年越し in 任地

さてさて2019年、あけましておめでとうございます。

昨年もたくさんの人にお世話になりました。ありがとうございました。何よりも無事に2018年の1年をエクアドルで大きな病気もなく過ごすことができました。

2019年になり、任期の終わりが少しずつ見え隠れするようになってきたのかな~と思ったりもします。これまでもそれはそれでいろいろ変化があった毎日に思いますが、今年は今年でまた少し変化があるんだろうなと感じる新年の幕開けでした。

 

年末は南部の同期と先輩隊員で前から行きたかった場所に遊びに行きましたが、この様子はまた次回以降で。

ちなみに年末最終出勤日には、午後からスポーツ大会&飲み会。踊りもね。

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そして年越しはタイトルのとおり、今年は任地で過ごすことにしていたので、31日には任地に戻ってきて、夜の街全体で行われる年越しイベントに参加しました。

エクアドルの年越しで恒例行事といえば、「人形を燃やす」こと。その年の悪いことを燃やして、新年に良いことがやってくるようにという意味。この人形は買うか、手作りするかですが、売っているものも元をたどれば手で作られているので、すべて手作りと言っても過言ではなさそう。

ロハの露店で売り出しセール中の人形たち。

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手作りするときは、古着などを着せたり、そして顔は家族の顔だったり、政治家の顔だったりと様々。燃やされる訳なので、貼られる顔は何か悪い行いをした人なのかなとか勝手に思っていたけど、聞いたら別にそういう意味ではないとのことで、深い意味なく誰でも貼っていいらしい。アニメなどのキャラクターもいます。

露店では服も大売り出し。たくさんの人でにぎわっていました。なんか師走感があった。

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ちなみにもう一つ、男性が女装をするという習慣もある。正確に言うと未亡人に扮して、お金をもらいに行くというもの。出会ったら問答無用で募金しないといけないらしい。なんじゃそりゃ。

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31日はステイ先で夜ごはんを食べて、ちなみにこの夜ごはんはいつもと同じ、何も変わらない食事、変わらない様子でみんなそれぞれ好きな時間に食べてたので、私もいつもと同様自由に好きな時間に食べました。家族によっては会食したり、そんな様子も見受けられました。

それぞれ家ごとに人形を作ったり用意したりして、12時になるときに家の前で燃やします。それとは別で、それぞれの町内会ごとにも大きめの人形装飾を行っている家があり、それが見どころということなのか、夜ごはん後にみんなでそれぞれの町内会でどんな人形を作っているのかを視察。政治家と今年いよいよ本格的に始まる全国統一県知事市長選挙に関連する人物の人形が多かったように思います。

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そして視察したあとは、中央公園で集合。親戚が中央公園の向かいに住んでいるので、彼らの家の前に並べられた椅子に座り、談笑したり、まわってくるお酒を飲んだり、お菓子をあけたりして12時になるのを待つ。中央公園に設置された特設ステージでも生演奏が行われ、人々は踊ります。

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12時直前、特設ステージでは音楽演奏は終わり、マイクパフォーマンスを行っていましたが、これもなんか政治関係、選挙関係のことを話して笑いを取っていたりしましたが、私はあまり理解できず。そしていよいよみんな人形を燃やし始めます。

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そしてこの燃やされている人形の上を3回飛ぶと新年良いことがあるらしい。私も飛べ飛べと囃し立てられたので、飛んでおきました。

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新年になった瞬間は「Feliz Año」(あけましておめでとう)と言って、みんな一人ずつとハグをして無事に新年を迎えました。

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そしてまたしばらくしてから特設ステージがある中央公園の中へ。そこでステイ先の家族のそのまた親族や市役所の知り合いなどに会って、お酒を飲みながら踊って、朝の4時過ぎに解散。中央公園近くにある家に戻ってからも、外は引き続き騒がしかったです。

そして翌日1月1日。この日ゆっくり起きて、朝ごはんを食べた後、ステイ先の娘の旦那さん家族と一緒にごはんに連れて行ってもらいました。となりの街にできたお食事処に行き、そのまま少しドライブに出かけ、帰ってくるという1日。街は静かで、所々歩いている人がちらほらいるくらい。この静かな1日の様子は日本に似ている気もしました。

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こうやって、野外レストランとプールが一緒になった場所「Hosteria」が、ここでいう家族や友人たちとみんなで少し豪華な食事を食べて、休日をゆっくり過ごす憩いの場。ここは隣町だけど、任地の中にもいくつかこういうスポットがあります。

帰りに食べた「miel con queso」。チーズとはちみつを一緒に食べるというエクアドル南部独特の食べ方。甘いけどこれはこれでおいしい。

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写真撮影スポット。家族が撮ってくれた。これはエクアドル熱帯地方のインティヘナ民族「シュアル族」のおじさん。

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こちらはエクアドル山間部発祥のインディヘナ「サラグロ族」のおばさま。

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そしてエクアドルは1日のみが国民の祝日なので、2日目からは仕事も学校も通常再開。いつものように、朝礼もなんらかの新年の集会もなく、会った人個人個人と「あけましておめでとう」と挨拶を交わし、何事もなかったかのように日々が始まりました。

そんなこんなで任地で迎えた年越しも無事に終えることができました。

そして4日は誕生日ということで、お昼ごはんにステイ先の家族がお祝いしてくれました。少し豪華なごはんとケーキを用意してくれて、みんなで食べて、恒例のケーキに顔を突っ込んでもらいました。突っ込んだあとのケーキ。

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お昼ごはんから市役所に戻り、お菓子をもらったり、部署内でもケーキを食べたり。

来週、ついに一番隊次が近い先輩隊員たちの帰国報告会がキトであり、それに合わせてその報告会の傍聴とお見送りのためキトにあがりながら、まだ行ったことのない同期隊員の任地、エクアドルの山間部を見て回ったりして任地に戻る予定です。

そんなかんじで任地を少しあけるので、上司には新しい活動の提案書を提出し、添削をお願いしてきました。これもエクアドルならでは、意外と書類主義で何かアクションを起こすとなると形式ばった書類が必要。12月はガラパゴス以降、クリスマス年末年始が続き、少しだらだらして過ごしてしまったので、またこれから任地にいる時間を有効活用して前向きに活動を進めていかなければいけません。果たして最後の半年はどんな時間になるのかな。どんなことを思うのかな。何はともあれ、今年も健康安全第一で過ごしていきます。

今年の家族ニュース

活動とは一切関係ないのですが、個人的にも、そしてステイ先の家族にとっても大きな出来事が少し前にあったのでブログにも記録しておきます。

11月12日の早朝にステイ先のお母さんのお母さんが亡くなりました。ステイ先のお母さんにとっては、自分のお母さんなので彼女を呼ぶときは「ママ」と呼んでいましたが、それ以外の家族はみんな彼女のことを「おばあちゃん」と呼んでいました。スペイン語で「おばあちゃん」は「abuela」(アブエラと読む)と言いますが、abuelaだけだと日本語で言う「祖母」というかんじに近いと私は勝手に捉えていて、前に少し書いたここの独特の「cariño」という習慣、人や物に対して愛着を持ってかわいらしく言う言い方、なので日本だと「ちゃん」付けしたり「君」付けしたり、物に対して「お」を付けたりする、そんなイメージ。その言い方を使ってふつうは「abuelita」(アブエリータ)と彼女のことを呼んでいました。こうすることで、「祖母」という意味から「おばあちゃん」という雰囲気になるのかな。

私が任地に到着してすぐ、なので今から約1年2か月ほど前におばあちゃんの誕生日パーティーがあり、そのときの写真。奥の緑のワンピースを着ているのがおばあちゃん。

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実はおばあちゃんは亡くなった時期のその1,2か月前、今年の9月中旬頃から体調を崩していて、それまではずっと私のステイ先のとなりにあるお母さんのお兄さんのお家で過ごしていましたが、体調が悪くなってからはステイ先に移動し、お母さんが全面的に面倒を見ていました。前に書いたように今年の9月中旬、おばあちゃんがステイ先に移動してすぐ、ステイ先のお母さんとお父さんは娘の1人のアメリカ移住に付き添い、1,2週間ほどアメリカに行っていました。そのときは私が朝起きると、まだ誰も他の娘たちが朝食を作りに現れないけど、おばあちゃん一人で起きあがって台所でお湯を沸かし、甘いコーヒーを淹れていたりもしました。お母さんたちが無事にアメリカから帰ってきて、今度は私が日本に2週間ほど帰国し、日本からエクアドルへ帰国、「みんなは変わりない?」という声をかけると、お母さんからは「私のママの体調が良くない以外はすべて変わりないわよ」という回答が返ってきていました。それからというもの、やはりおばあちゃんの体は良くなく、1ヵ月ほどはロハの病院でいろいろな検査をしながら過ごし、お母さんは付き添いでロハに滞在することが多くなり、少しステイ先はバタバタしていました。他の兄弟から「おばあちゃんの状態が良くない、死期が近づいているかも…」というような雰囲気は察していましたが、時間は過ぎていき、11月に入って、おばあちゃんもヤンササに帰りたいと言っているし、病院でできることももう無いようだから、できるだけ早く家に連れて帰ってこようという雰囲気になり、11月の2週目ころにロハを引き上げ、ステイ先での療養が始まりましたが、それから1週間が経っておばあちゃんはステイ先で亡くなりました。療養期間の1週間は家族もできるだけ近くにいたり、親族や関係者が代わる代わるお見舞いに訪問にくるという日々が続き、亡くなる前日の夜、ちょうど歌い手を呼んで、ギターを弾きながらキリスト教関係の歌を寝室でおばあちゃんを囲んでみんなで遅くまで歌ったりもして、私はそれを自分の部屋から聴いていました。まさかその数時間後に亡くなるとは思いもしなかったのですが、早朝部屋の外が騒がしくなり、もしかしたらと部屋から出ていくと亡くなったとのことでした。

その日は平日でしたが、市役所には遅れていくことに。午前中はお葬式の準備をお手伝いしたり、少し見学させてもらったりして、お昼ごはんを食べてから午後配属先には出勤。準備のお手伝いには近くの親戚、友人、隣人が積極的にお手伝いに来て、いろいろな人が出入りし、しかもいろいろな部分をどんどん手伝っていきます。計画は一切しないエクアドル人だけど、土壇場でいろいろな人がでてきて、その人たちの尽力によりその場をなんとか形にしてやり過ごすというのがエクアドル流。

最初は隣人の男性が大掛かりな所から手伝う。この間、女性陣は壁に垂らす白い布のアイロン掛け。

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そしてその布をきれいに垂らしていきます。掛ける引っ掛けがないところはもうトンカチで釘も打っちゃう。

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娘たちの近所の嫁ぎ先の家族や娘たちの仲良しの旧友たちが飾り付けにお手伝い。

お葬式のときに家に出す看板はこれ。

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そして最終形態。
お葬式のときは家の前に大きなテントも出しますが、こういうものもすべて家族が知り合いのツテをたどり、借りたりします。市役所も貸してるようだけど、今回ステイ先では家族のツテで他のものを借りていました。任地ではお葬式は家で行うのが一般的。葬儀会社はロハをはじめ、都市部にはあるようですが、費用は高く、任地には葬儀会社はないし、みんな家で行うとのこと。

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お葬式は亡くなった日から3日間続きますが、家にたくさん人が訪れられるよう準備して、そしてごはんもすべてその家の人たちが炊き出します。訪れる人はみんな、炊き出し用に使われるであろうものを持ってやってきます。鶏、お米、パン、砂糖などなど。これらがここでは日本でいうお香典です。遠方から来て、長時間滞在になる人もいる中、お葬式を出す側は、朝昼晩3食の他にも、おやつなどお腹が空かないようにという来ている人への配慮なのか見栄なのか、ヒシヒシと伝わってきました。夜は、親戚の子どもたちやパティの息子たちと日本語を書き合ったり、絵を描いたりして私は過ごしました。

基本的にお葬式は朝、ある程度人々が動き出す時間から、夜、そして夜中まで続き、少しの仮眠で翌日を迎えるため、家族たちは寝不足、過労が続きます。朝、昼よりも夕方、夜のほうがみんな仕事を終えて訪問するため、人々は夜に向けて多くなり、家族総出で動き回る。家族だけでは特にごはんの用意の手が回らないため、娘たちの友人たちもお手伝いに駆けつけていました。ほぼ張り付けで調理場を手伝ってくれていた人などにはその程度に応じて家族から少しお礼のお金を渡していたようでした。2日目以降は交代でみんな仮眠を取っている様子も。2日目の夜には家でミサも行い、そして3日目の午後に正式に教会でミサを行い、その後お墓にみんなで運びます。

教会での様子。ミサ前に教会にみんなで棺を運び、無事におばあちゃんも教会へ到着。

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家族たちによるおばあちゃんの簡単な説明(どこで生まれてどういう場所で過ごしてきたか)、そして家族たちの名前が息子により読み上げられる。
任地の教会から墓地までは直線で歩いて15分ほど。少し坂がありますが、みんなで歩いて運べる距離です。

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f:id:reikomiyahara:20181226234607j:plain私たちの側の家族たちは上は白色で揃えました。今回はお葬式なので、それも大切かなと思うけど、これはスポーツ大会とかクリスマスのごはん会、誕生日会とかでもよくあること。みんなで上のプラウスの色を揃えようとか、そういうのがエクアドル人は大好き。
私も献花用の花をひとつ抱えて、ステイ先の家族のうしろを歩きました。ギター隊を引き連れ、歌を歌いながら登っていきます。このギター隊の中には、ステイ先の長女・パティの次男フアン・ディエゴも参加。おばあちゃんにとってはひ孫のひとり。今回、普段はロハで過ごしているこのパティの上の息子たち3人ともお葬式を通して一緒に演奏したり、日本のことを話したり、良い時間が持てました。

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そして墓地に着き、おばあちゃんの棺が入る場所に集まり、棺をお墓に入れる作業が始まりました。この間もずっと音楽は続いています。

あまりきちんと土葬のイメージができていなかった私にとって、どのように土葬されるか理解したときはとても衝撃的な瞬間でした。棺を入れるためのスペースに入れて、手前部分をレンガとセメントで固め壁を作って終わり。簡易だけど、なんだか「そのまま」という感覚が強く、新たな発見でした。パティの息子たち3人と私で2曲贈りました。

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スペースの手前に蓋をするように、レンガと埋める用のコンクリートが準備される。なんだか少し残酷。

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着々と進む。

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無事に棺を納める作業が終了。終了後はみんなで最後に家に集合。私はお迎えの車が来るまでパティの息子たちと一緒に待機。

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奥で顔を向けてくれているのはステイ先の長女パティの三男のサンティアゴ。一番静かであまり積極的には関わってこない彼なのでこの写真で決め顔をしてくれたのには意外でしたが、彼もまた上2人のお兄ちゃんと同様、下の2人の弟たちの面倒を見たりもしているしっかり者だと思います。ロハの大学に行きながら、本格的にカメラを勉強しているようで、この前のロハのお祭りでは市役所の一員としてカメラバイトをしていたし、私たちの音楽隊の様子の記録係をしてくれました。それでもこのように大学に行きながら好きなことをできるのは一定家庭が裕福な証拠でもあると思います。そのあたりの差はエクアドルは日本とは比べられないくらい顕著。パティの子どもたちはきっと彼女が厳しくしつけたのかな、みんな家の人の言うことを聞き、お手伝いもする好青年たちに育っています。
そしてお家でお葬式最後の夜ごはん。これも炊き出し形式で、どんどん配られます。そして次第に遠くから来た親戚や知り合いたちは帰っていき、家族だけに。その後棺が置かれていた部屋で家族の時間をみんなで過ごし、遅くに解散。いろいろ片付けはもちろん残っていましたが、その日は就寝。眠かったけど、彼らと時間を過ごすことができ、貴重な時間でした。そしてお葬式は終了しました。

とはいえ、ここからが後半戦。キリスト教の習慣で「novena」というものがあります。これは数字の9、スペイン語で「nueve」からきており、「9日間続けてお祈りする」というもの。クリスマス前も行っていたりするので、何か大事なときに行うものなのかもしれません。

ということでお葬式最終日翌日からnovena1日目が始まります。家で行っていました。これはある程度近い親族や友人たちが参加しに来ますが、夜に開始。だいたい19時とかです。家で簡単なミサをやって、家族がそれぞれ日交代で言葉を述べたりして、ミサの歌をみんなで歌い、簡単な食事を出してみんなで食べて解散。この軽食ももちろん9日間違うものを招待側(=ステイ先)が作っており、私はちょうど任地での環境部会とロハでのお祭り参加の準備が迫っていたので、このnovenaには参加しませんでしたが、大変そうだな~と思いながら見ていました。

これが2018年、最近の大きな出来事です。

 

そして家族関係のもう一つのニュース。それはステイ先のお兄ちゃん(長女パティのお兄さん)ダルヴィンが資格を取りました。この資格というのは大学を5年行くと取得できる資格「ingeniero(a)」。前にブログで一度紹介したことがあるけど、エクアドルの「titulo」という文化。これを持っていると働き口が見つけやすくなり、お給料も上がります。これを持っている人と持っていない人では仕事内容もまったく異なります。この社会制度は私は正直疑問を抱くところではありますが、しょうがないです、こういう社会なので。お金があれば(=ここでは家柄)tituloを取れるし、そうじゃなければいくらがんばってもなかなかいい仕事に就くことはできません。日本もそうと言ったらそれまでですが、でも比べられないくらいここではそれが普通です。

このお兄ちゃんダルヴィンは子供3人を持つお父さん、40歳ほどの大人ですが、より良い仕事を探せるようにとこれまでtitulo取得に向け励んできたようです。無事に取ることができてよかったです。みんなで豪華にお祝いもしました。

感謝の言葉を述べるダルヴィン。前日に友人たちとお祝いに飲んでいたようで、本人は二日酔いの中の参加。

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私も簡単にお祝いの挨拶と恒例の日本好き少年ダヴィと日本の歌を贈りました。

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これは任地でよく食べられるスープ料理。「cardo de gallina criolla」(通称「cardo」カルド。)鶏を煮込んで、その出汁が十分に出たスープとユカイモやネギを入れて食べる。これを醤油風味にしたらラーメンができると私はいつも思って食べています。とてもおいしい任地の料理。覚えて帰りたい。そして任地にいる間に教えてもらって改良してラーメンを作りたい。

エクアドル的クリスマス

エクアドルに来て、2回目のクリスマス。「Feliz Navidad」(メリークリスマス)と人々と挨拶を交わす時期が来ました。

とにかくいろいろな場面すべてにおいて、見た目を飾り、見た目と形式(のみ?)に重きを置く傾向があるエクアドル。クリスマスも飾り付けには気を配ります。ということで市役所で開催されたのが、部署対抗の飾り付け大会。一応クリスマスの飾り付けとともに部署の整理整頓がされているかのチェックも総合的に採点され、各賞が選ばれる。選ばれた部署にはのちに賞金やプレゼントがあるとかで、私の部署も参加することに。でもこれが知らされたのは審査が入るとかいうわずか1週間前。1週間前に何もないところから、みんなで材料を持ち寄ったり、必要な物は買ったりして飾り付けが始まりました。これがエクアドル流、前から計画するということがないため、きっと1週間前であっても知らされたのが良い方なのかもしれないと思うべき?なのかもしれないけど、参加する部署は仕事そっちのけで飾り付け。

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これにはほんとに「?」というかんじで、私が学校訪問に行くから抜けると言うと、「手伝ってほしいのに」みたいな雰囲気になってしまったり、上司はJICAの寄稿依頼の締切を無視して、この飾り付けの話し合いを優先させたりと、ほんとに目の前のことしか見えなくなると他のことを一切考えないというかんじで、改めてエクアドル人について謎が深まる1週間でもありました。ほんとはイライラしても意味がないのはわかってるんだけど、それでもやっぱり思考回路が違いすぎて、腹が立つということも多いです。そして他の都市の市役所の環境管理課で働く環境教育メンバーたちもこの1週間ほぼ同じことになっていると言っており、やはりこれがエクアドル人の普通だと確信します。

うちの部署は一応廃棄物管理課ということでできるだけエコに作り上げることに。最初はペットボトルでツリー作ろうとか提案したりもして、反応はよかったものの、何せ時間がないっていうことで却下され、あとから必要な素材を買ったりしていました。その時点で「全然エコじゃないじゃん…」と思ったりもして、最後の方は私はまったくやる気もなくなり、活動とは無関係だし、必要に応じて手伝いだけにしました。時間があれば、しっかり計画すればできることもあるのに、それをする慣習がなく、計画の必要性を感じている人もいないので、これがエクアドルということにしておきます。f:id:reikomiyahara:20181220011709j:plain

ツリーのとなりは、「pecebre」と言って、キリストが誕生した時の様子を表現するミニチュアの置物。これもここではツリーと同様に必ず飾られます。
そして審査当日、市役所が用意した数人の審査員が各部署を周り、審査シートでチェック。これもここの形式を重視した結果なのでしょうか。他にもっとやるべき仕事があるだろうと私からは思ってしまうけど、一人でそんなことを考えてもしょうがないので、その場をたのしみました。

みんな心なしか赤を取り入れたコーディネート。ここでも見た目をこだわってきます。

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そしてうちの部署はなんと2位に選ばれました。みんな飾り付けがんばってたので、よかったよかった。

一応記念写真。

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街はお祭りモード一色。1週間前にはステイ先の家族の女性陣とその友達(いつも私をグループに入れて女子会を開催してくれる。)の夕食会。今週は部署で夜にごはん会を行いました。

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そこでエクアドルでも行われるクリスマスプレゼント大交換会。通称「Amigo Secreto」。「秘密の友達」という意味。日本ではよく音楽をかけて、音楽が止まったところで交換とかありますが、ここでは通常事前にグループ内で名前が書かれたくじを引いておいて、その相手が私の「Amigo Secreto(=秘密の友達)」ということで、その人にあげることをイメージして、プレゼントを買います。そして交換するときは一人一人自分が贈る人の特徴を言って、誰がその人のプレゼントをあげる相手なのかをみんなで当てて、ぐるぐる回していきます。が、しかし、このごはん会には結局全員は現れず、くじを引いていた人も数人現れず。そして私のAmigo Secretoも現れず。結局相方がいない同士で交換しあったりして、事なきを得る。うん、これもエクアドル流。「その人のことをイメージして買った意味ないやん…」とかそういう消化不良な思いは抱いていられません。謎だけど、まぁ、いいです。

定期訪問している学校のクリスマスイベントに少し顔を出したり、最終処分場で働くリサイクル業者主催の昼食会にお呼ばれしたりして、やはりキリスト教色が強い所でのクリスマスはお祝いモードになります。踊り、豪華なごはんを振る舞うなどなど。

そんなエクアドル的クリスマス週間でした。

市役所の受付の女性にあげた折り紙サンタ。受付に飾ってくれています。

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中央公園広場も点灯式を行いました。f:id:reikomiyahara:20181220010811j:plain

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点灯式前には市役所で行進を行い、広場で各学校の子どもたち、高校生たちの歌やダンスの発表会があって、無事点灯。いつになっても発表会が終わらず、点灯されないので一度家に戻って休んでたら、点灯されていました。

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これは学校イベントでの様子。

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ちょうど前日彼らに折り紙のクラスをしたばかり。色を塗りだすと夢中になり、何よりも大切な休み時間まで残ってみんな色塗りしてくれました。

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そして、1ヵ月ほど前から日本語クラスを始めました。市役所で働く同僚の妹Salomé(サロメちゃん)。1、2回やって飽きて終わるかなと思っていたけど、今のところまだ楽しんで勉強してくれています。ひらがな、カタカナ、自己紹介、これは何?と質問し、それに答えるというところまで1ヵ月かけて進みました。すごいね!

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Isla de Galápagos~後編~

イサベラ島最終日はツアーには申し込まず、私たちだけで動くことに。シュノーケルセットを1日借り、まずは歩いて行ける港の近くのシュノーケルスポットに。

そして午後は自転車を借りて島の奥の高台へ。展望台からの景色がとっても壮大でした。

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景色もきれい。

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奥に入る手前に住民たちのお墓も。まだ新しいのかきれいでした。

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高台からの眺めは壮大でした。向こうに活火山があります。

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左の木の上にはペリカンが座ってる。

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イサベラ最終日を終え、翌日また早朝発の船でサンタ・クルス島へ戻り、ここで1日半過ごしました。

ウミガメの産卵期に彼らがたくさん集まることから名づけられた「Tortuga Bay」。「亀の砂浜」。

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50分ほど歩くと砂浜に出ます。

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サンタ・クルス島の港から船で5分もかからないところにあるスポット。なんだか洞窟感があってすごいところでした。

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ウツボも発見。

塩田もある。

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お気に入りの1枚。

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ガラパゴス最後の夜はみんなで海鮮市場へ。みんなでエクアドルで培った値切り術でお店のおじさんとおばさんに値切りまくると、やはり欧米人観光客が多いので値切る客は珍しいのか、あきれられる。醤油を持ち込み、おいしい海鮮が食べられたので良し!

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そして翌日、サンタ・クルス島からグアヤキルへ飛ぶ飛行機でエクアドル本土へ戻りました。国内だけどいろいろな意味で国外のような、貴重な1週間が終わりました。

 

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任地に戻って、先週からはもうクリスマスモード一色。次回はそんなクリスマスモードに浮かれる配属先や街の様子を紹介しようと思います。では~。

Isla de Galápagos~前編~

エクアドルにいるからには絶対に訪れておきたい場所、世界遺産ガラパゴス諸島。そう、ガラパゴス諸島エクアドルにあります。スペイン語でIslaが「島」、ガラパゴスは「ラ」の部分にアクセントがつき、「Galápagos」となります。

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12月の1週目に1週間お休みをもらい、ガラパゴス諸島に行ってきました。メンバーは環境教育の同期と後輩隊員で私を含めて5人。この中には今回ですでに2回目のガラパゴスという強者もいて、いろいろ教えてもらいながら内容を決めました。ガラパゴス諸島では島に入る人はみんな、島への入島料が必要です。外国人は100$、くぅ~、高い。この入島料はエクアドル人も払うのですが、エクアドル人だと20$と100$に比べると格安。そしてこれはなんと私たちのようなエクアドル在住者もエクアドル人と同等の扱いになり、20$で入れる!ということで余計に「この期間に行っておかなきゃ」という気持ちにさせてきます。

ガラパゴス諸島は島なので、本土から島に入るには飛行機。島間の移動は船がメインです。エクアドルには主には4つ国内空港があり、首都キト、最大都市のグアヤキル、第三の街のクエンカ、私が首都に行くときによく利用する一番任地から近いロハ空港の4つ。ちなみにこの中で国際便が出ているのはキトとグアヤキルからのみ。そしてガラパゴス行きの便が出ているのもキトとグアヤキルのみ。最大の街のグアヤキルは国内空港の中では一番海に近いところに位置しているので、キト発の便も一度グアヤキルを経由してそこでさらにお客さんを乗せてガラパゴスへ入ります。ガラパゴスまではグアヤキルから飛行機で約1時間。

ということで、まずは陸路移動。任地ヤンササから12時間かけてグアヤキルまでバス移動、翌日朝にグアヤキルの空港からガラパゴス行きの飛行機でついにガラパ入り。

ガラパゴス諸島は諸島と言われるだけあり、いくつかの島から成ります。諸島の部分を拡大するとこんなかんじ。この島々がガラパゴス諸島

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今回は右のサンクリストバス島、左の大きいイサベラ島、真ん中のサンタ・クルス島の3つを訪れました。グアヤキルからサンクリストバル島行きの飛行機でまずはサンクリストバル島に降り立ち、ここで2泊、そして船で一度サンタ・クルス島へ、ここで少し観光しこの日のうちにイサベラ島へ。移動の日も入れてここで3泊ゆっくり観光。そして最後にまたサンタ・クルス島に戻り1日半ほど過ごして、ここからまた飛行機でグアヤキルに戻るという行程でした。サンタ・クルス島がガラパゴス諸島の中では一番の中心となっています。サンクリストバル島、イサベラ島はサンタ・クルス島に比べると人も少なく、ゆったりした時間を過ごせます。島間移動はすべて船。前にプエルトロペスという海岸の街で船に乗ったときに相当な船酔いをしたので、今回は酔い止めでしっかり対策をして船に。前ほどひどくはならなかったけど、それでも私は酔ってました。

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ガラパゴスでは、島に降りて少し歩いたらもうアシカやイグアナがいたり、テレビでしか見ないだろうなと思っていた世界が広がっていました。あとはほんとに欧米に海外旅行に来ているかのような物価の高さ。きっとこの世界遺産を保護するための維持費もたくさんかかっているのだろうと察しますが、これだけ高かったら現地のエクアドル人はやはりなかなか来れる観光場所ではありません。実際には日本で過ごしていたころの物価とガラパゴス物価はそう変わらない気もしますが、特にごはんや乗り物の物価がエクアドル本土では安いので、それに慣れた今、すべてが高く感じました。そして旅行客は欧米人がほとんど。島では英語が公用語なのかと思うくらい旅行客には英語での案内がふつう。ガラパゴス出身のエクアドル人や本土から働きに来ているエクアドル人も英語が達者。みんな英語で話しかけてきます。物価、言葉から外国にいるような、そんな気持ちになりました。英語がほぼ聞き取れなくなった今、一緒に行った隊員と中学英語の復習をしながらガラパゴスの島を歩いたりもしました。

ガラパゴス日記は写真も多いので2回に分けて書きます。まずは前編~サンクリストバル島・サンタ・クルス島編~。

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12月2日朝にグアヤキルを出発し、サンクリストバル入り。少し散策するだけですでにアシカ。

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そして翌日、いよいよ2日目。この日に島の1周ツアーに参加。ガラパゴスでのシュノーケリングです。

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ウミガメもふつうに泳いでる。f:id:reikomiyahara:20181219003419j:plain

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こんな壮大な岩も。

この岩は「León dormido」と言って、「ライオンが寝ている」という名前がついているらしい。

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アシカがたくさん。

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トカゲも。

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私たちも休憩。写真の奥に座っているのが私です。

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ごみ分別も任地同様一応3種類ありました。

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3日目早朝には船でサンタ・クルス島へ移動しました。2時間ほど揺られ、サンタ・クルス島に上陸。

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ここで午後に出発するイサベラ島への船の待ち時間を利用して、「チャールズ・ダーウィン研究所」へ。

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ここで長年ボランティアをしているというパナマ出身のいかにも研究者風のおじさま。

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研究所内はイグアナスポットが多かった。

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イグアナ同士や何か外的に対して威嚇態勢を取ると、イグアナたちは顎をガクガク震わせる。それがけっこう恐怖。

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フィンチという鳥。

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研究所を一周して港付近を少しだけ散策。港近くの海鮮市場。

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市場のうしろにはアシカ、ペリカン、イグアナ。

伊勢えびも。

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そしてイサベラ島へ向けて出発しました。イサベラ島に着き、また翌日からの行程を決め、夜ごはん。島に入るときには、禁止のもの、密漁したものを持ち込んでいないかチェック。植生保護のためりんご一つでも見せなければいけなかったり靴についている泥もきれいに払わないといけなかったりします。

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そして翌日、イサベラ島1日目。イサベラ島は一番面積が大きく、なんだか一番ゆったりしていました。

イサベラ島の教会。

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市役所管轄の市場。ここで朝ごはん。定番の大好きなエンセボヤード。

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この日は午前午後ともにツアーに参加しました。午前は「トンネル」と呼ばれる岩が凸凹に形成されたおもしろい場所を一周し、その後いくつかシュノーケリングスポットに行くもの。

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タツノオトシゴスペイン語では「caballo del mal」。直訳すると「海の馬」。

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そして奥には眠っているのか休んでいるのかサメ。

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午後はカヌーを漕いでシュノーケリングをして帰ってくるというもの。ここではペンギンも見れて感動。

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そしてイサベラ1日目が終了。後編へ続きます。

Artes Vivas!!!

タイトルは先日行われたロハのお祭りの名前。

「Artes」とは「芸術」、「Vivas」は「生きている」という形容詞、もしくは感嘆詞にして「最高!」というような意味でも使われる言葉。ということで、「芸術、アートな祭り!」ということがなんとなくタイトルからも伝わってくるお祭り。

このお祭りへの参加のため、環境部会のあとはみんなでロハへ。環境隊員メンバーもみんな、部会後で疲れている中お手伝いで参加してくれたり、他にも遠いところから来てくれた隊員もいました。

部会を2日間終え、3日目に少し私の任地を観光してもらったあとで、夕方みんなでロハへ移動。土日お祭りの音楽隊で一緒に歌ってくれることになっていたDavidも一緒にバスで向かってくれました。

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f:id:reikomiyahara:20181201083507j:plainそしていよいよお祭り当日。準備をバタバタとして、一応朝の10時からブース開店、内容は習字と浴衣の着付け。音楽隊は11時からとしていましたが、機材が到着しないとかで結局12時くらいから始まりました。これはエクアドルあるある。機材担当の青年は市役所の調整役が全然動いてくれないとか言って私にグチったり、この1日目の市役所側の機材の準備不足のおかげで、2日目は音響機材なしで、マイクなしで演奏しなけでばいけなくなり、でもDavidも歌ってくれて、お客さんも盛り上がってくれて、私たちも両日どちらもとてもたのしい時間を過ごすことができました。

音楽隊の前に来てくれたお客さんたち。

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この日はマイクなしだったので、叫びながら自己紹介。

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習字、着付けのスペースにもたくさんの人が来てくれました。

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日曜日、2日目だし少し気もゆるんで、朝少しゆっくりめに行くと音楽演奏を待つキトの音楽学校の学生たちや前日に仲良くなったロハの学生たち、何かで聞きつけて来てくれた人たちが私たちがブースを開けるのを待っていてくれました。そうそう、ロハの地元テレビの取材も受けたりも。これも貴重な経験かな。

1日目にブースに立ち寄ってくれたロハの大学生グループ。

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彼らは授業の一環で自分たちで創作した日本で言うスゴロクゲームのようなもので、ロハの地図のボードにそれぞれ観光名所ごとに1から40ほどまで数字がふられ、そこにパチンコ玉が落ちると、その観光名所の歴史やトリビアを教えてくれるというゲーム。無理やりやらされた割にはとてもたのしいゲームでした。この学生たちも好青年たちでした。1人は日本文化にとても興味津々、みんな手作りアクセサリーを家族に持って帰ろうとじっくり選んでいました。

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私も2日目は浴衣を着て広報。着付けてもらい、そして着付ける。

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夜、みんなでロハの街を歩いていると、Davidを含めたPatiの家族、任地に帰る前のステイ先の家族に会ったりして、これも任地近隣でこういうイベントがあるからこそ、新鮮なかんじでした。Davidには私がいるうちにもっと他の日本人に接する機会を作れたらいいな。特に男子だと彼も話しやすいのかなとも思います。男子隊員とはすぐ打ち解けていたかんじがしました。

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手作りピアスコーナー。

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Davidも私以外の日本人と話すことができて、音楽共演もできて、とても楽しそうにしていたし、「トテモ タノシンダ!!」と私に終わった後で言ってくれました。ステイ先の家族も見に来てくれたりして、Davidを巻き込んでのいいイベントを行うことができ、みんなにとって良い思い出になりました。忙しかったけど、任地の近くでこういう日本人だからこそできるイベントを企画できてよかったです。

このお祭りは「アート」を謳っているだけあって、お祭り期間はいつにも増してさらに街の様子もとてもおしゃれに飾られます。

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道にチョークで絵を描くのはここ数年恒例らしく、中にはとっても芸術的な絵も描かれていました。こういうのは主催者の目に留まると来年写真が道に飾られる。

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そしてそして去年見逃したプロジェクションマッピング。日本でもあまり見たことなかったけど、まさかエクアドルで見れるなんて。これを見ていた間は本当にエクアドルにいることを忘れていました。

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聴きに来てくれたステイ先の家族と。

Yantzaza集合!

11月21日、22日は環境教育部会を私の任地で開催、エクアドルの環境教育ボランティアがYantzazaに集合しました。ふだんはキトや他の街に旅行に行くときにしか会わない日本人たちが私の任地に7人も来て、市役所で会議を行うのはなんだか自分でも不思議な気分になりましたが、でもそれ以上にとてもたのしかったです。

環境教育部会は私たちの隊次が到着したあとに先輩隊員が立ち上げてくれて、1回目は先輩隊員の任地であるトロンカル市というところ、2回目はキト、3回目は今年の6月に勉強会という名目でカウンターパートや同僚たちも呼んでキトで大きめのイベント、4回目もキト、そして今回私の任地という2018年の部会の活動内容でした。6月の勉強会以外で2回キトで行っているのは、いつも公務で首都にあがるときに合わせて定期的な情報共有の部会を行っています。

 そして今回私の任地でやることになった経緯は、いろいろあるけど、一番は私の任地が分別のシステムが一番進んでいるということ。また最終処分場の管理も他の街に比べるときちんと管理されているところもあるので、私の任地の廃棄物管理システムを見ることで各隊員の任地での今後の活動に生かすということがありました。

私の任地には分別の制度があり、分別の種類は3つです。生ごみとリサイクルごみとリサイクル不可のごみ。これはエクアドル国内で見ても分別制度としては進んでいる自治体だと思います。なんでもオルランドが言うには3つの分別を持っているのは、国内で私の任地とガラパゴス諸島のどこかの市だけだとか。個人的にはまだ信じれていないこの情報の信ぴょう性はいつか裏を取りたいと考えているところです。他の市では、分別制度が一切なく、すべてすべて一色淡だったり、あっても生ごみか一般ごみの2つまで。しかもその2つの分別があっても、もう何がなんだかわからなくなって、住民もすべて一緒に出して、回収する方も一応生ごみの日であっても出されたごみをとりあえずすべて回収するみたいなことになっている自治体も多いです。そういう点で、私の任地でどういう風に分別制度が機能しているのか見よう!ということになりました。私も今たまに学校で分別練習のゲームを行ったりしているので、その授業見学もしてもらうことになりました。

ということで、招致側として2日間のスケジュールを立て、調整したりと部会2週間前くらいからは忙しい日々を過ごしました。1日目の朝は市長にみんなでご挨拶、そのあと今回の部会では新隊次が1人増えたので、顔合わせも兼ねた各任地の情報共有を1日目午前中に行い、午後はオルランドに分別制度を導入したときとそれまで、これまでのヤンササの廃棄物管理業務の歴史についてを話してもらいました。その後、現在地元金融機関とコラボして行っている分別啓発イベントがありますが、その検証作業に同行してもらい、その後最終処分場へ案内。

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処分場へ。この再分別用のベルトコンベアーが私の任地のように機能しているのはとてもすばらしいほうです。他の街では、機械があっても(寄付されたのに)使われていない、使われるためのシステムがそもそもないとか、それが現実だったりします。

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処分場では2人目のカウンターパート・マヌエル中心に案内してくれて、現カウンターパート・ホアンカルロスも付き添って一緒に説明したり、忙しいのに時間を割いてくれました。この日はこれまで関わった3人のカウンターパート全員に協力してもらいました。

2日目の午前中は私が毎週授業を行っている学校でクラス、今回はせっかくなので他の市で道徳授業を中心に行う隊員に協力してもらい、一緒に授業、午後は市役所に帰ってきてみんなでまとめというかんじでした。

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f:id:reikomiyahara:20181201054421j:plain分別ゲーム。部署の同僚も協力してくれました。

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他の街で「道徳教育から環境教育を考える」(これはきっと隊員ならみんな共感するはず)という理念で授業を行っている隊員とコラボ。彼女メインに今回は「みにくいアヒルの子」から差別、いじめについての話とロールプレイを行って、見てもらったりしました。

これまで半年ほど継続して行っているこの学校。そんなに大きな規模の学校ではなく、少し田舎、先生がとても熱心(だから私の授業を受け入れてくれたのかな?)、いろいろな意味でここで授業を継続することができてよかったなと本当に思っています。ここの子どもたちと接するのも日常になった気がします。

処分場に行くための車の手配だったり、会議室の予約などなど、同僚にお願いして協力してもらう場面も多々あったけど、これも良い経験でした。会議室もね、3週間ほど前から書面で予約申請していたのに、事前に確認すると「わからない」とか「他の会議入れたかも」みたいなことになったりして、意味わからなかったけど、まぁなんとか予定通りおさえることができました。

カウンターパートは1日目の午前中にコーヒーとウミータというエクアドルの一般的な軽食を差入れしてくれて(前々から差入れするからと私に言ってくれていました。)、彼なりに他のボランティアに対して「ようこそYantzaza!」の気持ちを表してくれているのが伝わって素直にうれしかったです。ウミータは人数分より多めに用意されていたのですが、すぐに余っているか確認し、その後そそくさと余りを自分たちの事務室に持ち帰っていったのはエクアドル人らしいなと思いました。1日目処分場の移動のときはいつにも増して車の時間など向こうから確認してきてくれたりと、気にしてくれているのが伝わってきてありがたかったです。

お昼休みもまとめのための資料準備、日本人はまじめかも。

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なんとか予定していたとおりのプログラム内容で2日間を終えることができたので、一安心。なかなか他の市ですぐに応用するということは難しい部分も多いのはわかっていることだけど、それでも「百聞は一見にしかず」でこれまで私が言葉でしかみんなに伝えていなかったことを実際に見てもらえたのでよかったかな。

 

任地では9月頃から隔週木曜日に「Noche de Talento」というイベントが行われていました。「Noche」は「夜」、Talentoは「才能」という意味。市役所の文化振興課主催のアート、芸術イベントで、絵画、ダンス、音楽の発表会です。

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大きなイベントなので、発表したい人がみんなできるという訳ではなさそうですが、この文化振興課の同僚とこの前一緒に演奏したことがきっかけで、私をプログラムに盛り込んでくれて、ちょうど私の出番が部会2日目の夜とかぶり、他の隊員たちにも見てもらうことができました。音響設備もしっかりした舞台で、とてもたのしく、気持ちよく文化振興課の先生をする同僚2人と演奏することができたし、また任地に日本人がいることをアピールすることができたかな。ここではエクアドルの曲を3曲、聴きに来ていた市役所の同僚たちもとても気に入ってくれました。ふだん不愛想な隣の部署のおじさんが演奏後に私に「グー」と合図してくれたのは少し驚いたけどうれしかったです。

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そしてこの同僚2人と演奏したあと、もう1曲時間をもらい、ステイ先の日本語を勉強するDavidと2人で日本の曲を演奏しました。曲はDavidが大好きなスキマスイッチの「奏(かなで)」。彼にとってとてもツボな曲らしく、私が任地に到着したときから「奏」推しでした。

熱唱後のDavidと母Patiと環境教育隊員たちで記念写真。私も参加記念にTシャツと賞状を拝受。

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そして11月16日から約2週間開催されていた隣の県ロハでのお祭り「Artes Vivas」。このお祭りへ日本文化紹介のブースを出すことになっていましたが、任地での環境部会のあとで部会メンバーもお手伝いしてくれるということで、みんなとロハへ移動してお祭りへ参加。この様子はまた次回以降で。何はともあれ、環境部会 in Yantzazaが無事に終わってよかったです。

部会2日間を終えて、翌日、みんなでロハに移動する前に、観光スポット「Guayacanes」という滝スポットへ。部署を統括する地域開発局の上司が遊歩道の定期巡回とごみ回収を兼ねて案内してくれました。ありがとうございました!

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みんなで。