任国外旅行 ~ボリビア~

今回は、せっかくなので先月末に行ったボリビア旅行について。f:id:reikomiyahara:20180411053350j:plain

行きはキトからペルーのリマ、そこから国内便でクスコへ、そしてクスコから無事にボリビア入り。

途中のペルー・クスコ。

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着いた都市はラ・パス。

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ボリビアの実質的な首都です。実質的と書いたのは、憲法上の首都はスクレという都市にあるらしいです。でもラ・パスが首都のように機能している中心地。ラ・パスという名前はスペイン語で書くと、「La paz」。その名も「平和」という意味。

ここ、ラ・パスにも、派遣前訓練所時代の同期隊員が2人いるので、彼らにも会うことができたし、貴重な土日を使って案内してもらいました。

乗合タクシーがかわいい。

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ラ・パスの街は谷のような形をしていて、山の傾斜にもたくさん家や建物が並んでいます。ちなみに底(低地)に行けば行くほど、富裕層が住んでいるらしい。

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ちなみにこの通りの奥に、バックパッカーをしながら手作りしたかわいいバッグやポーチなどを売っている日本人男性に出会いました。ぱっと見た瞬間、「日本人だ!」って思って、様子を伺っていると「こんにちは~。」と挨拶してくれて、みんなで立ち話し。そしたらなんと協力隊の先輩でした。1年後くらいに日本に帰って、地元でゆっくり過ごす予定らしいです。この先輩が言っていた印象的なこと、「JICAのおかげでスペイン語もある程度話せるようにさせてもらって、感謝ですよね~。」って言っていました。私も言葉がわからなすぎて嫌になることもあるけど、でも、この先輩に出会って、勉強させてもらってるという感謝の気持ちを忘れないように毎日過ごさないとなぁと改めて思うことができました。

ラ・パスの街にはケーブルカーがあります。通称「teleferico(テレフェリコ)」。

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ラ・パスの標高は約3600メートル。エクアドルの中でも3000メートル超えの街に住んでる同期隊員もいますが、私がこれまでエクアドルで経験したのは2800メートルくらいまでなので、たぶん今回のボリビア旅行で人生の中での高地記録を更新しました。寝ているときに少し息苦しかったり、ほんとになだらかな坂を歩くだけでも私はきつかった。こういうときは、任地が低地でほんとによかったなぁと思います。

このケーブルカーでさらに上へ。4095メートルの所にある「el alto」駅。

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4095メートルからの眺め。

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そしてこんな高地に何があるのだろうと思っていたら、大きな街が広がっていました。低地には富裕層がいるということはきっと高地はだんだんと貧困層になっているということなんでしょうか。なんだか少しアジアを彷彿させる景色でした。
 

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夜の景色もきれい。

みんなの一般的な朝ごはん。「salteña(サルテーニャ)」。中にお肉などを煮た具材が入っていて、味も日本人好み。とてもおいしかった~。

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これはサボテンの実らしい。ボリビアではふつうにフルーツとして食べられていた。味や食感は梨に近かった気がします。

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ラ・パス市民かな。ミサで使われる葉っぱで作った飾りを持って歩いています。

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これは桃のようなフルーツのジュース。これもかなり一般的なボリビアの飲み物のようです。茶色のほうはシナモン入り。

ラ・パスのおみやげ屋さん。

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ボリビアの伝統的なお面の顔のニット帽とそのとなりはリャマのミイラ。
時計の文字盤が反対になっているラパスの建物。なんでも今のボリビア大統領が反米主義らしく、その表れのひとつだとか。けど意図がよくわからない。

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ラ・パスで2日間過ごしたあとは、みんなで待望のウユニ塩湖へ。ウユニ空港の前。

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塩の湖。湖の大きさは日本の秋田県くらい。にも関わらず、その湖の中では高低差は50センチほどしかないらしい。場所によって、乾いた部分や少し深い部分、足の甲が水に浸かるくらいの深さなど、風の吹き具合によって変わっていきます。特に足の甲が水に浸かるくらいの部分+風が少ないと、きれいな鏡張りになって、とってもきれい。この鏡張りの写真が有名です。

そしてウユニ塩湖があるウユニ市の標高は約3700メートル。ラ・パスよりもさらに高い。もちろん少しきついと感じる場面もあったけど、塩湖に感動して、そのことは忘れていました。

塩湖の中に入るにはジープのような車で行かないといけないので、ツアーに申し込まないといけません。ウユニ市内中心から塩湖までは車で40分くらい。水が深い所を進むときはゆっくりゆっくりになるので、さらに時間がかかります。今回は2つの会社で申し込んで、そのうち1つは日本人のガイドさん、ちなみに協力隊OBの方でした。もちろん協力隊時代はボリビア隊員。

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ツアー終了後もみんなで話したり、最後まで良くしてくださりました。

ウユニ市内から塩湖に行くまでの途中にある「cuicocha村」。塩湖が有名になってからは観光業もさかんになっているそうです。

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この村の中にある学校。

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そして塩湖へ。

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鏡張り。きれい~。

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ちなみにラ・パス、ウユニの家庭ごみはちょっとよくわからなくて、いくつかごみ箱は設置されているものの、道の真ん中に、どさっと袋にも何も入れずにそのままのごみが置かれているのか放置されているのか、捨てられているのか・・・というような状況でした。ウユニはさらにここ何年かで激しく有名&人気になった観光地なので、環境汚染やごみの問題は深刻なんだろうなと思います。

ウユニ塩湖内で観光客が乗ったジープ同士の衝突事故の記念碑。片方のジープは日本人観光客でした。

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ボリビアではコカが合法。この写真はコカ茶。街でもコカの葉っぱを口に含みながら働いている人がたくさんいました。

 

そしてウユニの2日間を無事に終え、ここからは少しみんな分かれて、他のボリビア隊員がいる街にバスで向かう人、そのままウユニに残ってさらに他のきれいな湖ツアーに参加する組など。私の次なる目的地は「サン・フアン」というところ。ここにも一人同期隊員がいます。彼女は訓練所のスペイン語クラスが一緒でした。訓練所では半分以上が語学訓練にあてられるので、語学クラスが一緒だと、ほとんど毎日顔を合わせるし、一緒にお昼ごはんを食べたり、過ごす時間が多かったように思います。彼女は2回目の協力隊参加で、今回は日系日本語教師という職種での派遣。日系社会で日本語を教えるという活動内容。ということで、私が訪れたサン・フアンは日系移民の移住地です。ボリビアには2つの大きな日系社会があり、ひとつはこのサン・フアン。もうひとつはコロニア・オキナワ。コロニア・オキナワは沖縄からの移住者の街。コロニア・オキナワにも一人同期隊員がいますが、今回はオキナワのほうには行かずにサン・フアンのみになりました。もちろん観光ガイドブックにも載っている日系社会ですが、なかなかこういう風に知り合いがいないと日系社会に遊びに行ける機会もないかなと思い、今回あそびに行くことにしました。サン・フアン隊員の彼女もちょうどウユニに遊びに来ているということで、ウユニからサン・フアンまでも一緒に向かうことができ、移動もスムーズ。ウユニから国内線でサンタクルスへ。ここはボリビアの中でもとても大きい都市で、大学もあるし、近代的な街です。その分他の都市や街に比べたら少し治安は悪いらしい。サンタクルスから車で2時間半くらいのところにサン・フアンはあります。前にテレビで一度だけ見たことがあった日系移民の歴史についても今回さらに知ることができたり、今回訪れたことでなんだか身近に感じられました。

移住地の入り口。

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そして裏側。

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入り口近くにある介護施設。ここでもシニアの高齢者介護隊員の方が忙しく活動されていました。

移住地の中ののどかな風景。

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病院。

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スーパー。

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移住資料館の敷地内にあった記念碑。

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このサン・フアンでもこどもたちはとても素直。思春期の年齢の子たちも彼らから元気に「こんにちは~。」と挨拶してくれました。日系の子たちはふつうに日本語を話します。サン・フアンにある学校は中学の途中くらいの学年くらいまでらしく、ここを終ええると、みんなサンタクルスの中学校高校に編入するそうです。でも休日ごとにサン・フアンに帰ってくる子が多いみたい。私たちが訪れた時期もキリスト教の「semana santa(セマナ・サンタ)」(キリストの復活をお祝いする行事)で学校はお休みとかで里帰りしている様子でした。

サン・フアン学校内。

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幼稚園にも入らせてもらいました。

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そして日系1世の方のおうちで夜ごはんをごちそうに。このお母さんは6歳ころにボリビアに移住されて、お母さんが来た頃には、移住地にはもう道ができていたそうですが、お母さんの旦那さんが移住してきたときには道も何もない、本当の原始林だったらしいです。今回案内してくれた日系の青年たち、彼らはだいたい3世にあたるそうですが、この広大な大地で農業を生業にしています。自分たちはもうある程度の環境がある中で生まれたけど、彼らにとっても原始林から開拓したというのは本当に信じられないと言っていました。ちなみにこのお父さんは「日本は異国というかんじかな」と話し、お母さんは「こっちの生活があるからたぶん無理だけど、できれば日本で暮らしたいなぁ」と話していました。なんでも日系のお友達がエクアドルに住んでいるとか。それで今回エクアドル隊員が来るよってサン・フアン隊員の同期がお母さんたちにお知らせしてくれて、ぜひごはん食べましょうって言ってくれたそうです。

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日系の青年たちに広大な土地を案内してもらう。日系の方々はここで農業、畜産業を営んでいます。

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野生のダチョウ。

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これはマラクヤというフルーツ。エクアドルでもジュースに使うとっても一般的なフルーツ。

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日本食の食堂で食べた冷やし中華とからあげ。日本に居る時はあまり冷やし中華は好きではなかったけど、久しぶりの味に感動しました。
サン・フアンで1日半、空港があるサンタクルスに移動して約半日、過ごしました。

サン・フアンからサンタクルスへ。

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そして都会・サンタクルスへ。

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ちなみにサンタクルスにいる同期隊員は2人。柔道隊員と映像隊員。

任地が遠く、エクアドルに帰ってからも家に着くまで道のりが果てしないので、私は1日はやく帰ることにして、サンタクルスからラ・パスまでまず移動。ラ・パスでウユニで一度別行動になったエクアドル隊員の同期と合流して、ラ・パスからコロンビアのボゴタ空港へ。そこからエクアドルグアヤキルへ帰ってきました。ボゴタの空港で到着が遅れて、グアヤキル行きの便に乗り遅れるというハプニングがあったものの、スムーズな手続きをしてもらったおかげですぐ次の便に振り替えられ、特に支障は出ませんでした。ボゴタの空港はとっても大きくて近代的で、久々においしいピザを食べることにできて、異空間を味わいました。

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ただここで同期と調子に乗ってピザに唐辛子をたくさんかけて食べたら、のちのちお腹が大変なことになり、グアヤキルに着いてから任地に戻る長距離バスの中でヒヤヒヤする時間を過ごすことになりました。

空から見るエクアドルの大都市・グアヤキル

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そんなこんなでとても充実した時間を過ごすことができたボリビアへの任国外旅行。移動時間を入れると10日間、そのうちボリビアには7日間滞在することができて、濃厚な、すてきな時間でした。

それでもエクアドルに帰ってきたときは、日本ではないけど、「帰ってきたぞ~」という不思議な感覚。さらに任地に戻って、久しぶりにステイ先の家族や街の知り合いに会って、やっと落ち着けた・・・というかんじでした。

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ラ・パスにあった日本食屋さん、その名も「けんちゃん食堂」。ラ・パスのこのお店は2号店で、本店はサンタクルスにあるらしい。こういうのも日系社会がある影響でしょうか。かなり日本が身近でした。どこに行っても「japones(日本人)」「japón(日本)」に対してもかなり身近なかんじの接し方だった気がする。エクアドルではこういう日本を感じられる日本食をやさしい値段で食べられるところはほぼないはず。日本食に飢えていた私達エクアドル隊員はまさかの2日連続で夜ごはんをここ「けんちゃん食堂」で食べました。これもかなりリフレッシュできた一要素。

ボリビアの通貨は「ボリビア―ノ」。7ボリビア―ノが1ドル。物価は全体的にエクアドルよりも安い。ということで日本よりも全然安い。写真は10ボリビア―ノ紙幣。少し顔がこわいです。

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 ウユニ塩湖の写真はまだまだきれいな写真がたくさんあるので、またちょくちょく載せられたら載せます。