別れの季節?

9月はなんだか私にとってお別れする機会が多かった気がします。

ちなみにエクアドルでも日本のように「お別れ会」をする習慣があります。スペイン語では「Despedida」と言い、「デスペディーダ」と読みます。

まず1人目。「Mervi」(メルヴィ)という女性。前に一度ブログに少しだけ登場したことがありましたが、彼女はフィンランド人のボランティア。任地には私のような外国人ボランティアが他にも数人いて、彼女もその一人でした。この彼女を含めた私以外の外国人ボランティアはみんな同じ一つの機関から派遣されていて、「Humana」というNGO団体のボランティアだそうです。彼らは彼らのメニューで研修などを行い、それぞれ配置されているらしい。細かい彼らの派遣スケジュールとか、どういう形態になっているのかとかはよく分かりませんが、彼女は約6か月間、Yantzaza市に滞在していました。このNGOは私のようにボランティアを市役所の内部に派遣しているのではなく、あくまでNGO組織として独立して活動を行い、プロジェクトを持ち込んで、時には市役所の他の部署と協働しながら働いていました。彼女やこのNGOの存在を知ったのは私が任地に着いてから約10か月後。彼女も私同様、環境教育のボランティアでしたが、上にも書いたようにNGO自体が私が所属する部署とは一切関わらず、彼らが市役所と働くときは他の部署の1人の同僚だけを窓口にしていたようだったので、それまでは私は一切彼らの存在を知らずに、また、知る由もなく生活していました。

今年の5月に「世界リサイクルデー」があり、この日にある学校に行って「リサイクルに関する何らかのクラスをしてね」みたいな漠然とした依頼を受け、行ったことがありました。そしてそこではじめて彼女に会いました。それで知り合ってから、何回か街で見かけたり、2回ほど仕事後にごはんを食べたり。彼女自身6か月という期間だし、あまり環境教育関連の活動がたくさんあるという訳でもなく、でも彼女は英語が話せたので、いくつかのコミュニティで子どもたちに英語を教えたりもしていました。

前に9月くらいまでが活動期間だということを聞いていたので、そろそろかなと思い、連絡を取り、帰るまでに会うことができました。簡単にお疲れ様会のようなかんじで夜ごはんを軽く一緒に食べ、その翌日に彼女は最後のクラスを行うということだったので、ついて行かせてもらうことに。ビデオを映すためのプロジェクターがあればいいなと言っていたので、市役所で借りたものを提供したりして、私も少し参加させてもらうこともできました。

彼女の最後のクラス。

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彼女も違う国の人だけど、それでも、ラテン文化に対して同じように衝撃を受けていたりとか、異国に住む外国人という点、活動の進め方の難しさとか、お互い拙いスペイン語ながらも話を聞いていて、共感するところがたくさんありました。ちなみに彼女は任地で自転車とスマホを盗まれています。私も気を付けなければいけません。彼女以外のNGOのメンバーでまだ残る人はいるらしいけど、彼女は9月7日で終わり。いつかどこかでまた会える気もします。ヤンササ生活おつかれさま。元気でね。

 2人目。それはエクアドル南部の会「ロハ会」のメンバーが2人、無事に2年の任期を終え、日本帰国を迎えます。ということで先週末先輩隊員2人のお別れ会をロハ会の聖地であるロハで行いました。2人ともロハ市内隊員でした。

私が着いたときから、いろいろ教えてもらって、本当にお世話になりました。

1人目は看護師の隊員さん。2人目は障がい者支援の隊員さん。ほんとにいつも頼ってばかりだったので、これから寂しくなりますが、私も2人のようにしっかり任期を全うできるように残りの期間、過ごしていかなければいけません。また日本で会えるでしょう。

手作りのおつかれさまミルクレープ。

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協力隊は年に4隊次あります。それぞれ2年の任期で年に4回派遣の時期があるということは、年に4回帰国の時期もあります。だいたい3ヵ月おき。今回見送る2人の前の隊次の先輩たちはこの前の7月あたまに帰国されましたが、このときもロハ会から1人帰国され、あっという間に今回のお別れ会。2隊次続けて合計3人もロハ会からお見送りし、一気に人数が少なくなってしまった気もするけど、残りのメンバーで引き続き盛り上げていきつつ、予定されている新メンバーの到着も心待ちにします。

 

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そして3人目。正確には1.7人分くらいと言った方がいいのかな。0.7人分は4歳の男の子と8歳の女の子。ステイ先の家族です。ステイ先の一番下の娘、ヒメナとその子どもたち。ヒメナの旦那さんは私が到着した頃にはすでに単身アメリカで働いていました。そして今回のタイミングでヒメナが2人の子どもたちを連れて、アメリカへ生活の拠点を移すことになりました。もちろん行ってからいろいろな手続きがあるようで、住めるかはまだ100%ではないとは言われましたが、おそらく住めるだろうという見解を家族のみんなも持っているようです。いろいろな背景があるとは思うけど、私がこのニュースを聞いたのは1週間ほど前、あまりオープンにしていなかったし、小さな街の任地ではすぐにいろいろ広まるし、前に市役所の同僚から私が突っ込まれたこともあったくらいなので、きっとギリギリまで黙っていたんだろうと思います。それか単にそもそもこういう大事なことは前広にはしない習慣なのかもしれません。なんとなくみんなの会話を聞いていたら、「もしかしたら…」と感じたこともあったので聞いたら教えてくれたとは思うけど、あまり突っ込んで聞くのも憚られたので、そのままにしていました。このブログを書いているのはエクアドル時間9月17日月曜日の朝ですが、2日前15日の夕方にみんな出発していきました。今回アメリカにはステイ先のお父さんお母さんも一緒に。もちろんお父さんとお母さんは帰ってきます。旅行と、これから始まる娘や孫たちの新生活の様子をきっと少し見ておきたいという所もあるのかなと感じます。出発2日前には平日でしたが、夜みんなでステイ先に集まって、簡単な夕食会。恒例になりましたが、私も日本好き青年のDavid(14歳の孫)と1曲贈りました。そして出発当日、長女と旦那さんが交代しながら空港があるグアヤキルまで約10時間ほど陸路の旅、そしてそこから5時間ほどの空路の旅へ向かうため、バタバタとお別れをしました。ここでは家族のつながりがとても深いし、いつもみんな一緒にいることが当たり前という習慣、環境です。みんな涙ながらにお別れ。今回一緒に旅立ったヒメナの子どもたち、8歳の女の子(エミリー)とはよく遊んだし、その弟、4歳の男の子(ヴァレンティーノ)も小さいながらにちゃんと私を認識し、名前も呼んでくれて、週末はよく一緒に遊びました。ヒメナとエミリーには千代紙で折った着物の小さな折り紙を渡すと、ヒメナは明るく「Para mucha suerte!」(幸運のお守り!)と言いながら受け取ってくれて、エミリーはとても喜びながら、でもすぐ後ろを向いて私に見えないように少し涙を流していました。2人の子どもたちは少し生意気でケンカしたこともありましたが、それでも懐いてくれて、私にとって良い遊び相手にもなってくれていました。

そして別れ際。現在ステイ先にはお母さんのママも住んでいます。ステイ先ではみんなにおばあちゃんと呼ばれていますが、2週間ほど前までは隣にあるお母さんのお兄さんのお家にずっと住んでいたのですが、いろいろ内輪の事情があるようで、最近こちらで過ごしていました。高齢で歩行器で家の中を歩くのがやっと、でも食事は自分で部屋から出てきて、お母さんが作ったごはんをリビングで食べています。最後にこのおばあちゃんとも旅立つみんなはご挨拶。ステイ先のお母さんお父さんは2週間経たないうちに帰ってきますが、ここはエクアドル。このおばあちゃんにとってはきっと海外に飛行機で行くなんてまだまだ想像がつかないのか、ほぼ一生のお別れのように涙を流して悲しんでいました。「私たちは帰ってくるから」とお母さんお父さんはおばあちゃんをなだめながらも、お母さんも少し泣いていました。やはり個人個人いろいろな思いがあるのだと思います。この様子を見ると、やはりまだ日本のように海外旅行だったり、海外に行くということが身近ではないのかなということを感じました。ましてやここは首都から一番遠い県。そりゃ、おばあちゃんにとっては不安に感じるのかもしれません。

ヒメナのお誕生日をみんなでお祝いしたとき

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エミリー。これはおばあちゃんのお誕生日会をしたときの写真。

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エミリーの弟、ヴァレンティーノ。私が任地に着いたときから約1年が経過し、階段も1人で登れるようになって、ごはんも1人で食べれるようになるほど、この1年の成長が早い早い。

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ということで予想外にお別れシーズンとなった9月。

ここエクアドルで、フィンランド人、日本人、エクアドル人、それぞれ別れもあればみんな新しい旅立ち、新しい生活が待っています。それぞれ楽しい日々を過ごせますように。

 

そしてまったく話題は異なりますが、来年の3月にエクアドル全土で次期県知事、市長選が迫っています。それに向けて特に約2か月前ころから少しずつみんなの話題に上るようになり、最近では集会なども開催され活発になっています。ここでは家族や親戚のつながりが太いから、おそらくそういう関係で誰を支持するとか、あとは市役所内の人間関係で誰を支持するとかいろいろあるようです。こういうところを見ると、ミクロな世界だけに、日本に比べて候補者が自分の生活にすごく身近で、直接的です。前にエクアドルの男性の好きな話題は「サッカー・政治・女性」の3つだ!と力説されたことがありますが、政治関係の話は尽きないといったかんじで、よく話しています。というか、政策を論評したり、誰側につくとか、自分の意見をかっこよく述べるとかが単に好き。日本の戦国時代のような雰囲気さえ感じます。前に県知事選挙の集会が州都サモラ市であったときは、その集会に参加するため任地から何台もバスを出して人々が隣町に移動していました。任地から全員が移動しているのではないかと感じたほど。ちなみに現市長の後押しを受けてこの派閥から任地の次期市長選に出馬するのは、現在市役所の公共物関係の部署をマネジメントしている女性です。

きのうも任地で歩いていたら、他の部署の同僚に会い、これから隣町に行くから一緒にどう?と誘われ、ついて行くと、家族関係のつながりを広げたこれもまた次期市長選に関する小さな会合でした。ここで出会った隣の州の市で市長をしている男性とその奥さんは最初はあまり打ち解けないかんじでしたが、最後いろいろ話を聞いてくれ、特に奥さんは日本と中国の違いをすごくわかってくれていたなぁ。

私は選挙自体には無関係ですが、任地で選挙の様子を見られるのが今から少したのしみです。