2017年

今回で2017年は最後の記事です。

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少し振り返ってみると、今年はこれまでの人生の中でも変化の多い1年でした。3月末に5年勤めた会社を退職後、4月からJICAの派遣前訓練に参加。そこからはあっという間に過ぎていって、出発前の大切な時間を惜しみながら過ごしつつも、気づくとエクアドルに来てもう5ヵ月が経っています。あと数日で半年。早いです。早いんだけど、任地にやって来てからは4か月。いろいろ感じたり、考えたり、戸惑ったり、ヤンササでのこれまでのことがすべて4か月間の出来事だったと考えると、もっと経っているんじゃないかと感じるほど、内容の濃い4か月でした。

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これまでも節目節目で環境が変わることがあったけど、それは大学入学とか、就職とか、もちろんそのときはそのときで家族のサポートのもといろいろ選択していましたが、いずれにしても時間の経過で必然的に生じるもの。でも今回の変化は自然に生じたものというよりは自分で明らかに変化させようと思ってのことだったので、そういう意味では人生はじめての大きな変化で、私の中では大きな出来事があった1年でした。

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訓練所でのエクアドル国旗掲揚のとき。

他の国で活動しているみんなも元気かな~。

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全然深刻なほどではないけど、日本にいる家族や友達、お世話になった人、日本の見慣れた風景とか食べ物とか雰囲気とか空気とか季節とか、すべてが恋しくなることもたまにはあって、きっとこれは帰国するその時まで感じることはあると思うのですが、じゃぁ今帰りたいかと聞かれると、帰りたくはないというかんじです。何よりも活動がまだまだ始まってないも同然で、スペイン語もろくに使えるようになっていない訳で。任地に日本人1人でいると、なかなか客観的に自分のことを見たり考えたりすることができないけど、ステイ先の家族や周りのサポートがありつつも、なんだかんだふつうに街を歩いたり、欲しいものを買いに行ったり、人と待ち合わせしたり、バスで他の街に1人で行ったり、1年前はスペイン語のスの字もエクアドルのエの字も知らなかったけど、いまこの日本の裏側の小さな街で生活していることに自分でも驚きです。体調面での大きな変化も特になく、過ごすことができたので、来年以降も健康管理には気つけていきたいところです。これからまだまだ長いので、自分に厳しくなりすぎずに、これでも十分がんばっていると気楽に考えたいなとも思います。あとはみんなと笑って過ごせればそれでいいです。そのうえで2018年は活動とスペイン語を少しでも進歩させられるように。

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アンデス山脈とわたし。

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年越しは任地を離れ、先輩隊員のお疲れ様会を兼ねた日本人年越しの会に。エクアドルの年始はなんと2日から仕事始めです。日本人的には三が日は休みたいとか思ってしまうけど、働くこと自体はみんな好きなのかなと思うほど、働いています。朝も早くから。仕事の仕方は日本とはまったく違うので、私はまだまだ掴めていませんが。自動車部品の商店を営むステイ先の家族はこの前から、日本でいう棚卸ろし作業のようなものに追われていて、この前のクリスマス週もお店を閉めたあと夜遅くまで家族みんなで小さい部品を数えていました。

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明日市役所では、仕事納めのイベントも開催されます。エクアドルの年越しでは、段ボールや紙でまぁまぁ大きい人形を作って、ちゃんと服も着せたその人形を31日夜12:00に燃やします。この人形を燃やす行事を総称して、「año viejo」と呼ばれます。añoが「年」、viejoが「古い」という形容詞。来年の幸運を祈るためのエクアドルの年越し。それぞれの家やそれぞれの町内会ごとに燃やされるから、街に炎がたくさんになるらしい。で、そのあとは朝まで踊るらしい。お酒もたくさん飲んで。話を聞くだけでラテンの雰囲気が漂うなんとも元気で激しいかんじの年越しです。今日は市役所で私も人形作りに参加しました。この年越し人形の話題になるたびにいろんな人から「日本もこうやる?」って聞かれるから、「日本ではやらないな~。」って言うと、みんな驚きながら意外そうにしていました。年越しのことはまた次回以降で。

 

そんなこんなで、変化の大きかった怒涛の2017年ももうすぐ終わり。今年も1年大変お世話になりました。2018年。来年もどんな1年になるのか、たのしみです。

ではでは日本のみなさんも、世界中にいる仲間たちも、それぞれの時間でみなさん良いお年を。また来年。

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クリスマスの週

 先週は同僚のエドウィンに手伝ってもらって、一通り市役所内に分別BOXを置くのを終えました。手伝ってもらった身ですが、それにしてもやはり上から目線で、行き当たりばったりな行動が多かったし、先週は大変でした。クリスマス前でみんな気持ちが先走ってたというのもあったのかもしれません。大変というかむかつくことがたくさんありました。もちろんすべて話すことができればこちらも嫌な思いを残さないで済むのですが、やはり言い返せないし、みんなが話すスピードに入っていけず、考えてがんばって発した言葉もたぶん発音が悪いんだろうな、スルーされる場面がたくさん。エドウィンに「もう少しスペイン語勉強しろ」と諭すように言われ、毎日こっちが自覚していることを呆れ顔で言われたので、さすがに腹が立って、「わかってるよ!」と強めに言い返してしまいました。日本では言わないような言い回しでからかわれたり、私としてはバカにされていると感じることも。それで私が嫌な気持ちになったと言うと、「なんで?気にすることないよ。」とさっぱり言われ、あぁ、日本人と感覚が違う…と日々思っています。マヌエルもマヌエルで私の語学力に飽き飽きしている様子を態度で出されることもあるし、日本じゃなくてスイスの援助が良いとかなんとか。そんなの私の知ったことではないので聞き流しますが、言った瞬間忘れてたり、言われた方も気にするなというかんじの雰囲気があるので、これもここの習慣なんだろうなと思います。本当に嫌な時は、私はそう言われるのは好きじゃないとか、やめてくれと言うことにします。

そしてきのうは朝一で、市役所で集会を開いて職員向けに分別の説明とごみ箱を設置した背景の話をしました。マヌエルには話すところをたくさん手伝ってもらって、なんとか終えたというかんじ。こういう場面ではまだまだ、というかこれからの約1年半もここの人のサポートがないと物事は進められないので、そのあたりには感謝の気持ちを持って接しないとな思います。

 

エクアドルは12月25日クリスマス当日は祝日でお休み。今年は23日が土曜日に当たったので、23、24、25日と3連休。そんなこともあって、先週後半からはみんなクリスマスモードなのか不在にすることも多くて、1人で部署にいるときに訪問客がくると、もう冷や汗ものです。たいてい「不在でいついつ戻るよ」とか言えばけっこうみんな了解してくれるんだけど、どうしても今がいいとか言う人も中には居て、でも言われていることがすべて理解できなくて、他の部署の顔見知りの女性に仲介をお願いして作業したりとか。人を顎で使って、もっと勉強しろとか言う前に自分が居るべき時間に居るべき場所に居てと突っ込みたくもなりました。

そんなこんなで少し嫌な雰囲気が続いた12月でしたが、振り返ってみると嫌なことばかりでもなかった気もするので、ここからはクリスマスイベントの話。

市役所内ではスポーツ大会が開催されました。男女別のチーム対抗戦で、毎日何かしらの試合があって。私もチームに入れてもらって、サッカーとバスケの試合に少しだけ参加。バスケはふつうにたのしかったです。ちなみに私が入っていたチームの名前を私の苗字から取ってくれて、なんとその名も「miyahara‘s」となりました。

やはりいろいろな意味で南米の女性は強い。試合中に腕がひっかかったこととか、休憩時間になると面と向かって言い合ってました。でもきっと次会う瞬間は何事もなかったかのように、ふつうに笑顔で挨拶するんだと思います。この辺りが情熱的だけどさっぱりしているというか、ラテンの感覚なのかもしれません。

市役所前を通り過ぎる子供たちのパレード。

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キリスト教のイベントも。Novena(ノベナ)というのがあって、意味は「9日間連続でお祈りすること」。ふつうは教会で毎日行われるミサにみんな行くようですが、ステイ先の家族はここ何年か、近くに住んでいる親戚間のお家で行っているらしく、私も一緒にお邪魔させてもらいました。お家でみんなでお祈りをして、歌を歌って、用意してくれた夕食をいただく。で、みんなで語り合って、2時間くらいで解散。次の日は誰々のお家だねって日替わりです。毎日会うので、親戚の家族たちとか初めのうちは初対面というかんじで慣れなかったけど、会うたびごとに親近感が増しました。最後の日はみんなで教会のミサに参加してステイ先の今年のノベナは終了しました。

22日のお昼ごはんは日ごろの慰労とクリスマスのお祝いを込めたマヌエル主催の職場での昼食会。遠くに座っていた同僚から鶏肉を手で食べろと言われ、手で食べたらなんかみんなに喜ばれました。その日の夜は家族の4番目の娘Cumaが誘ってくれて、夕食会に参加。日本でいういわゆる女子会でした。日本にいるときはしようと思えばいつでもできた女子会もそういえばエクアドルに来てからなかったなぁと思い、国は違うし、言葉もまだまだわからないんだけど、なんか女子会の雰囲気って意外と世界共通なのかもしれないと感じて、初めてというより久しぶりな雰囲気を味わうことができました。

おしゃれな夜ごはんが出てきました。

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みんな私よりは年上、中学生くらいの子どもがいる年代の人たち。Cumaの義理のお姉さんも一緒に。彼女とCumaは私をいつもお祭り的な遊びに誘ってくれてこれまでも任地や隣町で夜にお祭りがあるときなど一緒に遊びに出かけてくれます。Cumaは初対面のときは少し怖い印象だったんだけど、すぐに180°変わってとても友好的な人でした。ステイ先の家族たちは基本みんな優しいので、職場で嫌なことがあってもステイ先の家族と顔を合わせられるからそれもよかったな~とも思います。23日の夜はステイ先の家で家族みんな集まって夕食会。この日のお昼、クリスマス用のごはんのために鶏を3羽絞めていました。この鶏はお母さんが畑で飼っている鶏たちです。私も少し手伝わせてもらって、羽を削いだり、内臓を取り出したりしました。

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会食時には女性はワンピース、男性はシャツスタイルで。私は前に見せた浴衣が好評で、みんなに着てほしいと言われたので、宗教とか季節とかいろいろめちゃくちゃだけど、浴衣を着ました。でもみんな喜んでくれたからまぁいっか。たのしい夕食会でした。24日の夜にはミサへ。私がこれまでに行ったことがある教会とは別のところ。キリストの誕生は24日深夜から25日にかけてということを今回知りました。なので、この24日の夜のミサが一番大事そうだし、人も集まる。ステイ先でもいつもはミサに行かない息子もこの日は参加。みんなで行きました。

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これまでに数回ミサには参加したのですが、一通り終わると、「la paz」(平和)と言い合って、隣の人、同じ列の人、前後の列の人たちと握手したりハグしたりします。このときのみんなの顔はほんとうに優しい笑顔で握手をし合います。私も暖かい気持ちになるような笑顔です。このときは良い意味で宗教の持つ不思議な力を感じます。街や家庭にはクリスマスツリーやイルミネーションも。ただ一つ日本と違うところがあって、キリストの誕生を表現した人形を各家庭飾ります。この飾りの名前は「pesebre」。この中のキリストの人形(生まれたところなので赤ちゃんの人形)をみんなミサに持ち寄って、ミサ中は教会の神父さんたちが立つ前の舞台のようなところにお供え、ミサが終わるとまたみんな家に持ち帰る。けっこうな数なので、無くなったり、取り違えたりしないのかな~と少し心配になるけど大丈夫らしいです。

そんなかんじで、はじめてのエクアドルクリスマスが私の中では終了。今エクアドルは雨季です。雨が降ると気温も少し下がって、肌寒くなったり、大雨になると断水することも多くなりますが、それでも昼間晴れると強い日差しで、半袖で迎える人生はじめてのクリスマス、これも貴重な経験でした。

街のイルミネーションもきれい。

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夕食会後、ステイ先の家族との集合写真。いつも遊ぶ姪っ子甥っ子はカゼで寝ていたため不在でした。

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習慣の違い

 

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市役所で行われていなかった分別回収をするべく、注文していた分別BOX。これは全体の大きいごみ箱。各階に置いてたくさんの住民の人に見てもらおうと前のカウンターパート・オルランドと決めた箱です。遅れに遅れながらもやっとこの前届いて、同僚に急かされながらおとといから少しずつ各部署への導入作業に取り掛かりました。その作業をする中で、習慣の違いから進め方や考え方が違って、来週行くのが嫌だなぁと思っている週末です。

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これまで各個人の机の横に置いていた小さなごみ箱(分別なし)を部屋の一か所にまとめてシールで3色に分けて各部署でも分別して捨てようというイメージで、同僚とも話していたんだけど、結局いざうちの部署でやってみたり、他の部署に説明しに行ったら、自分の机の横のごみ箱は動かしたくない(立ちあがってたったの5歩の場所に捨てに行くのが面倒だから移動させるのは嫌だとのこと)とか、これは自分で買ったごみ箱だから自分の好きなように使わせてくれとか、いろいろ言われてしまい、私のイメージしていたものとは120%違う方向に進んでいます。ごみはごみ箱があるところに捨てに行くのが日本人的な感覚ですが、話を聞いていると「いかに自分たちが楽に捨てるか」のほうが優先されているかんじです。もちろん分別がうまくいく方向であれば私自身のイメージとは違う方向でも全然良いのですが、そうではないので、今はまだ分別BOXを置く意味を成していません。でもだからと言ってこっちの考えを押し付けることはできないし、それを主張したり、押し通して納得させるほどの語学力もまだなく、ほんとはカウンターパートとか他の同僚と同じイメージを共有したうえで、彼らと回るのが語学面でも理想的ですが、突然休んだり、マヌエルはマヌエルで自分の仕事に一杯一杯というかんじで忙しそうに出かけていくので、先週は1人で取り掛かるという以外に選択肢もなく。それで結局みんなの良いように事が運んでいって、何だこれ…というかんじもするのですが、とりあえず取り掛かれ的な雰囲気があるので、やってみています。今回の主旨とは異なるけど、他の部署に行って、時間を忘れていろいろな人と話せる時間もそれはそれでたのしいから、これからもみんなと他愛のない話をするこういう時間は大切にしたいな~とも思っています。でもやはり来週からはちゃんとカウンターパートに確認してもらえるように働きかけたいけどどうしようかな~というかんじです。

そんなこんなで、特に市役所で仕事が絡むといろいろ習慣の違いを感じています。例えば人遣いの荒さ。私にまったく関係ないことで、この書類をどこどこに持っていけとか、あれを借りてきてとか、あそこに行ってとか、顎でこっち来いと呼ばれるのは普通。あとは人の物遣いも荒い。使われて嫌なものは持って行っていないので使われること自体はいいとしてもお金がからむと私も嫌な時もあって、例えば携帯電話。隊員はJICAから国内で使用可能な携帯電話を貸与されています。これは緊急用だから常に持ち歩いて、常に通話可能な状態にチャージしておく必要があります。チャージというのは、日本のsuicaみたいにお金を入れておくこと。このチャージがなくなったら自分でまたチャージしなければいけません。まぁそんなにたくさんは減っていかないのですが、この電話から相手に掛けるときはこのチャージが使われます。自分のチャージを減らしたくないのか、なんかエクアドル国内の通信会社同士の問題で私の携帯から掛けた方が都合がいいとうまく丸め込まれ、結局言葉の力負けをして貸す。あとはみんなあまり物を持ち歩きません。特に文房具。いつもボールペンがないってなって、貸します。で、一番はここ。感謝して返すという行動があれば私も毎日笑顔で貸すけど、日本に比べるとそういう場面が少ない。使ったらそのまま机の上に無造作に置かれてたり、そのまま自分のもののようにずっと持ち歩いたり。小さなことなんだけど、毎日続くと「またか…」となります。まぁタイトルの通り習慣の違いなので流すしかありません。それに向こうに悪気は一切ないです。あとは、部署内で、住民がごみ箱を買いに来た時に手伝えるところは手伝っているのですが、私が住民の前で何か言うと、答えながらもエクアドル人同士で「彼女は日本人。だからまだ言葉がよく理解できないのよ。」と話しています。でも「彼女は日本人で、今スペイン語を勉強しているんだよ。」と言ってくれるときもあり、そっちの言い方をしてくれるならありがたいんだけど、前者の言い方をされるのは私は好きではありません。わからなくて何が悪いんだ、じゃぁあなたは日本語わかるの?ってめちゃくちゃ早い日本語で言い返してやろうかと思ってしまいます。日本だったら「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるくらい、他人と接するときには相手の都合を思いやって一定常識の範囲内で接します。それにそうじゃない接し方をされたら少しムッとするのが日本人だと思います。でもここの人は基本自分の言いたいこと、やりたいこと、しなければならないこと、思ったことがすべて最優先。何か頼まれたときに、私が今は忙しい、どうしても今なの?と言っても、今やってほしいとさえぎられることもある。頼むんだったら相手の都合を優先してほしいところですが、ほんとに悪気無くまったく気にしてない様子。しかも習慣の違いで、私は良いと思ってやったことが全然違ったりとか、しなくていいと思ったことをやれと言われたりとか、いろいろ読めないことがたくさん。ダイレクトに強めに指図することが普通なので、結局は力関係、見てると大人から子供、偉い人から部下にと、日本だったら感じ悪いと受け取られるような指図の仕方もします。子供のころから大人にそうやって指図されてたらそれが当たり前になるんだろうな~なんて感じます。やっぱりこれまで何十年もやってきた習慣を変えるのは難しい、というか結局はその人の価値観を変えないといけないので、そりゃぁ難しいです。ほぼ不可能に近いのではないかと思ってしまうほど。不可能と言ってしまうと、私の意味…ってなるけど、でもほんとに、99%不可能かもしれないです。まぁでも変わらなくても伝えられればいいのかな、残りの1%でどれだけ伝えられるのかというかんじです。

あ、でもエクアドル人を嫌いになったとかそういう話ではなくて、みんな人柄はすてきです。とっても友好的で、握手付きの挨拶をたくさんするし、毎回最近どう?って聞き合う。そういう部分では相手を気遣うという文化が強くあって、良いなぁと思うこともたくさんあります。通り過ぎるだけでみんな私の名前を呼んでくれて、それだけでありがたいことです。でも小さいころから培われる基本的な国民性がやはり違うので、日本感覚で良いと思うことが彼らにとっては変だったり意味不明だったりおかしかったり。しかも私は1人日本人で、圧倒的少数派。言葉だってまだまだ拙い。そりゃ、向こうからしたら余計に「?」って思うこともたくさんあるんだろうなとは思います。ということで、異文化って難しいと改めて感じる1週間でした。でもだからこそ異文化を持ってる人の強みもあると感じます。うちの部署の運転手さん・サロモンとだけは朝挨拶するときに握手しながらお辞儀をし合っています。それだけでたのしいし、日本人でよかったとも感じることができます。私は私で日本人らしいすてきなところを大切にしつつ、ここエクアドル・ヤンササの良いところもたくさん吸収して、もっともっとみんなと仲良くなれたらいいな~と思っている日々です。

都会と田舎

少し前の土日に任地の中心部から少し離れた地域に遊びに行く機会がありました。任地の行政区分について話すと、ヤンササ市は3つの地域を統括しています。一つはヤンササ中心部。ここはurbano(都会)と呼ばれています。あとの2つはどちらもrural(田舎地域)と呼ばれています。ちなみにこの2つの田舎地域はそれぞれchicaña(チカーニャ)、los encuentros(ロス・エンクエントロス)という名前の地域。それぞれの場所に学校も教会もあり、一つの街になっています。これまでにこの田舎地域と呼ばれる場所にはごみ収集で通ったり、家を回ったりするとき、行ったことはあったんだけど、どちらにしても市役所関連でしか行ったことがなく、あまり人々の生活を知る機会がありませんでした。それで今回たまたまチカーニャ地域の人のお家に遊びに行かせてもらいました。なんでかというと、市役所に出入りしているある人が私が着任してすぐの頃に、このチカーニャで行われる集会に呼んでくれて、そこに来ていたユリという女性が連絡先を交換してくれて、遊びに来てと言ってくれていたのが今回実現したという流れ。土曜日の夜にはコミュニティがいくつか集まる集会のようなものに参加させてもらって、一度家に帰り、日曜日もお昼ごはんを一緒に作りながらごちそうになりました。土曜の夜の集会は、チカーニャ中心から車でさらに50分ほど進んだ奥地で、ほんとにここでも人々が暮らしているんだという山の中でした。途中から家が数軒集まる小さな小さな集落が点在して、それらの集落から人々集まってきている様子。集会場所は一番奥にある運動場と小さな教会、炊き出し場が一緒になったコミュニティ広場。私たちが着いたのは夕方18時頃。橋を渡ってまた少し登っていくと広場がありました。

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すでに多くの人が集まっていて、男性たちはサッカー、バスケ、バレーをして、その後炊きだされたごはんをみんなで食べて、お酒を飲んで踊るというもの。私たちは夜の10時過ぎに帰ったけど、まだまだ遅くまで続いていました。

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次の日のお昼ごはんは伝統料理のティラピア(魚)を葉っぱで包んで焼いたもの。トマト玉ねぎのサラダとユカイモを添えて食べます。あとは焼きバナナ+チーズ。子供用に鶏肉も。お魚は塩味なので、ふつうに日本人の感覚でもおいしいです。ユカイモというお芋も私の大好物なので、おいしく食べました。

魚を包むための葉とユカイモを取りに行く。

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ふつうの台所もあるんだけど、普段からこの網で料理すると言ってました。ちなみにこの魚料理は「ayampaco」(アヤンパコ)という名前です。
お昼ごはんのあとはユリのお父さんお母さんが隣の州でサトウキビを取っていて、そのお迎えにと一緒に隣町まで連れて行ってもらいました。その帰り道に車の中で少し考えていたんだけど、私はこれまで勝手に田舎に住んでいるなぁと思っていました。それは任地にやって来て約5か月、それは、比べる対象が、任地に来るまでの少しの間過ごした首都キトやクエンカでの風景や生活、一番近い大きな都市ロハ、そして何よりも一番はこれまで27年間生活してきた日本の生活と比べていたから。もちろんそれらと比べるとヤンササ中心部でも田舎的な生活です。だけど、このヤンササの中心以外に広がる田舎地域と呼ばれる生活を見ると、自分が今すごく都会的な生活をしているのかも…と感じました。そして私が今回感じたように、ヤンササ中心に住んでいる人たちもまた同じように考えているのかも…と思いました。ヤンササ中心からチカーニャまでは車で約20分ほど、今回行ったそのまた奥はそのチカーニャからさらに車で50分ほど。山の上なのか少し肌寒く、それぞれの集落には学校(のようなもの?)はあるようだけど、日用品を買うための商店はないし、普段なかなかヤンササの中心まで下りてくるということが難しい場合、どうやって生活しているんだろう…と私にはまだまだ想像できない暮らしがそこにはあるんだろうなと思います。

今回私をチカーニャに招待してくれたユリ。彼女は21歳という若さですが、5歳と3歳の男の子のお母さんです。彼女自身は9人兄弟。彼女のお家の近くには兄弟たちもたくさん住んでいます。日本的に言うとシングルマザーで、子供たちのお父さんは遠くにいるらしい、そしてユリ自身は今は別の男性とみんなで一緒に暮らしていて、近々結婚するかんじなのかな。ちなみにこの男性は学校の先生で、チカーニャ地域の中の1つの町内会ような区画で町内会長をしているようです。この男性のお父さんもたくさん土地を持っているみたい。ユリは今は高卒だけど、働くためにこれから大学に行く必要があって、今後大学で観光学を学ぶ予定だと話してくれました。とっても明るくて、年下だけど、大人な女性。何より、最初の集会でスペイン語もままならない外国人の私に興味を持って話しかけてくれたことがうれしいです。

任地での生活も慣れてきたかなと感じている中での、また新しい経験でした。

環境教育部会と発熱

12月5日~8日にかけて、環境教育部会がありました。環境教育部会というのは環境教育という職種で活動している人たちのためのJICAエクアドル内の部会。一定人数を超えると部会としてJICAが承認してくれます。現在エクアドルに環境教育隊員は8人。以前も多かったみたいだけど、いったん落ち着いて、私たちの隊次からまた増えだしたので、先輩がこのタイミングで部会を立ち上げてくれました。1回目の開催地は先輩隊員の任地トロンカル。場所はエクアドルの中で海側のコスタ地域に入ります。家族にヤンササよりも暑いよ~と言われて行ったけどほんとに暑かった。暑いだけではなく、今の時期湿度100%というかんじでした。

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任地は熱帯と言われる地域で暑いとは言われているけど、朝晩はさらっとするので、気持ちいいです。涼しい瞬間も感じることができます。でもそういう瞬間もあまりなく、行ってみた感想としては個人的には任地の気候の方が好きです。

バス移動は約13時間。ヤンササからクエンカまで8時間、クエンカからトロンカル4時間半くらい。そして到着後、2日目のプログラムを行いながらも、ほんのり悪寒が。お腹も少し痛かったり。お腹はまぁ気にしないとしても寒気は嫌だなぁと思いつつ夜まで過ごし、ホテルに戻りましたが、その頃には熱が出るなという確実な寒気で節々が痛くなってきました。そこからはもう地獄。今回に限って体温計を持参しておらず、薬のこととか調べたかったんだけど、たまたまホテルのWifiもダウンしてて、ネットもつながらず。翌日朝、先輩隊員に借りた体温計では39.2℃。トイレに行くために立ち上がるのも一苦労で、意識が飛ぶんじゃないかという位に体中から熱が放出されていました。でもみんなが解熱剤や水、りんご、アイスを休憩の度に差入れしてくれたおかげもあり、かなりの速度で回復。翌日には平熱に戻りました。ただ熱が下がったあとも、体全体の骨は酷使されすぎて痛かったです。お腹にも少しきていたので、なんらかのウイルス+疲れかな~。その後もう1日先輩隊員のホームステイ先に移動して休ませてもらい、9日に合流して、帰るついでに寄ることになっていたマチャラという大きい都市に寄りながら10日に帰宅。マチャラもコスタ地域に入り、暑かったです。コスタの暑さはあまり好きではないかもしれないけど、グアヤキルという最大都市もあり、まだまだ訪れる機会はありそうです。マチャラ周辺のバナナとカカオ畑は圧倒でした。世界1位のバナナ生産国であることを感じられる風景。でもこの畑でも季節労働で肉体労働をしながら暑い中働いている人がたくさんいるんだろうな~。

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せっかくなので先輩隊員の任地トロンカルについて少し。

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トロンカル市はカニャール(cañar)県の中の都市。ここはcañaというさとうきびの生産が最大の産業です。人口1万4000人ほどの任地と比べると人口6万人と規模も大きいです。さとうきびが一大産業になっているだけあって、大きな製糖工場があります。製糖工場には季節労働者が多く集まります。ここで問題になるのが環境汚染。工場からの汚水や煙で汚染されているのか、空気が良くないかんじでした。いろいろ話を聞くと少し健康被害も出ている可能性もありそうな。調査はされていないようですが。日本の北九州で受けた環境研修をそのまま映したような状況、戦後の日本の工業発展で起こった環境問題と似たような状況が起こりつつあるのかもしれません。あとは先輩隊員の学校での出張講義とか聞いたり、終始勉強になることばかりでした。ヤンササの様子もちゃんとみんなに報告できました。

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先輩隊員のステイ先の家族もとってもすてきな人々でした。体調不良ですべてのプログラムに参加することはできなかったんだけど、大事に至らず無事にみんなと同じタイミングで任地に戻ってこれたので良しとします。

 マチャラとその付近の写真たち。

海鮮たくさん。

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ペルー国境の街へ。橋の真ん中あたりが国境とかなんとか。でもここの川にはごみ捨て放題でした。看板に感動。

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活気もありつつ、カオスな雰囲気も持つ、おもしろそうな街でした。

11月の終わり

日本は本格的に寒いですか?ヤンササは昼間は日差しが強く暑くて、でも風が吹くと少し涼しい、雨が降ると肌寒いといういつもとあまり変わらない気候です。

気づくともう明日から12月。エクアドルもクリスマスモードです。キリストの誕生日ということで、お祝いに向けた準備モードが高まっています。またクリスマスの様子はその時にでも。

最近は自分の部署以外だけではなく、少しずつ知り合いが増えてきました。というよりは、これまでもみんなと挨拶はしていたけど、単に私に余裕がなかっただけで、でも最近は同じ状況でも私自身が、それなりにみんなとの挨拶や世間話をたのしめていると言ったほうがいいのかもしれません。もちろんすべて理解できるようになった訳でもなく、私がスラスラ話せるようになった訳でもないのですが、ある意味伝わらなかったらそれはそれでいいかというかんじで、できるだけ知ってる単語を返したり、わからなかったらわからないと伝えまくるか、笑うか、それで向こうがあきらめたらそれはそれでしょうがないというかんじでゆるく構えています。市役所の脇には、うちの部署の倉庫があって、そこには市民がごみ箱を買いに来たときのためのごみ箱が少し置いてあったり(全部の在庫は最終処分場に置いてあるので、ここになくなったら、都度処分場に取りに行って、またいくつか持ってきて・・・という少し原始的なやり方をしています)、他にもよく使う資材が置いてあります。最近わたしはここで自分用のコンポストを作っています。コンポストとは、生ごみを堆肥化することで、生ごみを再利用するというもの。私の要請にも、このコンポストの普及が入っていて、みんなお庭や畑で花や野菜、果物を育てているから、堆肥にできるよって話すと興味を持ってくれる人が多いです。前任者も行っていたこのコンポストの講習会を私も何回か開催できるようにしなきゃな~とも思っています。その時のためにも今時間はたくさんあるので、一度自分で作ってみようかなと、前任者が残してくれたsemillaを使って一人作業していました。semillaとはすでに一度コンポストによって作成された堆肥。最終処分場には市のコンポスト場があって、市全体から回収された生ごみ(もちろん分別が完全にされていないので選別作業もある)を堆肥化しています。ただ前は稼働していたけど、着任時からは機械の不調で止まっていました。でも最近また再稼働中。以前の稼働時に作成された堆肥がsemillaで、すでにこの土には発酵菌が住んでいるので、ここに生ごみを毎日入れ続ければまた活性化されていくというもの。ステイ先の生ごみをもらいつつ、お試しで作業していました。生ごみを小さく切る作業を倉庫のところで一人でしていると、けっこう他の部署の人が通り、話しかけてくれたりして、それで顔見知りになったりもできます。今週はそのうちの一人から家で作ったという砂糖の黒蜜(miel de caña)をもらいました。その後、エクアドルでの食べ方「miel con queso」(黒蜜+チーズ)にして部署でみんなで食べたり。

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ごみ収集で寄った学校に、知り合いの子どもがいて、話しかけてくれたり。

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ちなみにきのうは雨の中の収集でした。
帰りがけに子どもたちにいきなり呼び止められて少し話したり、日本語書いたり。呼びかけてくれた子は、お父さんが中国人でお母さんがエクアドル人のハーフの子。前に私を中国人だと思って、「ニーハオ」と言われたけど「日本人だよ!」と返したことで、印象に残ったらしく、今回いろいろ話してきてくれました。

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話は変わって、きのうは朝からごみ収集について行って、学校の回収に寄り、そこで電動車いすに乗った子が前を通りかかりました。その子を見て、運転手のLuisにアメリカの援助で寄付された車いすだと話し、人々は貧しいのに、日本は何も援助しないの?と言われました。厳密に言ったら、JICAボランティアだってその一つだし(ただ私が今まだ目に見える活動をしていないから彼にはそう見えてないというだけ)、ハード面で言ってもエクアドル国内でも多くの都市の公共関連施設で日本の援助は入っています。任地にも日本の大使館の援助で建設された橋がある。でもそう言われて、「日本もたくさん援助してるよ!」なんてまだ何もしてない私が言い返すのもなんか感じ悪いのかなぁとか日本人感覚で思ってしまって、咄嗟のことでうまく言葉を返せませんでした。今思えばもう少し主張しても良かったのかな・・・とか少し悔しい思いがありつつも、でも、彼が言っているのは目に見える分かりやすいお金の援助であって、そうではない活動や技術協力も国際協力にはあって、ここで人間関係をコツコツ築くこともボランティアだからできることの一つです。だから私はここにいるということをなんとなく思ったんだけど、それを今ここで説明してわかってもらうのはきっと難しいし、彼もそういう話を聞きたい訳ではないだろうし、私が空回りして疲れるだけかと思い、聞くだけ聞いて会話を終えました。お金の援助もそれ以外の協力もどちらにしても色々な側面があってとっても難しい、と改めて感じました。ここの人は基本すべて深い意味で発言することがあまりなく、しかも自分が言ったこともすぐ忘れるので、向こうも悪気があってということではないのはわかるし、きっともう忘れてるから、気にしなくていいとわかりつつも、いろいろ考えて、私は少し不完全燃焼な時間でした。

そしてそして、今回自分用のチャレコを作りました。チャレコとはスペイン語で「ベスト、丈の短めのコート」という意味で、職場で着る作業着です。

市役所の制服には3種類あって、各部署の秘書である女性職員たちは彼女たちの制服(市役所のシャツとスカート、ワンピースバージョンもあります)をたまに着ています。特に毎週月曜日はフォーマルの日らしく、みんな何種類かあるうちの一つの制服を着てきます。

それ以外の職員の人たちは、みな男性ですが、市役所のマークが左胸に入ったポロシャツにジーンズやチノパンというスタイルが一般的。このポロシャツも紺・茶色・水色といった種類があり、みんなそれぞれ日替わりで着てきます。もちろんこれ以外の普通のTシャツでも全然OK。この上にチャレコを羽織る人もいます。

これまでも外に出るときは一応私の分と用意してくれたチャレコがあったので、それを着ていましたが、たくさんの人が着たんだろうなという年期が入ったもので、サイズも合ってなくて、分厚くて重くて汚かったのですが、たまたま他のチャレコにする?みたいな話になって、自分のものを作る流れに。サイズも選べたし、たまたま薄手のものを入手することができました。他の部署での手続きを終え、私の場合、市役所のマークは自分で入れてとのことで、そのお店を教えてもらって、勤務後向かいました。歩いていると、ごみ収集中の同僚に会ったり、昼間話した人に会って、そのおかげでお店の場所を教えてもらえました。お店に無事着き、刺繍を注文。2ドル。そしてこの前取りに行き、無事手元に。これを着ていれば街を歩いてても旅行者ではないと少しはわかりやすくなりました。

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同僚のエニが週末ロハに帰省中、お祭りで書いたよ!と写真を送ってくれました。ロハの道に私の名前が。ありがとう~!gracias,Enith!
 

週末ロハ会

先週末の土日はとなりの県にある大きな街ロハに行ってきました。バスで3時間、任地から一番近い大きな街です。

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ちなみにロハまでのバスは片道4.5ドル。日本でバスで3時間のところに行こうと思うと、4.5ドルでは行けないです。まぁバスの質や通る道が違うので比べられないかもしれないけど。それでもエクアドルはバス代がとても安いです。この前のクエンカのときは片道8時間で12ドルでした。現在ロハにはJICAボランティアが4人住んでいます。シニアボランティアの方が3人、青年ボランティアの方が1人。シニアボランティアの方は1人は組織培養という職種でロハの大学で農業関係の研究をしています。ちなみに2回目の参加とのことで2回とも同じ要請。いまも任期延長中だから通算すると5年くらいこのロハに住んでいるそう。他の2人のシニア隊員の方は看護師隊員の方々。たいていはボランティアが派遣されている各国に健康管理員という方がいてくれるのですが、現在エクアドルは着任待ちの状況なので、医療知識を持った方が近くにいてくれるのは個人的にはとっても心強いです。青年ボランティアは作業療法士の方で、県の施設で障がい者支援の活動を行われています。近くの街から同期の環境隊員も合流して、6人で中華料理を食べて夜のロハの街を見て回りました。日本人に会って、話したいこと思ったことをスラスラ日本語で話して、相手が話していることも言われたその瞬間に100%理解できることってやっぱりすごいです。たのしかった。今回は看護師隊員の方のお家に同期と泊まらせてもらいました。シニア隊員の方は青年のホームステイ形態とは異なり、一人暮らしで、かつ、リッチ。みんなで日本のワイドショーを見ながら乾杯。

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ロハはちょうどお祭り開催中で、その様子も見れてよかったし、夜はイルミネーションもあって、すごくきれいでした。

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気候帯で言うとアンデス沿いのシエラ地域になります。だから熱帯地域の任地には近く、日中は日差しも強いですが、朝晩はふつうに寒いし、風景も任地の熱帯のかんじとは少し違うし、民族衣装を着たインディヘナの人々も任地より多く見かけます。ロハはエクアドルで第4、5くらいの都市と言われるだけあって、すてきなところでした。ロハからバスで1時間位行ったところにビルカバンバという長寿の街があって、ここは景観もきれいで、欧米からの観光客が多いらしい。そのため、このロハにはビルカバンバに行くための欧米人が多く立ち寄るみたい。ロハの街は芸術の街とも言われていて欧米チックでアートなかんじ。

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街の中心centroの教会(カテドラル)も豪華でとってもきれい。

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ちょうど日曜の朝に大きな路上市場が開催されているということでそれも見に行くことができました。

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f:id:reikomiyahara:20180109001134j:plain豆の種類が豊富です。

f:id:reikomiyahara:20180109001137j:plainバナナの種類も豊富です。緑のは甘くないバナナplatano verde。バナナチップのように揚げて塩をまぶしておかずとして食べる。

f:id:reikomiyahara:20180109001136j:plain手前の豆腐ようなものはエクアドルのチーズ。
近くにはcentro comercialという市が運営する市場が2か所も。f:id:reikomiyahara:20180109001138j:plain

1つの市場の屋外には建物付きでごみ捨て場が整備されていて、ちゃんと分別して捨てることができるようになっています。

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f:id:reikomiyahara:20180109001139j:plainうん、きれい。

ビニール袋も再利用して作られた所定のビニールを使った袋を各店が導入しなくてはいけない条例も施行されているらしく、何店舗かその袋をちゃんと使っているお店も実際にありました。街にある電光掲示板にも3R のことが流れていたりと、環境的にも先進都市です。f:id:reikomiyahara:20180109001124j:plain

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お祭りの一角で日本語を発見。アジア料理を出していました。同期と記念撮影。

 

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今週は課内では市場のコンテナに家庭ごみを捨てる人たちへの罰金の警告とその徴収に向けて、同僚が動いています。私はどちらかと言うと分別や捨て方の啓発のほうが大切だと感じたのと、罰金のことにはあまり直接的に関わらなくていいかなと勝手に思ったので、特に何も言われないし、制度があることとそういう実態があることを心にとめるというところにとどめておきます。役に立つかわからないけど分別や3Rの説明のための資料を作ったり、市役所に分別ボックスを置くという計画も少しずつだけど進みつつあります。ごみ箱の購入申請や発注など。でも、購入申請のための市役所内の流れも発注するために近くの業者とのやりとりの仕方も説明されても難しいスペイン語出てくるし、進め方も日本とは違うので想像もできなくてちんぷんかんぷん。それで、いきなり「業者にはもう行ったの?」とか聞かれて少しむかついたので、今の私のスペイン語では業者と直接やりとりするのは無理だから、一緒に行ってほしいとお願いしたり。他にもステイ先以外では日々むかつくことの方が多いです。文房具の借り方一つにしても全然ちがうし、すべて気分で動いているんじゃないかと思うほどみんなの行動は読めません。人使い・物使いが荒いなぁって感じることも多い。ちょっとグチっぽくなってしまったけど、それでも嫌なことばかりではなく、きのうは斜め前の部署の秘書の女性が私のあいさつが感じが良いと褒めてくれました。すごくうれしかったです。となりの部署の人と少し話す時間が楽しかったり。そんなかんじでエクアドルでも嫌なことむかつくことたのしいことうれしいことが入り混じった日々を過ごすことができています。まだまだむかつくことの方が多いけど。

街はだんだんとクリスマスモードです。市役所の各部署にはそれぞれツリーやリースが飾られ始めました。うちの部署にもなにか飾りたいけど、自費になりそうなので少し迷い中。