フェリス クンプレアニョス!

タイトルはスペイン語で「¡Felísz cumpleaños!」と書いて、「お誕生日おめでとう!」という意味です。先日、無事にエクアドルで誕生日を迎えることができました。

前日に同僚女性に「明日何の日か知ってる?」と念押しをしたので、当日朝、部署に入るときに、何人か私の誕生日を知ってくれていた同僚は「フェリス クンプレ~!」って言ってもらいました。ちなみに「フェリス クンプレ」は略。

 15時過ぎになると、ごみ収集の担当者たちが仕事を終え、たまたま別の用事で戻ってきたところに、ケーキ買ってこよう!という流れになって、同僚たちが買ってくれたケーキを何人かで食べました。夜には前カウンターパートのオルランドが誘ってくれて、夕食をごちそうに。そして、任地の名物でありながら、まだ一度も食べたことがなかった「ancas de rana」をついに食べることができました。その名も「蛙の足」。フライになっています。から揚げみたいな衣の味で、食感は鶏肉のささみに近いようなかんじ。骨がたくさんあるので、あまり身がたくさんというかんじではないけれど、から揚げ好きの私にはごちそうでした。

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この週の日曜日のお昼には、家族にもお祝いをしてもらいました。家の屋上(エクアドルの家は多くの家に屋上があります。でも屋根があって半屋上というかんじで、吹き通しになっています。ここで洗濯物を干したり、ステイ先ではカカオもここで乾燥させています。)でお肉とバナナを焼いて、おいしいお昼ごはんを作ってくれました。日本の家族や友人、先輩、他の国にいる同期たちからもお祝いのメッセージをもらって、うれしかったです。ありがとうございました。

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ここではよく、私の名前は書くと「reico」とか「reyco」って間違われることが多いのですが、ステイ先で用意してくれたケーキはちゃんと合ってて、うれしかった!

 

ここでエクアドル流のお誕生日のお祝い方法を紹介します。

まずおめでとうの言葉は前述のとおり、「¡Felísz cumpleaños!」(フェリス クンプレアニョス)です。若者たちや、少し軽いかんじで伝えるときは、「¡Felísz cumple!」(フェリス クンプレ)と言っています。ケーキを食べるのは同じ、ここでもケーキを食べます。甘めではありますが、まぁ一切れだったらおいしく食べられるかな、というかんじですが、一切れ以上は私は食べられません。スポンジケーキの間にはジャムが塗られているのがエクアドルのショートケーキ。ふつうにろうそくを立ててフゥーとします。歌も歌ったりもします。ここまでは世界共通のわかりやすい流れです。そしてここからがエクアドル流。フゥーとしたあと、もう一回写真撮るから、ケーキに顔近づけてねみたいなかんじでお笑い番組のようなフリをして、祝われる側が顔を近づけたところで、ケーキに顔を突っ込まれます。日本でもたま~に見るけど、ここでは必ず習慣としてやるらしい。突っ込むと言っても、まぁ鼻と口がケーキに付くぐらいだけど。そのあとみんなも食べるから、一応遠慮も見られます。私も今回ケーキに顔を突っ込みました。ちなみに突っ込んでくれたのは、ステイ先の娘のこども、8歳の女の子。この子は他の家族の誕生日のときもいつも突っ込み役で、今回思った以上にけっこう強めに上の写真のケーキに突っ込んでくれました。あとは年齢の分だけベルトでおしりを叩かれるという習慣もあるらしいけど、まぁこれは笑い話みたいなかんじでふつうに断ることができます。

 そんなかんじでお祝いをしてもらって、ありがたい1週間でした。

明日からは、首都に上がらなければいけない予定がいくつかあるので、キトに行きます。エクアドルの協力隊員が全員集合する日もあるし、今回私はそのまま残って、2回目の環境部会とキトより北部にある同期隊員の任地の幼稚園で少しお手伝いさせてもらったり、他の隊員の任地に遊びに行ったりする予定です。JICAの公式行事以外では今回3日間職場にお休みをもらったのですが、先週、そのお休みを取るのにもカウンターパートや秘書の女性に交渉するのが大変でした。交渉の末にやっと取れたお休みなので、たのしんできます。

marcelo(マルセロ)

 昨年12月いっぱいでうちの部署では何人かの契約が終了し、離職しました。そのうちの1人がマルセロ。ごみ収集担当者でした。この契約形態で市役所で働いている労働者層はうちの部署ではごみ収集か街の清掃の職に就いていますが、彼らは最大でも1年の契約でしか働くことができません。日本でいう派遣社員やパートタイマー、アルバイトのような位置づけで、はじめは6か月の契約なんだけど、6か月過ぎたところで、更新するかどうかっていう話になって、市長に認められた人は1年まで延長することができるらしい。国の法律的にはもう少し長く働ける法律があるということも聞いたことがあるのですが、任地では最大でも2年まで。でも2年というのもかなり稀なケースで基本は1年。このマルセロは本当は今後も契約をすごく延長したがっていて、何回か上司に頼んでいたようだったけど、市の決まり事なのか、6か月目で1回更新をしてすでに1年働いている身なので、結局延長は認められませんでした。この前環境部会で聞いたなかでは、ボランティアがいる他の市では、この層の人たちも長い期間で雇用している市もあるようで、みんなで雇用形態が安定しているのはいいねって話していました。そういう意味では、ヤンササは小さな街だけに、その分いろいろな人に雇用機会が行きわたるような体裁を重視した市長の方針なのか、もっと働きたい人がいても、なかなか継続できないのが現実のようです。この層の人たちのお給料も、市役所の仕事なだけに、ボランティアの私の月の手当よりも高いお給料なので、体力勝負で大変そうだな~とは思うけど、その分ここで続けたいということなのかもしれません。前にマルセロに「この仕事更新したい?」って聞いたら、「もちろんもちろん。」と返ってきたので、そういうことのようです。マルセロは小柄なガテン系ってかんじだけど、勤務態度もとてもまじめで、日本人の私にも友好的でした。だから私も質問しやすくて、マルセロが回収するごみ収集車に乗ることも多く、そのたびに歓迎してくれて、少しずつ親交を深めることができました。祝日にごみ収集が入るときも、嫌がりながらも、あとからこそっと上司に「やっぱり出勤だよね?」って確認しにきて、働いてくれとお願いされると一番はじめに静かに納得してくれていました。私よりもいくつか年上らしく、走りまくる体力勝負の収集の仕事は若い人が重宝される中、年齢を感じさせない働きぶりでした。そんなこともあり、個人的には同僚の一人として私もマルセロには延長してほしかったのですが、難しそうです。難しそうと書いたのは、実は今もまだ上司や市役所の人事関係の上層部に相談に来ていて、清掃のポストが空いているからそこで働けないかと頼んでいる最中のようです。でもおそらく無理なのかな~という雰囲気。こういうかんじで、ごみ収集や街の清掃担当者たちとは、せっかく仲良くなっても、契約が切れて頻繁には会えなくなってしまうということもあり、これからもあるんだろうなと思います。小さい街なので意外と街でばったりということも多いとは思いますが。

この更新の話はいつも期限ギリギリに通知されます。例えば今回12月末までの契約の人たちの更新の有無が正式に通知されたのが12月28日。そこから新しく来る人の手続きとかバタバタやります。日本的には更新されない場合を考えて、次の仕事を見つけておかなきゃ…とか考えるとあまりにもギリギリすぎる更新スケジュールなんじゃないかなとか思うけど、ここでは大丈夫らしくこれが普通のようです。おそらく更新されなかったらそのとき考えるということのようです。更新期限を迎える時期を見るのが初めてのときはみんな不安にならないのかな…なんて見ているだけの私がソワソワしてしまったけど、意外とみんなのほうが何も気にしていない風。

いつ書こうかなと思っていたことがあって、エクアドルでの労働に少し関係がある話なので、紹介しておきます。エクアドルには「ingeniero,ingeniera(インヘニエロ(男性)、インヘニエラ(女性)」という概念があります。意味は直訳すると「技師」。技師という言葉からイメージされる理系・工学系の技師ではなく、おそらくここでは専門的な知識を持っているということの総称で使われています。これは、titulo(ティトゥロ)という大学を卒業すると得られる称号を持っている人のことで、縦社会で形式を重んじるこの国では、とても重要視されているしくみです。労働者層の人たちや大学に行かずに働いている人たちは持っていません。市役所でも見ていると、インヘニエロの称号を持っている人には必ず名前を呼ぶときに「インヘニエロ、〇〇さん」と呼んでいます。これだけでもこの国の体質がイメージできるのかな~とも思ったり。あ、でもエクアドルネームを覚えるだけで精一杯の私はいちいち誰がインヘニエロかまでは覚えられないので、付けていません。ちなみにエクアドルの若者風に略すと「インへ」。このtituloがきっとこの国ではひとつのステータスになっているようで、初対面でもふつうにガツガツ聞かれます。「あなたは何のtituloを持っているの?」って。私もこれまで何回聞かれたことか。任地に来るまでまったく知らない概念で、はじめてtituloの話をしたのはステイ先の家族とでしたが、そもそもtituloってなに?ってところから始まって、私も全然イメージできずに、向こうも大学出てるならtitulo持ってるんでしょ?っていう頭で聞いてくるので、そのときの話の噛み合わなさと言ったら今でも思い出すと大変だったな~と笑えてきます。他の街に同じタイミングで赴任した同期たちも同じことになっていたようで当時の同期ラインではtituloの質問攻めがすごいけどみんなはどう答えてる?そろそろ回答に疲れてきた…みたいな話題で相談しながら盛り上がっていたのを覚えています。

例えば…この国の大学で法学部を卒業すると、みんなが「弁護士」のtituloを持つことができます。そして「弁護士」のtituloを持っていればみんな「弁護士」として働くことができます。だから街には弁護士事務所がたくさん、飽和状態なんじゃないかと思うほどだけど、離婚の数が圧倒的に多いし、感情的で情熱的な生活の中ではいろいろトラブルも多いということか、弁護士が溢れかえっているという話は聞きません。「あなたは何のtituloを持ってるの?」と聞かれたら、「日本にはtituloというしくみがないんだけど、大学では法律学を勉強したよ。」と答えるのですが、「じゃぁ弁護士だったんだ。」と100%で返ってきます。で、「いや、弁護士ではなく、〇〇の企業で働いていたよ。」と答えると、法学部を卒業してるのに弁護士として働かないということ自体がエクアドル人にとってはあまりピンとこない部分もあるようで、tituloを持っていないと答えると、じゃぁ大学をちゃんと卒業してないってこと?っていう話の流れになってしまうこともあります。だからそこで日本にはtituloというしくみがないんだよということを再度説明しますがちゃんと理解してくれているのかは不明。日本で弁護士になるためのしくみとエクアドルのそれとでは全く異なっているので、大学を卒業しただけでは弁護士になれないというようなそのあとの流れとかまで説明することもあるんだけど、やっぱり他の国の文化のことは分かりづらいようで、そもそもtituloという文化がないということにみんな「?」みたいな雰囲気になる。だから任地に来てすぐは、この話になると説明したあとの反応がすでに予想できたので、いちいちtituloの話になるのがめんどくさかったときもあったけど、さすがに今はもう聞かれることも少なくなったし、まぁ向こうの反応にも慣れました。日本人からするとtituloって何だよってかんじですが、エクアドルではとても大切。少し前に書いた記事で紹介したユリという女性、彼女はこれから大学に行くんだけど、この国で働くためにはtituloがとても大切だから大学に行く必要があるんだと強く私に話してくれました。同僚のエドウィンも契約を更新できるかどうかの話のときに、インヘニエロの称号が不足してるとかなんとか上層部から言われていたようだったし、見ていると必要なんだな~と感じる場面がたくさんです。

少し話は飛びましたが、こういう側面からもエクアドル社会を観察したりもしています。

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ここ最近の私はというと、今のカウンターパートとの協働が全くできていない状況です。一番はもちろんわたしの語学力ではありますが、ここまできたらそれだけではありません。カウンターパートの外国人ボランティアに対する理解があまりにも感じられなくて、彼も上司に昇格して以来、日々の目の前の実務で忙しいのはわかるし、たくさんの仕事をしている?というのはわかるのですが、その分私との活動に関しては、実際彼のスペイン語は早すぎて、1回では理解できずに、そういうこともおそらくめんどくさく感じるのか、コミュニケーションが取りづらいと感じる場面、明らかにバカにされていると感じる場面、私といい関係を築こうと思っていないんだろうな~と感じる場面も多々あって、正直なところ、ついていけないというのが本音です。昨年末頃から事あるごとに仕事の進め方も考え方も日本とは根本的に違うから…と一番は相手を尊重したいという思いと「異文化理解」という言葉で飲み込んで、まずは受け入れるようにはしていたけど、ただ目の敵にしたいだけなんじゃないかとまで感じることもあります。このままでは今後の活動を含めて私のこれからの1年半がいろいろマズイのではとも感じています。このあたりについては、私も自分のために考えて、いろいろな人を頼りながら進めてみます。

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そして、先日無事にエクアドルで1回目の誕生日を迎えました。今回は少しまじめな話になったので、次回は誕生日のときのことを書こうと思っています。

 

 

 

 

ウマ

今回はタイトルのとおり、「ウマ」を紹介します。文字からでは何も想像つかないと思いますが、エクアドルの食べ物のひとつです。発音は日本の「馬」と同じではなく、ウにアクセント。正式名称は「uma」と書いてウマ。でもだいたいの人は「umiita」と書いて「ウミ―タ」と言ったりします。ウミ―タとは、ウマの愛称で、前にスペイン語のところで少し書きましたが、人や物への愛着を持ってかわいらしく言いたいときの言い方。ここでは、この愛着呼称を人に対してだけではなく、家とか紙とか生活の周りのほとんどすべての物に対してもこの変化形を使うのでかわいらしいというか私からするとおもしろいな~というかんじです。

どういう食べ物かというと、原材料はトウモロコシ。日本で目にする黄色い実のトウモロコシではなく、エクアドルには実が白色のトウモロコシもあって、その実を使います。まずトウモロコシの皮から剥いで、一粒一粒取り、その実をすべて濾す。

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そうすると、トウモロコシの実からも牛乳のような液体が出て、全体がドロドロのペースト状のものになる。

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それを塩、砂糖、バターで味付けしたあと、ひとつひとつもう一度とうもろこしの皮(葉)に流し込んで、包んで蒸かして完成。

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多少バターは使いますが、とうもろこしが原材料だから、パンよりは太らないかもと思っています。味わうと少し甘いかんじだけど、そもそも原材料に使うトウモロコシが白い実の品種のもので、このトウモロコシは日本で食べる黄色いトウモロコシのような風味は持っていません。スープとかにも入れることが多いのですが、ほんのり甘いかな~っていうくらいで、日本の黄色いトウモロコシのコーンの風味ほどは強くないです。塩と砂糖、バターの加減で塩味にしたり、少し甘めにしたり、あとは中にチーズを入れたりできます。朝ごはん、夜ごはん、おやつに食べる軽食というかんじです。この写真は朝だけど、夜ごはんに食べるときは私は野菜炒めとかを作って付け合わせて食べています。

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はじめてこのウミータを食べたのは、語学学校で滞在していたクエンカのホームステイ先のごはんで出してもらったとき。このときは、まさかの白ごはんとこのウミータの組み合わせで、どう頑張っても白ごはんと一緒には食べられなくて、完食できずに、ウミータの印象もあまり良くありませんでした。任地にやってきて、ここではごはんとセットで出ることはなくて、ウミータを食べる時は主食として食べ、付け合わせで半熟卵とかチーズとか玉ねぎと唐辛子のさっぱりするソース(salsa de aji)をかけたりして食べます。この食べ方が私には合っているらしく、任地に来てからというもの、ウミータを味わって食べることができるようになって、大好物になりました。クエンカで食べたときは、ごはんとセットだったということが大きかったのか、克服の兆しが見えないほど、もう食べたくないと思ってしまっていました。でも任地で出してもらって最初は断れずに少しずつ食べるようになって、作る工程を見ながら自家製のものを食べる機会があったといった理由からか、当初のイメージとは一転し、今ではなんと、とってもおいしく食べられるようになりました。日本にいる時からもともと食の好き嫌いがほぼなかったので、嫌いだった食べものが好きになるというこの経験自体が私には新鮮でおいしく食べられることになったことが今はなんだかうれしいです。

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一応黄色い実の日本でも見るトウモロコシもあって、日本同様茹でてふつうに食べます。この場合、食べ方はチーズを添えるのがエクアドル流ですが、私はトウモロコシだけ、もしくはこっちで買える醤油をつけて食べる方が好きです。

時々市役所にもこのウマを売る女性が来て、同僚の女性がその売りに来た女性からウマを買います。ある日、同僚女性がウマを買ったときに彼女の子どもも隣にいて、その子も「いい匂い~!!」って言って喜んでいました。その時のその子の目がキラキラ輝いて笑った顔はかなり印象深くて今でも覚えています。小さいころから慣れ親しんだ味はテンションあがるよね~と私も日本の食べ物を思い出しながら見ていました。

ウマとは別の話題になるけど、こういう風に女性職員の子どもが部署にいるということがここでは日常の光景です。最初私はびっくりしたんだけど、見ていて、すごく自然な流れでみんな部署に入ってくるので、いつからかこの光景にも慣れました。ヤンササには学校がいくつかあり、市役所のすぐとなりにもあります。エクアドルの学校は基本午前中いっぱい。お昼ごはんからは家に帰ります。宿題があるときは部署で宿題もします。親の家に帰っても親が不在という場合、たしかに親の職場に立ち寄るというのはまぁわからなくもない流れです。そもそも職場に小さい子がたくさんいるという光景は日本からするとイメージしにくいし、物理的にもいろいろ問題があると思うので、もちろん日本では無理ですが、ここでは、働くお母さんたちにとっては優しい環境がふつうにあります。ここの人からしたらこれが普通だから、きっとなんとも思ってないはず。日本人らしく「連れてきてもいいですか?」っていう感覚ではなく、「連れてきて何か問題ある?」的な感覚な気もします。この女性同僚の子どもたちとはけっこう仲良くなったり、周りの同僚たちも特に一番下の男の子のことはよくいじったりしてたのしんでます。この子が部署のパソコンを使ってテレビゲームをするんだけど、このときにこの子が興奮しながら発するスペイン語は分かりやすくて聞いていて単純におもしろくて理解しやすいです。よく顔を合わせる他の部署の女性職員の子どもたちとも仲良くなったりもできました。

ウマ以外にもまだまだ紹介したいおいしいエクアドルごはんがあるので、また紹介します。

グアヤキルデビュー

あけまして おめでとうございます。

2018年、今年もよろしくお願いします。

 

さてさて、エクアドルでの年越しですが、私は今年はグアヤキルという街に遊びに行ってきました。そこに長年住む日本人の方のお宅に何人か隊員でお邪魔して、ワイワイ過ごそうという年越し企画。いったんその話の前に、年末の仕事納めイベントについて紹介します。

29日が金曜日で、この日が年内最後の出勤でした。とはいえ、市役所自体は朝から閉めて、車で3分ほどのところにある運動場にみんな集合。12月上旬から始まっていたチーム対抗のスポーツ大会。この集大成となる競技をいくつか行ってみんなでたのしむ日。男女別だったチームがそれぞれ男女1つずつを合わせたチームに拡大され、男女混合のチーム対抗になります。集大成とはいっても、レクリエーション的なかんじで、二人三脚とか卵投げとか、早食い&早飲み競争とか、短いトライアスロンとかそんなかんじです。

これは早食い競争が始まる前の緊張の時間。奥のカラフルな被り物をしている男性が私たちのチーム。

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私は流れで短いトライアスロンに参加することに。自転車(男)→25メートル自由型(女=私)→25メートル自由型(男)のリレー。自転車の人がめちゃくちゃ早かったおかげで私たちは1位えを獲得。そのあとは「año viejo」用の人形を作りながらカラオケ大会になったり、踊りだしたり、終始盛りあがっていました。
お昼ごはんが出る出ると言われていたけど、まだまだ準備される気配がなかったので、私はちょっと疲れたため一息つこうと一度ステイ先に帰り、ごはんを少し食べ、また戻りました。そのあともダラダラ過ごしつつ、遅めの炊き出しごはんの時間になり、そうこうしていると今日も街のごみ回収してくれる同僚たちが参上。

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彼らにもお昼ごはんを渡しつつ、バーッと食べるみんなを見送ります。そして「año viejo」用の人形を使った寸劇をいくつかのチームが披露。私は寸劇には参加しませんでしたが、政治関係のネタをおもしろおかしく揶揄したような内容で、直前に決めた内容にしてはうちのチームはけっこうウケを取っていて、何かに選ばれていました。写真は自粛しますが、このあと女装した人たちがたくさん出てくる。エクアドルの年越しでは男性が女装をするという習慣もあるらしい。

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そのあとはもうひたすら踊ってビール飲んでというかんじ。ほんとはみんなで作った人形を燃やしてほしかったけど、結局この日は燃やさず。燃やす燃やすと言われ続け、それを待っていたけど、燃やしそうな雰囲気ではなかったのであきらめて18時過ぎに私は帰りました。そんなかんじでこの日のお祭り騒ぎは終了。でも最後は虹が出ていました。

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そしてグアヤキルデビューの話。30日早朝、ステイ先の家族がまだみんな眠る薄暗い中、私は1人グアヤキルに向かって出発。ヤンササ→ロハ→クエンカ→グアヤキルの順で合計13時間の長旅。クエンカで先輩隊員と合流して一緒に向かいました。グアヤキルとは、首都のキトを上回るエクアドル最大の都市です。コスタ地域の海沿いで気候はとても暑く、海沿いに行けばリゾート感覚の風景も味わうことができます。最大の都市なだけあり、とってもとっても都会ですが、外国人も多い、悪い人も集まる、その分とってもとっても危険な街です。もちろんふつうに観光はできますが、かなり注意しないといけません。クエンカで待ち合わせした先輩隊員にも「気を抜くとすぐヤラレル(=すぐスラれる)くらいの気持ちで臨まないとほんとにヤラレルから。」と言われ、任地の田舎に慣れた私はさらに緊張が高まる中、目的地グアヤキルに到着。

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バスターミナルは空港なんじゃないかと思うほど大きくて、マクドナルドもありました。久しぶりの近代的な建物や都会の雰囲気に少しテンションがあがりつつも、ターミナルから今回お邪魔する日本人の方のお宅にはタクシーで。すでに年越しモードの街では遠くのほうで花火があがっていました。お家で久しぶりの日本食風のたくさんのごちそうと、30日夜、31日と過ごしました。

半年ぶりのお刺身~!海苔、納豆がある奇跡。

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31日の昼間は街中のいたるところに「año viejo」用の人形を見に。一般的なのが、ふつうのおじさん風の人形。他にもアニメのキャラクターや巨大人形がたくさん。みんな車で運んでいます。

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何かが違うけどドラえもんもいました。
年明けすぐに2年の任期を終えて帰国する先輩隊員たちのお疲れ様会を兼ねて、私は他の先輩と何曲か演奏。2年間お疲れ様でした~!

そして今回お邪魔したお宅に住む在エクアドル歴30年のおじさま。このおじさまは今は日系企業で勤務されていますが、若いころは船乗りとして船の上で仕事をしていたそう。船の上で何でもできるようになることを想定して船学校で勉強するそうなので、何でもできるよと言っていました。お家のお釜にあるグリル用の金網も自分でプレスして作ったらしい。日本との時差マイナス14時間のエクアドルで、再放送の紅白を見ながら31日夜はみんなでワイワイ。紅白を見ていると一瞬エクアドルにいることを忘れるんだけど、近くで花火がいきなりあがる音が続くので、そのたびにみんなでエクアドルにいることを思い出していました。

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山肌に立ち並ぶカラフルな家々もきれい。そしてグアヤキルにはトンネルもありました。そういえばアンデス山脈の山々を超えて走るエクアドルのバス移動ではトンネルにはなかなか出会ったことがありませんでした。キトの空港まわりと今回グアヤキルで通ったくらい。
年越しの瞬間は、家の外に出て、街のあちこちであがる花火と、人形を燃やす炎と火薬のニオイと煙に包まれながら新年を迎えました。

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そして1日の朝にみんなで出発し、それぞれ帰路に。

帰りのロハのバスターミナル。

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無事にグアヤキルデビューを終えました。

ちなみにスペイン語で新年の挨拶は「¡Felíz año!」(フェリス アニョ)です。「Felíz」が「幸せな」という形容詞、「año」が「年」という意味。新年初めて会う人とは「¡Felíz año~!」と言って、ハグをします。グアヤキルからステイ先に戻って家族と、仕事が始まった2日朝から、市役所のみんなともこの挨拶で2018年が始まりました。

今年も健康にたのしく過ごせますように。

2017年

今回で2017年は最後の記事です。

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少し振り返ってみると、今年はこれまでの人生の中でも変化の多い1年でした。3月末に5年勤めた会社を退職後、4月からJICAの派遣前訓練に参加。そこからはあっという間に過ぎていって、出発前の大切な時間を惜しみながら過ごしつつも、気づくとエクアドルに来てもう5ヵ月が経っています。あと数日で半年。早いです。早いんだけど、任地にやって来てからは4か月。いろいろ感じたり、考えたり、戸惑ったり、ヤンササでのこれまでのことがすべて4か月間の出来事だったと考えると、もっと経っているんじゃないかと感じるほど、内容の濃い4か月でした。

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これまでも節目節目で環境が変わることがあったけど、それは大学入学とか、就職とか、もちろんそのときはそのときで家族のサポートのもといろいろ選択していましたが、いずれにしても時間の経過で必然的に生じるもの。でも今回の変化は自然に生じたものというよりは自分で明らかに変化させようと思ってのことだったので、そういう意味では人生はじめての大きな変化で、私の中では大きな出来事があった1年でした。

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訓練所でのエクアドル国旗掲揚のとき。

他の国で活動しているみんなも元気かな~。

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全然深刻なほどではないけど、日本にいる家族や友達、お世話になった人、日本の見慣れた風景とか食べ物とか雰囲気とか空気とか季節とか、すべてが恋しくなることもたまにはあって、きっとこれは帰国するその時まで感じることはあると思うのですが、じゃぁ今帰りたいかと聞かれると、帰りたくはないというかんじです。何よりも活動がまだまだ始まってないも同然で、スペイン語もろくに使えるようになっていない訳で。任地に日本人1人でいると、なかなか客観的に自分のことを見たり考えたりすることができないけど、ステイ先の家族や周りのサポートがありつつも、なんだかんだふつうに街を歩いたり、欲しいものを買いに行ったり、人と待ち合わせしたり、バスで他の街に1人で行ったり、1年前はスペイン語のスの字もエクアドルのエの字も知らなかったけど、いまこの日本の裏側の小さな街で生活していることに自分でも驚きです。体調面での大きな変化も特になく、過ごすことができたので、来年以降も健康管理には気つけていきたいところです。これからまだまだ長いので、自分に厳しくなりすぎずに、これでも十分がんばっていると気楽に考えたいなとも思います。あとはみんなと笑って過ごせればそれでいいです。そのうえで2018年は活動とスペイン語を少しでも進歩させられるように。

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アンデス山脈とわたし。

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年越しは任地を離れ、先輩隊員のお疲れ様会を兼ねた日本人年越しの会に。エクアドルの年始はなんと2日から仕事始めです。日本人的には三が日は休みたいとか思ってしまうけど、働くこと自体はみんな好きなのかなと思うほど、働いています。朝も早くから。仕事の仕方は日本とはまったく違うので、私はまだまだ掴めていませんが。自動車部品の商店を営むステイ先の家族はこの前から、日本でいう棚卸ろし作業のようなものに追われていて、この前のクリスマス週もお店を閉めたあと夜遅くまで家族みんなで小さい部品を数えていました。

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明日市役所では、仕事納めのイベントも開催されます。エクアドルの年越しでは、段ボールや紙でまぁまぁ大きい人形を作って、ちゃんと服も着せたその人形を31日夜12:00に燃やします。この人形を燃やす行事を総称して、「año viejo」と呼ばれます。añoが「年」、viejoが「古い」という形容詞。来年の幸運を祈るためのエクアドルの年越し。それぞれの家やそれぞれの町内会ごとに燃やされるから、街に炎がたくさんになるらしい。で、そのあとは朝まで踊るらしい。お酒もたくさん飲んで。話を聞くだけでラテンの雰囲気が漂うなんとも元気で激しいかんじの年越しです。今日は市役所で私も人形作りに参加しました。この年越し人形の話題になるたびにいろんな人から「日本もこうやる?」って聞かれるから、「日本ではやらないな~。」って言うと、みんな驚きながら意外そうにしていました。年越しのことはまた次回以降で。

 

そんなこんなで、変化の大きかった怒涛の2017年ももうすぐ終わり。今年も1年大変お世話になりました。2018年。来年もどんな1年になるのか、たのしみです。

ではでは日本のみなさんも、世界中にいる仲間たちも、それぞれの時間でみなさん良いお年を。また来年。

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クリスマスの週

 先週は同僚のエドウィンに手伝ってもらって、一通り市役所内に分別BOXを置くのを終えました。手伝ってもらった身ですが、それにしてもやはり上から目線で、行き当たりばったりな行動が多かったし、先週は大変でした。クリスマス前でみんな気持ちが先走ってたというのもあったのかもしれません。大変というかむかつくことがたくさんありました。もちろんすべて話すことができればこちらも嫌な思いを残さないで済むのですが、やはり言い返せないし、みんなが話すスピードに入っていけず、考えてがんばって発した言葉もたぶん発音が悪いんだろうな、スルーされる場面がたくさん。エドウィンに「もう少しスペイン語勉強しろ」と諭すように言われ、毎日こっちが自覚していることを呆れ顔で言われたので、さすがに腹が立って、「わかってるよ!」と強めに言い返してしまいました。日本では言わないような言い回しでからかわれたり、私としてはバカにされていると感じることも。それで私が嫌な気持ちになったと言うと、「なんで?気にすることないよ。」とさっぱり言われ、あぁ、日本人と感覚が違う…と日々思っています。マヌエルもマヌエルで私の語学力に飽き飽きしている様子を態度で出されることもあるし、日本じゃなくてスイスの援助が良いとかなんとか。そんなの私の知ったことではないので聞き流しますが、言った瞬間忘れてたり、言われた方も気にするなというかんじの雰囲気があるので、これもここの習慣なんだろうなと思います。本当に嫌な時は、私はそう言われるのは好きじゃないとか、やめてくれと言うことにします。

そしてきのうは朝一で、市役所で集会を開いて職員向けに分別の説明とごみ箱を設置した背景の話をしました。マヌエルには話すところをたくさん手伝ってもらって、なんとか終えたというかんじ。こういう場面ではまだまだ、というかこれからの約1年半もここの人のサポートがないと物事は進められないので、そのあたりには感謝の気持ちを持って接しないとな思います。

 

エクアドルは12月25日クリスマス当日は祝日でお休み。今年は23日が土曜日に当たったので、23、24、25日と3連休。そんなこともあって、先週後半からはみんなクリスマスモードなのか不在にすることも多くて、1人で部署にいるときに訪問客がくると、もう冷や汗ものです。たいてい「不在でいついつ戻るよ」とか言えばけっこうみんな了解してくれるんだけど、どうしても今がいいとか言う人も中には居て、でも言われていることがすべて理解できなくて、他の部署の顔見知りの女性に仲介をお願いして作業したりとか。人を顎で使って、もっと勉強しろとか言う前に自分が居るべき時間に居るべき場所に居てと突っ込みたくもなりました。

そんなこんなで少し嫌な雰囲気が続いた12月でしたが、振り返ってみると嫌なことばかりでもなかった気もするので、ここからはクリスマスイベントの話。

市役所内ではスポーツ大会が開催されました。男女別のチーム対抗戦で、毎日何かしらの試合があって。私もチームに入れてもらって、サッカーとバスケの試合に少しだけ参加。バスケはふつうにたのしかったです。ちなみに私が入っていたチームの名前を私の苗字から取ってくれて、なんとその名も「miyahara‘s」となりました。

やはりいろいろな意味で南米の女性は強い。試合中に腕がひっかかったこととか、休憩時間になると面と向かって言い合ってました。でもきっと次会う瞬間は何事もなかったかのように、ふつうに笑顔で挨拶するんだと思います。この辺りが情熱的だけどさっぱりしているというか、ラテンの感覚なのかもしれません。

市役所前を通り過ぎる子供たちのパレード。

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キリスト教のイベントも。Novena(ノベナ)というのがあって、意味は「9日間連続でお祈りすること」。ふつうは教会で毎日行われるミサにみんな行くようですが、ステイ先の家族はここ何年か、近くに住んでいる親戚間のお家で行っているらしく、私も一緒にお邪魔させてもらいました。お家でみんなでお祈りをして、歌を歌って、用意してくれた夕食をいただく。で、みんなで語り合って、2時間くらいで解散。次の日は誰々のお家だねって日替わりです。毎日会うので、親戚の家族たちとか初めのうちは初対面というかんじで慣れなかったけど、会うたびごとに親近感が増しました。最後の日はみんなで教会のミサに参加してステイ先の今年のノベナは終了しました。

22日のお昼ごはんは日ごろの慰労とクリスマスのお祝いを込めたマヌエル主催の職場での昼食会。遠くに座っていた同僚から鶏肉を手で食べろと言われ、手で食べたらなんかみんなに喜ばれました。その日の夜は家族の4番目の娘Cumaが誘ってくれて、夕食会に参加。日本でいういわゆる女子会でした。日本にいるときはしようと思えばいつでもできた女子会もそういえばエクアドルに来てからなかったなぁと思い、国は違うし、言葉もまだまだわからないんだけど、なんか女子会の雰囲気って意外と世界共通なのかもしれないと感じて、初めてというより久しぶりな雰囲気を味わうことができました。

おしゃれな夜ごはんが出てきました。

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みんな私よりは年上、中学生くらいの子どもがいる年代の人たち。Cumaの義理のお姉さんも一緒に。彼女とCumaは私をいつもお祭り的な遊びに誘ってくれてこれまでも任地や隣町で夜にお祭りがあるときなど一緒に遊びに出かけてくれます。Cumaは初対面のときは少し怖い印象だったんだけど、すぐに180°変わってとても友好的な人でした。ステイ先の家族たちは基本みんな優しいので、職場で嫌なことがあってもステイ先の家族と顔を合わせられるからそれもよかったな~とも思います。23日の夜はステイ先の家で家族みんな集まって夕食会。この日のお昼、クリスマス用のごはんのために鶏を3羽絞めていました。この鶏はお母さんが畑で飼っている鶏たちです。私も少し手伝わせてもらって、羽を削いだり、内臓を取り出したりしました。

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会食時には女性はワンピース、男性はシャツスタイルで。私は前に見せた浴衣が好評で、みんなに着てほしいと言われたので、宗教とか季節とかいろいろめちゃくちゃだけど、浴衣を着ました。でもみんな喜んでくれたからまぁいっか。たのしい夕食会でした。24日の夜にはミサへ。私がこれまでに行ったことがある教会とは別のところ。キリストの誕生は24日深夜から25日にかけてということを今回知りました。なので、この24日の夜のミサが一番大事そうだし、人も集まる。ステイ先でもいつもはミサに行かない息子もこの日は参加。みんなで行きました。

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これまでに数回ミサには参加したのですが、一通り終わると、「la paz」(平和)と言い合って、隣の人、同じ列の人、前後の列の人たちと握手したりハグしたりします。このときのみんなの顔はほんとうに優しい笑顔で握手をし合います。私も暖かい気持ちになるような笑顔です。このときは良い意味で宗教の持つ不思議な力を感じます。街や家庭にはクリスマスツリーやイルミネーションも。ただ一つ日本と違うところがあって、キリストの誕生を表現した人形を各家庭飾ります。この飾りの名前は「pesebre」。この中のキリストの人形(生まれたところなので赤ちゃんの人形)をみんなミサに持ち寄って、ミサ中は教会の神父さんたちが立つ前の舞台のようなところにお供え、ミサが終わるとまたみんな家に持ち帰る。けっこうな数なので、無くなったり、取り違えたりしないのかな~と少し心配になるけど大丈夫らしいです。

そんなかんじで、はじめてのエクアドルクリスマスが私の中では終了。今エクアドルは雨季です。雨が降ると気温も少し下がって、肌寒くなったり、大雨になると断水することも多くなりますが、それでも昼間晴れると強い日差しで、半袖で迎える人生はじめてのクリスマス、これも貴重な経験でした。

街のイルミネーションもきれい。

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夕食会後、ステイ先の家族との集合写真。いつも遊ぶ姪っ子甥っ子はカゼで寝ていたため不在でした。

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習慣の違い

 

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市役所で行われていなかった分別回収をするべく、注文していた分別BOX。これは全体の大きいごみ箱。各階に置いてたくさんの住民の人に見てもらおうと前のカウンターパート・オルランドと決めた箱です。遅れに遅れながらもやっとこの前届いて、同僚に急かされながらおとといから少しずつ各部署への導入作業に取り掛かりました。その作業をする中で、習慣の違いから進め方や考え方が違って、来週行くのが嫌だなぁと思っている週末です。

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これまで各個人の机の横に置いていた小さなごみ箱(分別なし)を部屋の一か所にまとめてシールで3色に分けて各部署でも分別して捨てようというイメージで、同僚とも話していたんだけど、結局いざうちの部署でやってみたり、他の部署に説明しに行ったら、自分の机の横のごみ箱は動かしたくない(立ちあがってたったの5歩の場所に捨てに行くのが面倒だから移動させるのは嫌だとのこと)とか、これは自分で買ったごみ箱だから自分の好きなように使わせてくれとか、いろいろ言われてしまい、私のイメージしていたものとは120%違う方向に進んでいます。ごみはごみ箱があるところに捨てに行くのが日本人的な感覚ですが、話を聞いていると「いかに自分たちが楽に捨てるか」のほうが優先されているかんじです。もちろん分別がうまくいく方向であれば私自身のイメージとは違う方向でも全然良いのですが、そうではないので、今はまだ分別BOXを置く意味を成していません。でもだからと言ってこっちの考えを押し付けることはできないし、それを主張したり、押し通して納得させるほどの語学力もまだなく、ほんとはカウンターパートとか他の同僚と同じイメージを共有したうえで、彼らと回るのが語学面でも理想的ですが、突然休んだり、マヌエルはマヌエルで自分の仕事に一杯一杯というかんじで忙しそうに出かけていくので、先週は1人で取り掛かるという以外に選択肢もなく。それで結局みんなの良いように事が運んでいって、何だこれ…というかんじもするのですが、とりあえず取り掛かれ的な雰囲気があるので、やってみています。今回の主旨とは異なるけど、他の部署に行って、時間を忘れていろいろな人と話せる時間もそれはそれでたのしいから、これからもみんなと他愛のない話をするこういう時間は大切にしたいな~とも思っています。でもやはり来週からはちゃんとカウンターパートに確認してもらえるように働きかけたいけどどうしようかな~というかんじです。

そんなこんなで、特に市役所で仕事が絡むといろいろ習慣の違いを感じています。例えば人遣いの荒さ。私にまったく関係ないことで、この書類をどこどこに持っていけとか、あれを借りてきてとか、あそこに行ってとか、顎でこっち来いと呼ばれるのは普通。あとは人の物遣いも荒い。使われて嫌なものは持って行っていないので使われること自体はいいとしてもお金がからむと私も嫌な時もあって、例えば携帯電話。隊員はJICAから国内で使用可能な携帯電話を貸与されています。これは緊急用だから常に持ち歩いて、常に通話可能な状態にチャージしておく必要があります。チャージというのは、日本のsuicaみたいにお金を入れておくこと。このチャージがなくなったら自分でまたチャージしなければいけません。まぁそんなにたくさんは減っていかないのですが、この電話から相手に掛けるときはこのチャージが使われます。自分のチャージを減らしたくないのか、なんかエクアドル国内の通信会社同士の問題で私の携帯から掛けた方が都合がいいとうまく丸め込まれ、結局言葉の力負けをして貸す。あとはみんなあまり物を持ち歩きません。特に文房具。いつもボールペンがないってなって、貸します。で、一番はここ。感謝して返すという行動があれば私も毎日笑顔で貸すけど、日本に比べるとそういう場面が少ない。使ったらそのまま机の上に無造作に置かれてたり、そのまま自分のもののようにずっと持ち歩いたり。小さなことなんだけど、毎日続くと「またか…」となります。まぁタイトルの通り習慣の違いなので流すしかありません。それに向こうに悪気は一切ないです。あとは、部署内で、住民がごみ箱を買いに来た時に手伝えるところは手伝っているのですが、私が住民の前で何か言うと、答えながらもエクアドル人同士で「彼女は日本人。だからまだ言葉がよく理解できないのよ。」と話しています。でも「彼女は日本人で、今スペイン語を勉強しているんだよ。」と言ってくれるときもあり、そっちの言い方をしてくれるならありがたいんだけど、前者の言い方をされるのは私は好きではありません。わからなくて何が悪いんだ、じゃぁあなたは日本語わかるの?ってめちゃくちゃ早い日本語で言い返してやろうかと思ってしまいます。日本だったら「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるくらい、他人と接するときには相手の都合を思いやって一定常識の範囲内で接します。それにそうじゃない接し方をされたら少しムッとするのが日本人だと思います。でもここの人は基本自分の言いたいこと、やりたいこと、しなければならないこと、思ったことがすべて最優先。何か頼まれたときに、私が今は忙しい、どうしても今なの?と言っても、今やってほしいとさえぎられることもある。頼むんだったら相手の都合を優先してほしいところですが、ほんとに悪気無くまったく気にしてない様子。しかも習慣の違いで、私は良いと思ってやったことが全然違ったりとか、しなくていいと思ったことをやれと言われたりとか、いろいろ読めないことがたくさん。ダイレクトに強めに指図することが普通なので、結局は力関係、見てると大人から子供、偉い人から部下にと、日本だったら感じ悪いと受け取られるような指図の仕方もします。子供のころから大人にそうやって指図されてたらそれが当たり前になるんだろうな~なんて感じます。やっぱりこれまで何十年もやってきた習慣を変えるのは難しい、というか結局はその人の価値観を変えないといけないので、そりゃぁ難しいです。ほぼ不可能に近いのではないかと思ってしまうほど。不可能と言ってしまうと、私の意味…ってなるけど、でもほんとに、99%不可能かもしれないです。まぁでも変わらなくても伝えられればいいのかな、残りの1%でどれだけ伝えられるのかというかんじです。

あ、でもエクアドル人を嫌いになったとかそういう話ではなくて、みんな人柄はすてきです。とっても友好的で、握手付きの挨拶をたくさんするし、毎回最近どう?って聞き合う。そういう部分では相手を気遣うという文化が強くあって、良いなぁと思うこともたくさんあります。通り過ぎるだけでみんな私の名前を呼んでくれて、それだけでありがたいことです。でも小さいころから培われる基本的な国民性がやはり違うので、日本感覚で良いと思うことが彼らにとっては変だったり意味不明だったりおかしかったり。しかも私は1人日本人で、圧倒的少数派。言葉だってまだまだ拙い。そりゃ、向こうからしたら余計に「?」って思うこともたくさんあるんだろうなとは思います。ということで、異文化って難しいと改めて感じる1週間でした。でもだからこそ異文化を持ってる人の強みもあると感じます。うちの部署の運転手さん・サロモンとだけは朝挨拶するときに握手しながらお辞儀をし合っています。それだけでたのしいし、日本人でよかったとも感じることができます。私は私で日本人らしいすてきなところを大切にしつつ、ここエクアドル・ヤンササの良いところもたくさん吸収して、もっともっとみんなと仲良くなれたらいいな~と思っている日々です。