて話しました。ステイ先のお父さんには娘が3人いますが、長女の旦那さんは前市長さん。そういう経緯もあって、JICAボランティアや日本人にとても理解があります。わたしが家族に話したら、もちろん彼女たち夫婦にも伝わってこの前の土曜日に私の話を聞いてくれました。お昼ごはんを一緒に食べて、午後は家族みんなで川に。蚊に刺されまくりましたが、みんなで水に濡れて、楽しみました。前述の投票があった週末だったので、長女の息子たちも勢ぞろいでみんなで。なんかこう、職場で嫌なことがあったおかげで、ステイ先の家族たちのあたたかさをほんとに改めて感じられた週末でした。きのうも長女の息子、彼は中学生で日本語を勉強している日本大好きの男の子ですが、きっと彼なりに私のことを心配してくれているんだろうな~、私が家に帰ったら彼がいて、「気分はどう?」なんて聞いてくれて、直接私の話を聞いてくれました。市役所でも配属先以外の人たちが私に話しかけてくれるたびに、こういう風に私と挨拶を交わしてくれる人もいるんだなって逆に思うこともできました。2月中には一度事務所に任地に来てもらって、今後のこと、活動のことについて話し合う予定です。

 

そしていよいよ今週末はカルナバル(お祭り)です。代表されるのはブラジルのリオのカーニバルですが、ここエクアドルでも国中がカルナバルモード。なので残念ながら開催中の平昌オリンピックの話題はあまり注目されていません。エクアドルのカルナバルはとにかく濡れまくります。基本は水を掛け合う。派手な街では、通りすがりの車やバスから通行人とかにも掛けるらしい。だから友達だとか、知らない人だからとかも一切関係ありません。とりあえずそこにいる人に掛ける。日本人的には「オイオイ…。」というかんじですが、それをして楽しむのもまたここのカルナバルです。たまに小麦粉のような粉類や卵も飛んでくるそうです。すでに道では子供たちが水遊びを始めていて、きのうとおととい、道を歩いていると、2日連続で知らない子供たちに水風船や水鉄砲で水を掛けられ、私も洗礼を浴びました。無事にカルナバルを乗り切れるのか若干不安が残りますが、いよいよ明日から突入します。

任地でも気合いの入ったカルナバルのプログラムリーフレットが配布されました。

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Los tiempos

タイトルはスペイン語で「久しぶり」みたいな意味です。久しぶりの更新になったのと、2週間近く任地を不在にしていたため、久しぶりに会ったステイ先の家族や市役所の知り合いが私に言ってくれた言葉です。

 

さてさて、前述のとおり、1月後半は17日から首都にあがり、先輩隊員の中間報告会や環境部会に出席後、同期隊員の任地にいくつか見学に行って、日曜日に任地に戻ってきました。

中間報告会とは着任1年後に各隊員が行う活動報告の場です。カウンターパート同伴でスペイン語で行います。もう、見てるだけで、半年後の自分に何か話せることがあるのだろうか…と不安でしかありませんでしたが、今はまだ考えないでおきます。

事務所の新年会や在エクアドル日本大使館での新年会にも参加させてもらい、ここでも非日常の日本食に感動しながら、音楽隊としても参加し、楽しませてもらいました。

 そして首都から遠い南部隊員の私はこういうオフィシャルの上京の機会を利用しないと他のキト近郊の都市にも行けないなとのことで、キトに近い同期隊員の任地を3か所訪問しました。みんなエクアドル北部に位置する都市。どれもキトのバスターミナルからは3時間以内の都市で、首都へのアクセスの良さに改めて感動。1つ目はイバラ市。

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観光用?とかいう電車が1日に1本走るとか走らないとか。
ここはエクアドルの中でも大きい都市で、エクアドルで4.5番目の都市、幼児教育隊員が1人います。彼の配属先の幼稚園で幼児教育×環境教育×音楽のイベントを行いました。園のご希望で浴衣を着ました。

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ごみをごみ箱に捨てるアクティビティ

音楽や習字の紹介も。

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園の先生たちと隊員みんなで記念撮影。とてもすてきな職場。

翌日にはコタカチという都市、その次の日にはオタバロに移動して、どちらも午前中は同期隊員が活動する学校を見に行かせてもらい、午後は少し観光も。コタカチの学校では、一緒に行った同期の環境教育隊員と少しごみのお話をする時間ももらいました。コタカチという都市はこじんまりとした都市ながらも、インディヘナが多く、静かな穏やか、きれいな街でした。皮製品が有名なところで、また来たい!というかんじです。オタバロは今回で2回目。やっぱり市場や民族衣装が魅力的なところ。どちらも外国人が多いので、おしゃれなカフェがあったり、これまた任地では味わえない時間でした。

コタカチの中心部。

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オタバロの学校も。男性は長い髪の毛をうしろで三つ編みにしています。インディヘナの男の子。制服も女の子にはインディヘナ用とノーマル用があります。

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これは社会の授業の一環の平和の授業。道徳の授業がないエクアドルではとても貴重な内容だと思います。でもおそらくこの先生だからたまたまやってくれた内容で、全員が聞ける訳ではない。

オタバロの公園にはエクアドルの国鳥のコンドルがいました。想像よりもはるかに大きくてびっくり。

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両脇にとうもろこし。

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無事に首都に戻ってきて、事務所で面談してもらったりしつつ、2日ほど首都でゆっくりしました。半年過ぎると、首都でしかできないことをこの間にしておこう!という気持ちが高まり、任地に持って帰る用のお味噌を買ったり。そして何より気分転換になったのは、映画を見たこと。中南米を中心に現在公開されている「coco」というディズニーピクサーの映画を見ました。中米にいる隊員何人かのすごくよかったという前評判を聞いて、機会があったら見てみたいなーと思っていたものでした。スペイン語だし、そもそも何も理解できずに終わることも想定していましたが、ディズニーということもあって、子供向けで、音楽も良く、映像もきれいで、感動的なとっっってもすてきな映画でした。メキシコでの「死者の日」のお祭りが舞台の家族の絆のお話で、昨年の11月に任地でも行われていた「死者の日」の風景とも重なって、すごくおもしろかったです。私がキトに住んでたら何度でも見たくなってしまいそう。ちなみに日本では3月中旬ころに「リメンバー・ミー」という邦題で公開されるようです。もし興味がある方は見てみてください、そしてぜひ私に感想を教えてください~。

 というかんじで、まぁまぁ長期の首都+北部滞在期間が終了して、先週末無事に任地に戻りました。ステイ先の家族はいつもあたたかく迎えてくれて、ほんとにうれしい。でもそれとは対照的に配属先での人間関係は良くなくて、さらに悪化しているのかもしれません。前よりさらに朝出勤したくないな~という気持ちが強くなっています。今の一番の原因は部署にいる秘書女性との関係性。月曜日に険悪ムードになってしまう一件があって、それ以来私はふつうに接していたけど、何か向こうも抱えているかんじで、理不尽なこともあったし、何より感じが悪いです。活動がもっと忙しくなれば気もまぎれるしそれどころではなくなるのだと思いますが、結局学校授業はまだ始まらずに、ごみ箱売る作業を手伝うくらい。この1週間、気まずい秘書の女性と同じ部屋にずっと居るのはもうつかれたので、どうにかして外に出れるように交渉できるといいです。

 先日エクアドル北部のコロンビアとの国境付近ではテロが起きました。日本大使館からの非常事態宣言も出ているらしいですが、隊員がいる地域とは離れており、無差別のものではないようなので問題はないと思っています。引き続き気を引き締めて生活します。

最後はコタカチ山の写真。頂上は雪が積もっています。同期隊員曰く、頂上が白くなった日は、コタカチの子どもたちも騒ぐようです。

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フェリス クンプレアニョス!

タイトルはスペイン語で「¡Felísz cumpleaños!」と書いて、「お誕生日おめでとう!」という意味です。先日、無事にエクアドルで誕生日を迎えることができました。

前日に同僚女性に「明日何の日か知ってる?」と念押しをしたので、当日朝、部署に入るときに、何人か私の誕生日を知ってくれていた同僚は「フェリス クンプレ~!」って言ってもらいました。ちなみに「フェリス クンプレ」は略。

 15時過ぎになると、ごみ収集の担当者たちが仕事を終え、たまたま別の用事で戻ってきたところに、ケーキ買ってこよう!という流れになって、同僚たちが買ってくれたケーキを何人かで食べました。夜には前カウンターパートのオルランドが誘ってくれて、夕食をごちそうに。そして、任地の名物でありながら、まだ一度も食べたことがなかった「ancas de rana」をついに食べることができました。その名も「蛙の足」。フライになっています。から揚げみたいな衣の味で、食感は鶏肉のささみに近いようなかんじ。骨がたくさんあるので、あまり身がたくさんというかんじではないけれど、から揚げ好きの私にはごちそうでした。

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この週の日曜日のお昼には、家族にもお祝いをしてもらいました。家の屋上(エクアドルの家は多くの家に屋上があります。でも屋根があって半屋上というかんじで、吹き通しになっています。ここで洗濯物を干したり、ステイ先ではカカオもここで乾燥させています。)でお肉とバナナを焼いて、おいしいお昼ごはんを作ってくれました。日本の家族や友人、先輩、他の国にいる同期たちからもお祝いのメッセージをもらって、うれしかったです。ありがとうございました。

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ここではよく、私の名前は書くと「reico」とか「reyco」って間違われることが多いのですが、ステイ先で用意してくれたケーキはちゃんと合ってて、うれしかった!

 

ここでエクアドル流のお誕生日のお祝い方法を紹介します。

まずおめでとうの言葉は前述のとおり、「¡Felísz cumpleaños!」(フェリス クンプレアニョス)です。若者たちや、少し軽いかんじで伝えるときは、「¡Felísz cumple!」(フェリス クンプレ)と言っています。ケーキを食べるのは同じ、ここでもケーキを食べます。甘めではありますが、まぁ一切れだったらおいしく食べられるかな、というかんじですが、一切れ以上は私は食べられません。スポンジケーキの間にはジャムが塗られているのがエクアドルのショートケーキ。ふつうにろうそくを立ててフゥーとします。歌も歌ったりもします。ここまでは世界共通のわかりやすい流れです。そしてここからがエクアドル流。フゥーとしたあと、もう一回写真撮るから、ケーキに顔近づけてねみたいなかんじでお笑い番組のようなフリをして、祝われる側が顔を近づけたところで、ケーキに顔を突っ込まれます。日本でもたま~に見るけど、ここでは必ず習慣としてやるらしい。突っ込むと言っても、まぁ鼻と口がケーキに付くぐらいだけど。そのあとみんなも食べるから、一応遠慮も見られます。私も今回ケーキに顔を突っ込みました。ちなみに突っ込んでくれたのは、ステイ先の娘のこども、8歳の女の子。この子は他の家族の誕生日のときもいつも突っ込み役で、今回思った以上にけっこう強めに上の写真のケーキに突っ込んでくれました。あとは年齢の分だけベルトでおしりを叩かれるという習慣もあるらしいけど、まぁこれは笑い話みたいなかんじでふつうに断ることができます。

 そんなかんじでお祝いをしてもらって、ありがたい1週間でした。

明日からは、首都に上がらなければいけない予定がいくつかあるので、キトに行きます。エクアドルの協力隊員が全員集合する日もあるし、今回私はそのまま残って、2回目の環境部会とキトより北部にある同期隊員の任地の幼稚園で少しお手伝いさせてもらったり、他の隊員の任地に遊びに行ったりする予定です。JICAの公式行事以外では今回3日間職場にお休みをもらったのですが、先週、そのお休みを取るのにもカウンターパートや秘書の女性に交渉するのが大変でした。交渉の末にやっと取れたお休みなので、たのしんできます。