話のタネ

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 みんなの会話を聞いていると、だいたいよく話してるな~という話題。それは畑と生き物と自然の話。野菜や果物、鶏を育てたりするところをみんなloteやfincaと呼びますが、特にそこで〇〇を育てているんだよなんて話をするときの顔は、なんだかみんな本当に関心を持って、たのしそうに話しているかんじがします。また、fincaは田舎の方(街の中心付近ではなく、車で5分ほど走ったところからは田舎地域になる)にある大きめの農場を指すみたいです。ちなみに前にも書きましたが、ステイ先のママもloteを持っていて、そこでいろいろ育てながら、鶏も飼育しています。

部署には、salomon(サロモン)という同僚がいます。彼はchofer(チョフェール)と言って、運転手さん。市役所には何人かの運転手さんがいるけどサロモンは基本はうちの部署専属なので、よく会うし、その分彼の車に乗せてもらうことも多いです。ちなみに彼は私の任地配属のときに前のカウンターパート・オルランドと一緒に途中の空港まで迎えに来てくれた人。50代?で7人子どもがいて、その分孫もたくさんいます。ちなみに息子の一人は隣の都市ロハを中心にギタリストとしても活躍しているというなんだか異色な大家族というかんじで、彼の娘たちがステイ先の娘たちと仲良しなので、私も友達です。サロモンは今のところ私が知る中で、一番の自然好きかと思います。花とか山とか滝とかね。彼は家でもいろんな植物を育てています。前に処分場に出かけたときの帰り、前のカウンターパート・マヌエルも一緒に居たのですが、サロモンが迎えに来てくれて、「これは内緒だ!」と言いつつ、帰りがけに近くの滝を見に行きました。ただ彼らが見たかっただけというかんじの急ぎ足ツアーでしたが、滝を見ながら「きれいだ!」とサロモンとマヌエルは2人でほんとに興味深そうに話していました。車中でも道路脇の植物や木々を見ながらたのしそうに話します。ちなみにマヌエルも畑や花が大好きでサロモンとは共通の趣味仲間というかんじです。サロモンの話す様子を見ていると、言葉は細かくはわからないけど、ほんとに自然を「愛でる」というかんじが伝わってきてなんだかステキだなと思います。マヌエルもloteを持っていて、そこでスイカとかかぼちゃとかいろいろな野菜と果物を育てています。前に夜のポイ捨てパトロールのときに、畑で採ってきたというかぼちゃを自慢げに見せてくれたこともありました。ちなみに彼の畑にも一度お邪魔したことがあったけど、なっていたオレンジを採って私たちにくれました。

fincaの話とか、若者は興味ないのかな~とか思っても、意外と一緒になって話をしたり、そういう所で日々働いている人も。畑で採れたからと果物をくれたりもします。みんなの生活にいかに身近なことかがわかります。

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あとは自然になっている物を見つける力。エクアドルの中でもオリエンテと呼ばれる熱帯アマゾン気候の私の任地では、標高が高めの山岳地域に比べて、暖かいし、雨もよく降るので、いろいろな種類のフルーツが豊富にあって、たくさん採れます。私には全部同じように見える木も、「あれは〇〇。」「あれは◆◆。」と若者も含めてみんな知ってます。そしてそれを見つけるスピードも、それを収穫するスピードも速いです。私がぼーっと歩いているだけなのかもしれませんが、ここの人たちはこの点におけるアンテナがすごいです。

でも考えてみれば、自然においしいフルーツがなるってすごいな~と思います。そうやって自然に近くにできるおいしいものを小さい頃から食べる習慣があったら、そりゃ詳しくなるか。日本の都市で生活してきた私にはない知識や知恵がたくさんたくさん。

 少し前に任地に流れるサモラ川の対岸地域で開かれたキリスト教関係のお祭り。

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ミサのあとは、スポーツ大会。エクアドル人はこの手の運動会大好き。

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せっかくなので、日本にはないフルーツが任地はたくさんあるけど2つだけ紹介します。

一つ目は「zapote(サポテ)」。柿に似ている。任地ではそのまま食べるか、ステイ先では甘く煮て、牛乳と混ぜて、ミルクスープにしたりもしています。感じはかぼちゃのスープというかんじ。

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処分場の警備員さんをしている同僚のお家にたまたま入れてもらって、そこでいただいたサポテ。

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2つ目は「yarazo(ヤラソ)」。名前からは似つかないとってもおいしいフルーツ。私は大好きなフルーツです。

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皮と果肉の間に粘り気のある乳成分を含んでいて、切ったあとは手に糊がついたみたいにはがれなくなります。なので、切り方や食べ方を間違えると、口がふさがってしまうという少し注意が必要なフルーツですが、味はとってもおいしい。

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話は変わりますが、そういえば今回、マヌエルを「前のカウンターパート」と書きました。マヌエルはこれまで初代カウンターパートであるオルランドの後任となって、うちの部署で責任者として改革を起こそうと様々な取り組みをしてがんばって部署を引っ張っていました。しかし、まぁお給料事情が一番の問題となって、実は1ヵ月ほど前に責任者を自ら降りてしまったのです。ということで先月部署の責任者が変わり、同時に私のカウンターパートも変わりました。「またか・・・」というかんじで、2度目のカウンターパート変更。カウンターパート3代目。なかなかこんな話聞きません。いろいろ思う所はあるけど、思ってもしょうがないし、まぁあまりもう衝撃感もなかったです。私のカウンターパートは基本うちの部署の責任者を務める人になるので、カウンターパートである上司には必要な報告、お願い、質問、相談などしなければいけませんが、あとは私がやりたいことに関係のある人、もちろんこの際初代カウンターパートのオルランドも含めて、自由に動くのもありかなと考えています。もちろん許される範囲内で。そして新たなカウンターパートを一応紹介しておきます。名前は「Juan Carlos Tacuri(フアン・カルロス・タクリ)」。彼も市役所の総合開発局関係の部署での仕事が長いようで、ボランティアの存在を前任者時代から知っていました。私の言おうとしていることを最後まで聞こうとしてくれるので、その点は本当にありがたいし、人間的に信頼のおける人物だと思っています。2代目カウンターパートのマヌエルはいろいろと部署の仕事をがんばっていたし、部署の仕事も詳しかったけど、何より責任者時代はメラメラとマニフェストを起こすぞ的な姿勢がすごかったけど、それもあってあまりボランティアとする活動に関心もなく、私の考えは基本無視だったので、話すということ自体が難しかったけど、それに比べたら、今のフアン・カルロスとのほうが相談したり質問したりという時間が多くなっていることに驚きです。私にとっては良い環境の変化となっているのかもしれません。そしてこのマヌエルは現在、最終処分場における責任者として引き続き部署に関わっています。ただ部署全体の責任者としての役目を終えたというかんじです。なので最終処分場での許可が必要なことなどはマヌエルに確認することになるので、彼とも引き続き関係をつないでいく必要もあるけど。もちろんきっと初代のオルランドだったら、関係がある人へのつなぎまでいろいろやってくれて、というかんじだったとは思うし、限られた時間やどうしても語学の面で圧倒的ハンデを背負っているので、ボランティアにとってそういう環境に越したことはないけど、まぁこうなった以上これもこれでしょうがないです。ちなみに3代目のカウンターパートは少し中継ぎ感があって、彼はこれまでの仕事も引き続き継続しながらの兼任。忙しそうです。それでも私と話すときは私の話を聞こうと、彼自身が言おうとしていることもしっかり私に伝わるように話してくれます。

そんなこんなで、長期的に2つの部署の責任者を兼任するのは厳しいということで、市役所内では長期に担当できる人が上司として着任するだろうと言われています。当の本人も最初はそう言っていて、部署を2つ兼任するというのはまさに寝耳に水というか、「なんで俺が・・・」みたいな戸惑い感がありました。それでも結局まだ新しい人は着任しておらず、状況はいまだ不安定ですが、ホアンカルロスはとても良い人なので、彼と関われたことも良かったということで、引き続きがんばっていきます。

少し高台からの任地の眺め。この眺めは任地の中で都会の風景。少し離れると、もう田舎。夜は星がとってもきれいです。

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エクアドル的GW

日本がGWを迎えている中、なんとここエクアドルも連休でした。5月1日が「el día del trabajo」という祝日。日本でいう勤労感謝の日に近いかんじです。市役所でも前の週の金曜日4月27日にプログラムを行いました。プログラム内容は、市長のお話と現地の文化鑑賞、優秀労働者の表彰、余興、軽食の配布など。

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任地であるオリエンテ地方の伝統民族「shuar(シュアル)」族のダンス。高校生くらいの子たちが披露してくれる。

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また別の民族、こっちはおそらく山岳地域のエクアドルの伝統の踊りと衣装。

そして市役所の音楽の先生による歌で盛り上げ。ちなみに彼はコロンビア人です。

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4月28日~5月1日まで、大統領政府が4連休にすることを発表。28日29日は土日だったので、土日月火の4日間。ということで、休みに入る2日前に国全体が4連休になることが発表されました。もともと3連休かな?とか思っていましたが、いろんな人に聞いてもギリギリまでよくわからないホワッとしたかんじが続き、やっと発表。1日火曜日を休まなければいけないのは官公庁がメインだったようだけど。ただ、本来であればtrabajadoresと呼ばれる労働者階級の人たちも毎日とっても大変な仕事をこなしているので彼らも含めてみんな休めたらいいのにと思うけど、彼らがしている仕事は祝日だからといって止めることはできない仕事です。うちの部署で言うと、街のごみ回収や清掃の仕事。なので、彼らは通常営業でした。でも、もともと振替で休まなければいけなかった人などがいたので、そのtrabajadoresと呼ばれる人たちのシフトもメンバーや運転手さんを変えて、同僚のエドウィンが先頭に立って調整。だけど、2日前の夜に連休になるというニュースが流れ、翌日である連休前日にその調整作業を行っていたため、やっつけ作業のようにもなっていたような雰囲気。この日に会えない人には電話してどうにか連絡を取ったり、隙間時間に話して念押ししたりしていたけど、きっと細かい認識の違いがたくさんあったり、当日にいろいろアクシデントや少し田舎のほうに行くと電波はなくなるため当日も連絡が取れなかったりで、連休後の2日の朝には誰々が来なかったとか、3時間だけ回収して終えてしまったらしいとかなんだかいろいろ言い合っていました。まぁこれまでも祝日はいつもこうやって働くのか働かないのかという所からみんなでもめているのですが、今回はなおさら連休が決まったのが前々日だったため、余計に混乱状態でした。それでもなんでこんなに直前に決めるんだという不満の色が出ないのが不思議で、ふつうにみんな聞いて対応しきれてなくてもそれもふつうのことというかそういうものだというこの圧倒的「勢い」というか「スピード感」というのか、決まってなくてもとりあえずもう突入するだけというのか、これはこれでいいなと、ある意味すごいなと思います。もちろん日本人には馴染みませんが、これも異文化だなと微笑ましく感じるここの日常の光景です。ここでは基本的にはみんなそんなかんじです。先のことを計画するとか準備するとか、事前に〇〇しておこうみたいな習慣がほぼありません。例えば明日使う書類を今日作っておこうというよりは、明日になって使う前に作るのが当たり前という感覚に近いです。今日時間があったとしてもやっておくという発想がありません。そのときのその場の流れと雰囲気とそこにいる人たちでこなすしかないというかんじ、やっぱりとりあえず突入するというかんじ、みんなを見ているとこれもこれで大切なのかも…と感じたりもします。そしてそれも含めてその場その場をたのしんでいるようにも見えます。

 そんなこんなで私も思いがけず4連休でした。せっかくの連休ということでわたしもエクアドル人のように直前計画型を同期と実践。金曜日に家に帰ってから同期や他の近くの隊員に連絡を取って、誰がどのあたりにあそびに行くのか、誰かと合流できるかと試行錯誤した結果、この前任地にあそびに来てくれた同期隊員と2人で、シエラ地域のアラウシという街へ行くことにしました。

今回も地図を掲載。目指したアラウシという街は、クエンカとその北にあるリオバンバという街の間位に位置している街です。

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クエンカからバスで4時間半ほど行ったところにありました。私の任地は南部ロハのさらに少し南なので、そのあたりからクエンカまでが8時間。アラウシまでは乗り継ぎとかも入れて14時間ほど。遠かった…けど、アンデス沿いの鉄道は電車好きな私にとってはかなりたのしむことができました。

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ここには今は観光化された電車が1日2便、朝8時と10時半に走っていて、それに乗りに行きました。

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ロゴマークイカしてるし、内装もおしゃれ。

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景色もとってもきれい。真ん中の山が「naríz del diablo(ナリス デル ディアブロ)」といって、意味は「悪魔の鼻」。ここの観光地の名称にもなっています。紙ナプキン置きまでかわいい。

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これは観光用。

そして休憩ポイントに30分ほど停車。

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乗客も含め、出発までみんな踊る。みんな踊るのがほんとに大好き。

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夜にアラウシに到着。とっても小さな街だったけど、こじんまりとしていいかんじの街でした。

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エクアドルはいま雨季で、一部の海岸方面の地域では日本の梅雨明けのように乾季に変わっている地域もあるようですが、中央地域や私の任地はまだまだ雨季。出発の朝、任地は大雨だったり、移動中も天気は良くなかったけど、アラウシ滞在中は天気も良く、ありがたかったです。f:id:reikomiyahara:20180505062221j:plain

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やはりシエラ地域に来ると、ぐっと山岳地域入るので、インディヘナの数が圧倒的に多いです。洋服が色鮮やかでほんとにかわいい。

帰りの移動が楽になることを考えて、早めにクエンカに戻って一泊してからそれぞれ任地に戻ることに。

さすが第三の都市、クエンカ。夜もすてき。都会。

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そしてクエンカ泊のこの日の夜には先輩隊員と合流して夜ごはんを食べ、次の日も任地に戻る前にクエンカから車で1時間ほどのところにあるチョルテレグという街に行ってみました。ここは銀細工が有名で、すてきな銀のピアスなどを買うことができます。

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そして帰路に。クエンカ近くまで来ていたとはいえ、それでも移動はやはり体力勝負。長時間移動はごはん処にとまる時間や場所が読めず、かつ食べに行くとなるともちろん荷物は置いていけないし、席を取られてしまう可能性もあり、トイレに行きたくならないように調整するのも気を遣ったり、現地の人たちのように身軽に簡単にはいきません。

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みんな降りて食べてる〜、わたしも空腹だったので食べたい〜と心の中では叫びつつ、でも荷物のこと、トイレのこと、いろいろ考慮した結果、ここは我慢。それでもターミナルで食べよう、トイレに行こう…と思っていても、乗り継ぎのバスがすぐ出るから今すぐ乗って!とか言われて結局食べられず…トイレも行けず…みたいなこともよくあります。まぁそれも含めてだいぶ慣れました。

4連休の3日目の夜に任地に戻ってきたので、4日目は1日任地で。帰ったらいつもありがたく使わせてもらっている洗濯機が故障!洗濯機だし…とためてしまっていた大量の服を手で洗ったりしてゆっくり過ごしました。改めて洗濯機のありがたさを実感。

突然決まった4連休もエクアドル式直前計画旅行により、充実した時間となり、エクアドルの新しい場所を知ることができて、よかったです。

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活動では、今はこの前授業をさせてもらった学校をまわって、校長先生などを中心にアンケートを配布。そして回収して書類を作ったりしています。アンケートは筆記体で返ってくるため、ふつうの筆記体も私はあまり読まないので、なおさら現地の人が書く筆記体は解読に四苦八苦。同僚に読んでもらって、それを書き取って書類を作ります。でもこのアンケートのおかげでさらに学校の先生たちとも顔見知りになれました。アンケート配布に行った少し田舎の学校では、ごみ回収がここ3週間止まってるんだと言われて、それを同僚に話して回収に行ってもらったところ、翌日アンケート回収に行ったとき、すごく感謝してくれました。その学校の先生たちは環境教育の取り組みにも熱心なかんじが伝わってきたので、もう少し通ってみようと思っています。それにアンケートも翌日に回収しに来るから書いておいてねと伝えて、翌日わたしが顔を出すとささっとアンケートを出してくれることに感動しました。忘れてた忘れてたと結局その場で書いてくれることになる先生、でもきっとこれがエクアドルのふつうなので、私も出来上がっていることを期待して回収に行ってないのですが、こうやって「忘れてなかった〜!」とこちらがびっくりする準備の良さを発揮してくれる先生も。


あとは6月に環境教育隊員全体で国内研修を企画しているのでその準備や、新しい企画書類の作成、この前家庭用コンポストを導入してもらったお家に定期的に観察に行っているというかんじで4月後半は過ぎました。このお家は以前に分別と回収日の変更があったときに各家庭を回るというお仕事に同行した際、コンポストに興味を示してくれた人のお家です。それから何回か通って、試験的に導入してもらいました。前任者もやっていた活動だけど、私としては初案件なので、継続するといいな~と、マイペースにやってます。

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そして気付くと5月。周りの人にあとどのくらいいるの?って聞かれて、正確には1年3ヵ月ですが、「だいたい1年だね。」と答えられる期間になってきました。日本でだったらすぐできることが、ここでは1週間1ヵ月かかるので、時間の使い方が難しいところはあるけれど、まずは1日1日を大切に過ごしていきたいです。

 

大掃除

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先週の木曜日に、市役所の大掃除がありました。

特に毎年この時期と決まっている訳ではなさそうですが、各部署ごとに大掃除。各部署それぞれ力を入れる部分が異なり、となりの部署は床にニスのようなコーティングを最後に行っていたり、それに対してうちの部署は壁の色を塗り直しました。本当は木曜日の午後に行うという計画でしたが、結局どこの部署も木曜の午後だけでは終わらず、金曜の午前まで。うちの部署も金曜の午前まで行ったのですが、金曜はもともと一人お休みだったり、途中で同僚がいなくなったりして、最終的には残された私ともう一人の女性の掃き掃除担当のおばさまとほぼ2人で片付けたかんじでした。それなのにペンキを塗ったところが汚いとか言われたりして、いきなりいなくなったのそっちじゃん。と思った瞬間もあったけど、まぁ一応無事に終わったので良し。

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そしてそして、今年2018年は、エクアドルと日本にとって少し大切な年です。なぜかと言うと、エクアドルと日本が外交関係を結んでちょうど今年は100年目!1918年の8月26日に外交関係が樹立されたそうです。これは100周年の記念エンブレム。私が着任したころから少しずつアナウンスされていましたが、2018年に入ったので、私にも広報できるかなと大使館からデータをもらって、市役所の掲示板と階段の廊下にこのエンブレムを貼りました。大きい都市ではいろいろイベントが開催予定でボランィア全体で参加予定のものもありますが、他に任地でできる広報活動を模索中なので、何かいい案があったら教えてください。

市役所の入り口の掲示板。

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2階に行く階段の壁。

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さて、中米のニカラグアでは大統領政権に対する反対デモ運動がかなり激化しているらしく、死者も20人以上出ているそうです。ニカラグア隊員は外出禁止になっていたりもするらしい。1日も早く収束するといいなとエクアドルから願っています。そして今私がふつうに任地で暮らせることにも感謝して過ごさないとなとも思いました。そしておとといときのうは久しぶりに断水でした。ちなみに日中もかなりの時間断水していて、トイレに行ったら水がでなかったり。でも最近はありがたいことに断水はしばらくなかったので、ほんとに久しぶりだな~というかんじでした。おとといは夜ごはんを作っていた最中だったので、ステイ先のお母さんと少し慌てましたが、まぁ水を使う工程はなかったので無事にごはんを作り終えることができました。ちなみに作ったのはオムライス。ステイ先の家族にも好評でした。

きのうは任地に来て、はじめてお葬式に参加しました。市役所の他の部署の同僚(30代後半くらい?)の90歳のおばあさんが亡くなったとのことで、何人かで業務終了後にお花を持っておうちに訪問。同僚に声をかけてもらい、私も同行。90歳くらいになると、街の人はだいたいみんな知っていたり、もともと地主のようなお家柄だったり、知り合いも多いため、ほぼ街全体がそのニュースを知ることになり、たくさんの人がお葬式に訪れます。エクアドルは基本土葬です。2,3日お家でお葬式(家の前にテントと椅子を並べ、夜になるとスープやパン、コーヒーが出たり、歌を歌ったりするらしい。最大夜の12時頃まで。)のあと、お墓に運ぶそうです。

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 ちなみにこの亡くなったおばあさんは若いころは学校の先生だったようで、それもあってみんな知っているみたい。同僚である孫の兄弟はお医者さんだったり、首都で働いていたりするようなので、お家もとっても大きくて、きっといいお家なんだろうなと思いました。任地にいると、仕事上で知り合っても、家がすぐそこだったり、そのとなりには別の同僚が住んでいたりと、そんなかんじでとってもミクロな世界です。日本からきた私はなかなかプライベートがなさそう…と思って見ていますが、いろいろなことがここではオープンなので、まぁいいのかな。人と距離が近くて、気にしない、オープンにする性格というのもとてもすてきなことです。反対にいろいろと見えやすいので、裕福なお家とそうではないお家というのもとてもわかりやすくて、いろいろ考えさせられることもあるけど、だからといって私が気にしてもしょうがないことで、これがここの生活なんだなと思います。日本以上に生まれた環境によって、将来が決まっているかんじがすごくしますが、みんな当たり前のように自分の人生を送っています。きっとその中でそれぞれみんなたのしんでいるから、私もみんなとたのしむのが一番です。

お葬式の帰りがけには同僚と中央公園で軽食を食べて帰りました。

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empanada verde(エンパナーダ ヴェルデ)という一般的な軽食。中にチーズを入れたり、鶏肉を入れたり。きのうはチーズ入りにしました。上にはキャベツ。

来Yantzaza!!

先週末の土日に同期隊員が私の任地にあそびに来てくれました。

いまエクアドルに住む2017年度1次隊の同期隊員は私を入れて9人。みんなそれぞれ別々の街に住んでいます。せっかくなので少し同期隊員の分布も紹介します。これがエクアドルの県。首都のキトがあるのはピチンチャ県。ちなみに私たち隊員はピチンチャ銀行を使っています。

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ピチンチャの北側インバブーラ県に3人、西側マナビ県に1人、少しずつ南下して、コトパクシ・ボリバルチンボラソに1人ずつ、そしてロハに今回あそびに来てくれた同期の彼女、サモラ・チンチペに私がいます。こう見ると改めて自分のいる場所のペルーへの近さに驚きです。

さて、ここで少しエクアドルの時事情報を。1つ目。エクアドル北部のエスメラルダスのコロンビアとの国境付近がとても危険になってきています。今週、コロンビア人によって、エクアドルの新聞記者が3名殺され、その数日後もエクアドル人が2名殺されてしまいました。もともと私たちは立ち入り禁止の地域なので、縁はないとは思いつつも、少し緊迫感が漂います。コロンビア国境付近でのこういった事件の理由は主にはドラッグ関係だそうです。そして2つ目。このエスメラルダスとマナビのあたりで、2年前の2016年4月、日本で熊本地震が起きたすぐ2日後にエクアドル地震が起き、600人ほどの死者と、負傷者、行方不明者が出ました。マナビには上に書いたように1人同期が住んでいますが、彼が住んでいる近くにもまだまだ地震の爪痕が大きく残っているらしいです。せっかく同期がいるし、マナビにもいつか訪れたいと思っています。この2つの関係があり、今週は少し追悼モードが強い1週間でした。

話を戻して…今回あそびに来てくれた彼女はエクアドル同期隊員の中で、私の任地から一番近い街に住んでいます。近いとはいえ、バスを乗り継ぎ、約4時間半くらいで、となりの県であるロハ県にある「カタマヨ市」というところです。ここには国内便の空港があります。カタマヨの空港内。

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カタマヨ以南に住む隊員はみんなこのカタマヨにある空港を使って首都に行くので、この街は私たちにとって首都への空路の玄関口。ということで、ロハ隊員や私はいつも通る街。そして彼女と会う時やエクアドル南部に住む隊員の会「ロハ会」を行うときはロハ市中心部で集まるため、なかなか私の任地がある最南部まで来るのは難しいのですが、今回ついに来てくれました。やっぱり知ってる人、中でも同期が自分の住んでいる街にあそびに来てくれるというのはなんだか新鮮でうれしいものでした。

 同期をステイ先の家族にも紹介できたし、たまたま予定が合って、ステイ先の家族含め、みんなで少しあそびに行ったりもできて、たのしい時間を過ごすことができました。みんなで少し離れたところ(車で20分くらい、となりの州であるパンギという街近くにある滝スポットへ。)

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帰ってきて、夜にはコンスタントに開催されているスポーツ大会の観戦に。ステイ先の息子がチームに所属していて、試合に出るというので、その応援も兼ねて。

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市内にある体育館で開催。

ステイ先の家族は本当にみんな優しいのですが、ステイ先のこの息子はいつも私を家族として紹介してくれます。ちなみに35歳独身なので普段から家にいて、会うとよく私に絡んできてくれます。しかもかなり明るく陽気に。見てるとなんだか自由に気ままにやってる人です。今回同期が来た時も、彼女に「Soy ñaño de la Reiko.」と言ってくれました。意味は「Reikoのお兄ちゃんだよ。」という意味。ñañoとは、「男兄弟」、ñañaが「女姉妹」という意味ですが、ニュアンス的には「お兄ちゃん」とか「お姉ちゃん」とか、そういう優しい呼び方なかんじです。「姉」「兄」「妹」「弟」を意味する単語は別にあるのでそれらとはまた少しニュアンスが違うっぽい。読み方は「ニャーニョ」「ニャーニャ」。発音からもなんかこう、親しいというか、距離が近いかんじが伝わってきます。少し子供っぽい発音な気もしますが、もちろん大人同士でも何歳になっても使うっぽいです。市役所の人たちも使ってるし、ステイ先のお母さんも、彼女のお兄さんを指すときに「ニャーニョ」って言ったりもしています。

 ちょうど土曜の夜には中央公園でお祭りもしていて、彼女と一緒に少し見に行って回ることもできました。 

私もまた彼女の任地、職場、もちろん他の同期の任地にもあそびに行ける機会を作って、行こうと思っています。

今週も1日学校へ。少し中心地からは離れた学校。とはいえ、市役所からは車で10分かからないくらいです。

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小さい子どもたちとは、同期の幼児教育隊員に教えてもらった忍者のあそびをしました。これが意外と好評!みんな興奮してあそんでくれました。さすが幼児教育隊員、ありがとう!

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休み時間にリコーダー。

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今回一緒に回ってくれた同僚のエドウィンには大感謝です。

任国外旅行 ~ボリビア~

今回は、せっかくなので先月末に行ったボリビア旅行について。f:id:reikomiyahara:20180411053350j:plain

行きはキトからペルーのリマ、そこから国内便でクスコへ、そしてクスコから無事にボリビア入り。

途中のペルー・クスコ。

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着いた都市はラ・パス。

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ボリビアの実質的な首都です。実質的と書いたのは、憲法上の首都はスクレという都市にあるらしいです。でもラ・パスが首都のように機能している中心地。ラ・パスという名前はスペイン語で書くと、「La paz」。その名も「平和」という意味。

ここ、ラ・パスにも、派遣前訓練所時代の同期隊員が2人いるので、彼らにも会うことができたし、貴重な土日を使って案内してもらいました。

乗合タクシーがかわいい。

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ラ・パスの街は谷のような形をしていて、山の傾斜にもたくさん家や建物が並んでいます。ちなみに底(低地)に行けば行くほど、富裕層が住んでいるらしい。

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ちなみにこの通りの奥に、バックパッカーをしながら手作りしたかわいいバッグやポーチなどを売っている日本人男性に出会いました。ぱっと見た瞬間、「日本人だ!」って思って、様子を伺っていると「こんにちは~。」と挨拶してくれて、みんなで立ち話し。そしたらなんと協力隊の先輩でした。1年後くらいに日本に帰って、地元でゆっくり過ごす予定らしいです。この先輩が言っていた印象的なこと、「JICAのおかげでスペイン語もある程度話せるようにさせてもらって、感謝ですよね~。」って言っていました。私も言葉がわからなすぎて嫌になることもあるけど、でも、この先輩に出会って、勉強させてもらってるという感謝の気持ちを忘れないように毎日過ごさないとなぁと改めて思うことができました。

ラ・パスの街にはケーブルカーがあります。通称「teleferico(テレフェリコ)」。

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ラ・パスの標高は約3600メートル。エクアドルの中でも3000メートル超えの街に住んでる同期隊員もいますが、私がこれまでエクアドルで経験したのは2800メートルくらいまでなので、たぶん今回のボリビア旅行で人生の中での高地記録を更新しました。寝ているときに少し息苦しかったり、ほんとになだらかな坂を歩くだけでも私はきつかった。こういうときは、任地が低地でほんとによかったなぁと思います。

このケーブルカーでさらに上へ。4095メートルの所にある「el alto」駅。

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4095メートルからの眺め。

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そしてこんな高地に何があるのだろうと思っていたら、大きな街が広がっていました。低地には富裕層がいるということはきっと高地はだんだんと貧困層になっているということなんでしょうか。なんだか少しアジアを彷彿させる景色でした。
 

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夜の景色もきれい。

みんなの一般的な朝ごはん。「salteña(サルテーニャ)」。中にお肉などを煮た具材が入っていて、味も日本人好み。とてもおいしかった~。

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これはサボテンの実らしい。ボリビアではふつうにフルーツとして食べられていた。味や食感は梨に近かった気がします。

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ラ・パス市民かな。ミサで使われる葉っぱで作った飾りを持って歩いています。

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これは桃のようなフルーツのジュース。これもかなり一般的なボリビアの飲み物のようです。茶色のほうはシナモン入り。

ラ・パスのおみやげ屋さん。

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ボリビアの伝統的なお面の顔のニット帽とそのとなりはリャマのミイラ。
時計の文字盤が反対になっているラパスの建物。なんでも今のボリビア大統領が反米主義らしく、その表れのひとつだとか。けど意図がよくわからない。

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ラ・パスで2日間過ごしたあとは、みんなで待望のウユニ塩湖へ。ウユニ空港の前。

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塩の湖。湖の大きさは日本の秋田県くらい。にも関わらず、その湖の中では高低差は50センチほどしかないらしい。場所によって、乾いた部分や少し深い部分、足の甲が水に浸かるくらいの深さなど、風の吹き具合によって変わっていきます。特に足の甲が水に浸かるくらいの部分+風が少ないと、きれいな鏡張りになって、とってもきれい。この鏡張りの写真が有名です。

そしてウユニ塩湖があるウユニ市の標高は約3700メートル。ラ・パスよりもさらに高い。もちろん少しきついと感じる場面もあったけど、塩湖に感動して、そのことは忘れていました。

塩湖の中に入るにはジープのような車で行かないといけないので、ツアーに申し込まないといけません。ウユニ市内中心から塩湖までは車で40分くらい。水が深い所を進むときはゆっくりゆっくりになるので、さらに時間がかかります。今回は2つの会社で申し込んで、そのうち1つは日本人のガイドさん、ちなみに協力隊OBの方でした。もちろん協力隊時代はボリビア隊員。

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ツアー終了後もみんなで話したり、最後まで良くしてくださりました。

ウユニ市内から塩湖に行くまでの途中にある「cuicocha村」。塩湖が有名になってからは観光業もさかんになっているそうです。

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この村の中にある学校。

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そして塩湖へ。

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鏡張り。きれい~。

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ちなみにラ・パス、ウユニの家庭ごみはちょっとよくわからなくて、いくつかごみ箱は設置されているものの、道の真ん中に、どさっと袋にも何も入れずにそのままのごみが置かれているのか放置されているのか、捨てられているのか・・・というような状況でした。ウユニはさらにここ何年かで激しく有名&人気になった観光地なので、環境汚染やごみの問題は深刻なんだろうなと思います。

ウユニ塩湖内で観光客が乗ったジープ同士の衝突事故の記念碑。片方のジープは日本人観光客でした。

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ボリビアではコカが合法。この写真はコカ茶。街でもコカの葉っぱを口に含みながら働いている人がたくさんいました。

 

そしてウユニの2日間を無事に終え、ここからは少しみんな分かれて、他のボリビア隊員がいる街にバスで向かう人、そのままウユニに残ってさらに他のきれいな湖ツアーに参加する組など。私の次なる目的地は「サン・フアン」というところ。ここにも一人同期隊員がいます。彼女は訓練所のスペイン語クラスが一緒でした。訓練所では半分以上が語学訓練にあてられるので、語学クラスが一緒だと、ほとんど毎日顔を合わせるし、一緒にお昼ごはんを食べたり、過ごす時間が多かったように思います。彼女は2回目の協力隊参加で、今回は日系日本語教師という職種での派遣。日系社会で日本語を教えるという活動内容。ということで、私が訪れたサン・フアンは日系移民の移住地です。ボリビアには2つの大きな日系社会があり、ひとつはこのサン・フアン。もうひとつはコロニア・オキナワ。コロニア・オキナワは沖縄からの移住者の街。コロニア・オキナワにも一人同期隊員がいますが、今回はオキナワのほうには行かずにサン・フアンのみになりました。もちろん観光ガイドブックにも載っている日系社会ですが、なかなかこういう風に知り合いがいないと日系社会に遊びに行ける機会もないかなと思い、今回あそびに行くことにしました。サン・フアン隊員の彼女もちょうどウユニに遊びに来ているということで、ウユニからサン・フアンまでも一緒に向かうことができ、移動もスムーズ。ウユニから国内線でサンタクルスへ。ここはボリビアの中でもとても大きい都市で、大学もあるし、近代的な街です。その分他の都市や街に比べたら少し治安は悪いらしい。サンタクルスから車で2時間半くらいのところにサン・フアンはあります。前にテレビで一度だけ見たことがあった日系移民の歴史についても今回さらに知ることができたり、今回訪れたことでなんだか身近に感じられました。

移住地の入り口。

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そして裏側。

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入り口近くにある介護施設。ここでもシニアの高齢者介護隊員の方が忙しく活動されていました。

移住地の中ののどかな風景。

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病院。

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スーパー。

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移住資料館の敷地内にあった記念碑。

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このサン・フアンでもこどもたちはとても素直。思春期の年齢の子たちも彼らから元気に「こんにちは~。」と挨拶してくれました。日系の子たちはふつうに日本語を話します。サン・フアンにある学校は中学の途中くらいの学年くらいまでらしく、ここを終ええると、みんなサンタクルスの中学校高校に編入するそうです。でも休日ごとにサン・フアンに帰ってくる子が多いみたい。私たちが訪れた時期もキリスト教の「semana santa(セマナ・サンタ)」(キリストの復活をお祝いする行事)で学校はお休みとかで里帰りしている様子でした。

サン・フアン学校内。

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幼稚園にも入らせてもらいました。

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そして日系1世の方のおうちで夜ごはんをごちそうに。このお母さんは6歳ころにボリビアに移住されて、お母さんが来た頃には、移住地にはもう道ができていたそうですが、お母さんの旦那さんが移住してきたときには道も何もない、本当の原始林だったらしいです。今回案内してくれた日系の青年たち、彼らはだいたい3世にあたるそうですが、この広大な大地で農業を生業にしています。自分たちはもうある程度の環境がある中で生まれたけど、彼らにとっても原始林から開拓したというのは本当に信じられないと言っていました。ちなみにこのお父さんは「日本は異国というかんじかな」と話し、お母さんは「こっちの生活があるからたぶん無理だけど、できれば日本で暮らしたいなぁ」と話していました。なんでも日系のお友達がエクアドルに住んでいるとか。それで今回エクアドル隊員が来るよってサン・フアン隊員の同期がお母さんたちにお知らせしてくれて、ぜひごはん食べましょうって言ってくれたそうです。

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日系の青年たちに広大な土地を案内してもらう。日系の方々はここで農業、畜産業を営んでいます。

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野生のダチョウ。

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これはマラクヤというフルーツ。エクアドルでもジュースに使うとっても一般的なフルーツ。

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日本食の食堂で食べた冷やし中華とからあげ。日本に居る時はあまり冷やし中華は好きではなかったけど、久しぶりの味に感動しました。
サン・フアンで1日半、空港があるサンタクルスに移動して約半日、過ごしました。

サン・フアンからサンタクルスへ。

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そして都会・サンタクルスへ。

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ちなみにサンタクルスにいる同期隊員は2人。柔道隊員と映像隊員。

任地が遠く、エクアドルに帰ってからも家に着くまで道のりが果てしないので、私は1日はやく帰ることにして、サンタクルスからラ・パスまでまず移動。ラ・パスでウユニで一度別行動になったエクアドル隊員の同期と合流して、ラ・パスからコロンビアのボゴタ空港へ。そこからエクアドルグアヤキルへ帰ってきました。ボゴタの空港で到着が遅れて、グアヤキル行きの便に乗り遅れるというハプニングがあったものの、スムーズな手続きをしてもらったおかげですぐ次の便に振り替えられ、特に支障は出ませんでした。ボゴタの空港はとっても大きくて近代的で、久々においしいピザを食べることにできて、異空間を味わいました。

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ただここで同期と調子に乗ってピザに唐辛子をたくさんかけて食べたら、のちのちお腹が大変なことになり、グアヤキルに着いてから任地に戻る長距離バスの中でヒヤヒヤする時間を過ごすことになりました。

空から見るエクアドルの大都市・グアヤキル

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そんなこんなでとても充実した時間を過ごすことができたボリビアへの任国外旅行。移動時間を入れると10日間、そのうちボリビアには7日間滞在することができて、濃厚な、すてきな時間でした。

それでもエクアドルに帰ってきたときは、日本ではないけど、「帰ってきたぞ~」という不思議な感覚。さらに任地に戻って、久しぶりにステイ先の家族や街の知り合いに会って、やっと落ち着けた・・・というかんじでした。

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ラ・パスにあった日本食屋さん、その名も「けんちゃん食堂」。ラ・パスのこのお店は2号店で、本店はサンタクルスにあるらしい。こういうのも日系社会がある影響でしょうか。かなり日本が身近でした。どこに行っても「japones(日本人)」「japón(日本)」に対してもかなり身近なかんじの接し方だった気がする。エクアドルではこういう日本を感じられる日本食をやさしい値段で食べられるところはほぼないはず。日本食に飢えていた私達エクアドル隊員はまさかの2日連続で夜ごはんをここ「けんちゃん食堂」で食べました。これもかなりリフレッシュできた一要素。

ボリビアの通貨は「ボリビア―ノ」。7ボリビア―ノが1ドル。物価は全体的にエクアドルよりも安い。ということで日本よりも全然安い。写真は10ボリビア―ノ紙幣。少し顔がこわいです。

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 ウユニ塩湖の写真はまだまだきれいな写真がたくさんあるので、またちょくちょく載せられたら載せます。

初授業

活動のことをやっと少し書ける回がきました。

今週4月4日にはじめて学校で授業をさせてもらう機会を得て、今週と来週は学校で同僚と活動しています。市の教育委員会のようなところに申請を出してから、3ヵ月ほど待ち、やっと。長かった~。

本当は同じ学校、同じこどもたちに何回もいろいろな内容で継続的に行うことが一番必要で、理想的なのですが、配属先や今回仲介してもらった教育委員会ができることの中では現状それは不可能とのことなのでそれぞれの学校に1回1回の単発で行うことに。街の中心にある小中学校いくつかを1日ずつまわるというかんじ。継続的に行ける学校の模索をこのあとは個人的に行っていかないといけないと考えていますが、今後どうなるかはまだわかりません。けど学校での活動はなんらかの形で続けていかなくてはいけません。

それでも今回学校の授業時間を使って、こどもたちと接することができたのはすごく貴重な経験でした。

今週回ったのは、3校。

「General Rumiñahui(ヘネラル ルミニャウイ)」

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踊り・文化×体育のような時間?先生をしているのは市役所に出入りする音楽家のような人。

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次が「JuanXXIII(フアン23)」

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3つ目が「Paulina Solís(パウリナ ソリス)」f:id:reikomiyahara:20180407045719j:plain

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学校名はキリスト教の重要人物の名前だったり、スペインがやってくる前のエクアドルにいたインディヘナの有名な歴史上の人物名だったりするようです。

エクアドルのこどもたちは本当に素直で無邪気。笑いかけるとみんな笑い返してくれます。知っている人、知らない人関係なく、通りすがりにあいさつをするという習慣は本当にすごい、素敵だなぁと思います。なのでこどもたちはみんな集会所に入ってくるときに一言あいさつして入って来たり、近くに来たらまたさらにフランクに「やぁ。」って微笑んでくれたりもします。この前私を訪ねてくれた事務所の担当調整員の方も、そのタクシーの運転手さんも「知らない私達にもこどもたちが道であいさつをしてくれるのには感動したよ。」と私に言ってくれました。

授業開始初日。朝、6時半頃、まだ寝てると、窓の外から私を呼ぶ声がして、驚いて目を覚まし、外に出るとカウンターパートのマヌエル。これから別の仕事で少し遠くの地域に行かないといけなくなったからと、今日は一緒に学校には同行できないかも…、代わりに同僚のエドウィンが行くからという内容と、私にプロジェクター用のパソコンを託すために来てくれました。

結局その別の用事は流れた(こういうことはほんとに多い)とかで、学校でのプロジェクター設置などは手伝ってくれましたが、そのまま最終処分場へ行ってしまったので、授業は同僚のエドウィンと2人で行いました。はじめは日本はどこにあるかとか、日本語の挨拶とか日本の季節、お寿司のことなども紹介。もちろんそのあとに環境やリサイクルの話を少し。途中でバトンタッチして、エドウィンが分別のことをさらに詳しく熱弁という流れ。特に小さなこどもたちへの彼の話し方はとてもわかりやすいので彼の喋り方も真似したい。

校庭を歩くと、挨拶してくれたり、さっきの続き!みたいなかんじで、「これは日本語で何て言うの?」とか話に来てくれたりもしました。たぶん前に学校を案内してもらったときに日本語のことを話した子たちか、ある子が「中国人がいる!」と言うと、他の子が「違うよ、日本人だって!」と言ってくれている声が聞こえてきたりもしました。もう中国人と言われまくることに慣れたので、私を日本人と判別してくれるのは素直にとってもうれしいです。

活動はまだまだ始まり。でも早いもので、配属されて8ヵ月が経とうとしています。もっともっといろいろな視点からの活動を模索していかないといけないです。残り1年4ヵ月。スペイン語もがんばらなくては。

そして、3月末の1週間は任国外旅行に行っていました。年間に数日、隊員は任国外旅行という日数にあてて、お休みをもらうことができます。はじめての任国外旅行先はボリビア。もちろんエクアドルにいるので、移動時間もお金も日本から行くより格段に少なくて済む。この機会に行っておかないと!と同期隊員何人かで計画し、エクアドルエクアドル着のはじめての国外旅行。そして訓練所が一緒だったボリビアの同期隊員にも約10ヵ月ぶりくらいに会うこともできました。

エクアドルボリビア間は直行便がないので、行きはキトからの便でペルーのリマ&クスコ経由、帰りはコロンビアのボゴタ経由でグアヤキルに到着する便で帰ってきました。旅行中は良い意味でスペイン語の復習のつもりでだいたいこれまで使った言い回しで乗り越えられたけど、やはり任地に帰ってくると途端に「まわりの人たちの会話わからん。」ってなります。スペイン語もまたがんばろうと思えて、リフレッシュできたし、やっぱりなんだかんだ任地を離れると、任地の雰囲気が恋しくなるものです。

土日を入れて9日間の旅行は内容がとても濃厚で、書きたいことがたくさんあるので、また次回以降に旅行の様子は詳しく書きます。

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ボリビアのお土産屋さんにいた人形。うしろにはお金がたくさん飾ってあります。日本円もありました。

こどもたち

前回は少しマイナスな内容になってしまいましたが、部署の人も、他の部署の人も、ステイ先の家族などなど、気にかけてくれる人や頼れる人がいるので、ごはんもモリモリ食べてるし、私は元気です。

 

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ステイ先の家の畑に成っているパパイヤ。まだ熟す前で全部緑。
今日はエクアドルの日常の風景について。

前にも少しだけ触れたこともあったかもしれないのですが、見ているとエクアドルの子どもたちはほんとによく家のお手伝いをしています。

首都などの大きくて、ある程度発達した都市化している街の中心などはわかりませんが、基本的に一つの大きい家族がまとまって住んでいることが多いです。家の周り(となりとか)に兄弟家族、親子、おじさんおばさん、いとこなどなどなんらかのつながりを持った人たちが近くに住んでいます。お手伝いの内容は、まずは家の中のこと。お母さんが料理をしていて、「あれが足りない」とか、夕ごはんに「あれを買ってこよう」となると、お母さんが行くかと思いきや、近くにいるこども(自分のこどもや孫、甥、姪など)に「〇〇を何リブラ買ってきて、早く早く!」とお金をチャリンと渡してお願いします。まぁお願いというよりはまぁまぁ強めの命令です。(ちなみにリブラというのは重さの単位で、エクアドルでとても一般的な単位。グラムはほぼ使いません。1リブラ=約0.46グラムらしいので、これまでグラムしか使っていなかった私は料理するときや買い物するときはがんばって換算して材料を買ったり測ったりしています。)そしてその命令に素直に応じてこどもたちはおつかいをします。まぁこれは家のお手伝いなので、日本でもあるかなとも思いますが、例えば、家がなんらかの商店をやっているとすると、よくこどもだけがお店番をしていたり、お店の片付けを手伝っていたり。この前、必要な書類を印刷しようと、印刷屋さんに行ったら、こどもがふつうに1人だけでお店番をしていて、書類を印刷してくれました。「いくら?」って聞いたら、「ちょっと聞いてくる」と裏に回り、きっと大人に聞いたであろう金額を教えてくれて会計までしてくれました。日本でいう小学5年生くらいの子かな~。あとはまぁ兄弟が多いので、上の子が大きくても、下の子がまだまだ小さくて、お母さんが手が離せないから、代わりに手伝える子が何かをするという自然な流れもあると思います。親は別のところで仕事をしているのか、こどもが小さなこどもの面倒を見ながら家のこと、お店のことをしている様子を見ることもあります。

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洗濯物を干して、ふととなりの家を見ると、こどもが自分の家のお店の荷物をがんばって運んでいました。

そして学校のことも少し。エクアドルの学校は午前中だけです。朝8時くらいからお昼過ぎくらいまで。給食の時間も、掃除の時間もありません。そう思うと、給食や掃除、科目以外のすべてのこともすべて教育や躾につながっている日本の学校教育はそれはそれでやはりすごいんだな~と赴任して真っ先に感じていました。ちなみにエクアドルの小学校に派遣されている同期隊員の話によると学校では休憩の取り方も日本とまったく違うらしく、日本は1時間ごとに少しずつ休憩を取り、少しでも集中力が高められたり、こどもが疲れないようにと時間割が組まれていますが、ここでは半日の中で30分くらいの1回だけであとはぶっ通しみたいな感じらしいです。まぁ中には授業中や休み時間の区別もあまりなかったりするような授業もあるらしいけど。なのでエクアドルでは合計すると圧倒的に学校にいる時間が少なく、家にいる時間が多いです。だから良いとか悪いとかいう話ではなく、家で過ごす時間が長い分、家の中での教えや躾がさらに重視されているような気がします。あくまでも学校でできるのは「勉強」だけ。それ以外の学びはすべて家の中にゆだねられています。兄弟、家族が多いから、その分小さい子は親だけじゃなくて、おばあちゃんおじいちゃん、おじさんやおばさん、兄弟、いとこなどいろいろな人に育てられている(面倒を見てもらっている?)感じもするし、それもそれでたのしくてすてきなことです。この前の「女性の日」の市役所のイベントで行われた市長のお話にもありました。「こどもたちは学校で勉強は学べるけど、他のことは家庭の中で学びます」みたいなことを言っていたはず。これを聞いて、改めて、これがこの国の教育の考え方のひとつなんだな~と思いました。もちろんこれにどうとか言うつもりは私は一切なくて、これはこれで1つの国の文化なんだな~と思って聞いていました。日本に比べたら基本的な人遣いが荒いので、単に働き手の一つとして見て、頼んでいるだけ…というかんじなのかもしれませんが、家のことを率先して、また家族の言うことを聞いて手伝うという姿勢が日本よりもとても強いと思います。そしてそれに素直に応じるこどもたちもえらいな~と、私も日本でもっと家のお手伝いをしなきゃいけなかったな~と思いながら、いつも見て過ごしています。

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