任地とさよなら

あっという間に時間は過ぎて、気が付くともう6月末。今私はこの記事をキトのボランティア隊員連絡所で書いています。6月14日に無事にキトにあるJICA事務所で最終報告をし、再度任地に戻りました。そして、昨日6月27日、任地を引き上げて、キトにあがってきました。ヤンササで働くJICAボランティアとして任地に戻ることはもうありません。ステイ先の家族、友人、市役所の同僚や知り合い、お世話になった人たち、私を慕ってくれた子どもたちともしっかりお別れをしてきました。

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活動面では6月19日に配属先の市役所で最終報告を行いました。報告会には市役所の人だけではなく、ステイ先のお父さんお母さんも来てくれました。

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ちなみにこの日の朝は、お姉ちゃん2人が私にエクアドル人風の濃いめのお化粧をしてくれました(それでも薄めにしてくれと頼んだけど)。

カウンターパートのオルランド、ステイ先のお父さんお母さん、JICAスタッフのフアンカルロスと。

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JICA側からはエクアドルのナショナルスタッフとして2年間私をサポートしてくれたフアンカルロスが来てくれ、最後にはコメントもしてくれました。彼には最初から、途中の人間関係がうまくいかなかったときも、そして環境部会でも、最後までお世話になりました。

市役所の環境課で以前働いていて、今は市の警察の管理をしている同僚・ハイロ。弁護士さん。

いつも私に親切に挨拶してくれ、報告会にも来てくれました。

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報告会後に部署でオルランドと同僚のディエゴと。

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そして任地での最後のお仕事となったボランティアグループとの街の清掃活動にも参加。

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連続して2回目の参加のちびっ子・マヌエルと同僚のディエゴ!

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ここまでエクアドルで過ごしてくることができたのは任地で私をサポートしてくれた人たちのおかげです。

 

約1年2か月、継続して訪問していた学校。接していた時間の長さからか、この学校の子どもたち、先生たちとは本当に距離を縮めることができました。

「El día de la familia(家族の日)」に合わせて学校で行われたイベントにも参加。

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踊りや劇を頑張っていました。

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学校の子どもたちへの餞別。日本語で書いたそれぞれの名前のプレートと折り鶴のキーホルダーを作りました。一人一人にあると発表するとみんなの顔がぱぁーっと明るくなりとても喜んでくれました。

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この学校の校長先生。市役所の報告会にも来てくれて、みんなの前でコメントもしてくれました。

何より、ステイ先の家族には感謝の言葉を伝えても表しきれないほどの気持ちで一杯です。

最後の日曜日はみんな集まってくれました。私はロールキャベツとカレーとポテトサラダ、鶏肉の照り焼きを振る舞った。

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私は甥っ子のDavidと一曲歌を歌い、他にも歌を歌ったりギターを弾く孫たちがその後も少し歌を披露。

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この写真のみんなはステイ先のお父さんお母さんの孫たち。私の甥っ子たちにあたりますが、この写真の一番左の少年はKevinと言って、知的障がいがあります。ふだんはロハにある彼のお母さんの家に住んでいますが、ここヤンササで過ごすのが大のお気に入りで最近はほとんど私が住む家で、ここの家族と過ごしていました。彼に対しても、いつも暖かい雰囲気でステイ先の家族みんなが気に掛け、声を掛け、彼にちょっかいを出し、Kevinもそれがお気に入りでヤンササが大好き。私も家族に混じって、彼にちょっかいを出したり、Kevinも私のことをちゃんと認識してくれて、私が市役所から帰ってくると少しご機嫌になっていたり、今朝はヤンササからビデオ電話を掛けて来てくれたりもしました。彼を暖かくみんなで見守るステイ先の雰囲気も私は大好きでした。

最終報告会の日に私にお化粧をしてくれたお姉ちゃんたち。私の左がPatricia、右がcuma。

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Patriciaの家族と。

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最後のチョコラテ挽き。

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ここでもKevinはみんなに混じってお手伝い。

2年間彼らの家族の一員として過ごすことができて幸せでした。そしてこれからもこのふわっとした居心地のいい関係性は距離が離れても続いていくような、そんなかんじな気がします。

 

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また、最後の6か月を同じ部署で過ごしたパオラとディエゴ、このふたりにも沢山助けてもらいました。彼らのあたたかさもとても居心地がよかったです。パオラもディエゴも日本語で挨拶してくれたり、特にディエゴとは活動で外出する機会も多く、いろいろな話もしたし、たくさんのことを教えてもらったし、他にもいくつか日本語を覚えてくれたし、なかなか信頼できるエクアドル人に巡り合うことは難しい中、半年という短い時間の中でも彼の人間性には信頼を置くことができました。彼と一緒に働くことができてこれもまた幸せでした。

また、最終的なカウンターパート、オルランドとは不思議な時間の過ごし方をした気がしますが、最初の3か月と最後の6か月、やはり彼と働くことで私が考えていることなどを素直に伝えられることもできたし、またそれを彼はちゃんと聞いてくれて、少し考えがぶつかったこともありましたが、それもまた良い思い出です。何より外国人の私に親切に丁寧に接し続けてくれて、気にかけてくれていました。

 

あとは、私が任地を出る3日前に舞い込んだ、悲しいお知らせもありました。以前一緒に部署で働いていた元同僚が亡くなったというニュースでした。

以前ブログでも紹介したことがある「マルセロ」という人物。私が任地に着任したときから同じ部署で働く同僚として1年間ほど一緒に時間を過ごしました。彼はごみ収集車のうしろで各家庭からのごみを収集車に回収していく仕事を担当していました。暑い日も雨の日も走り抜けなければいけない大変な仕事。私はそんな仕事を担当する彼らのことを尊敬していたし、彼らもまた外国人の私に優しく接してくれていました。その中でもマルセロはとても親切で、彼の乗るごみ収集車に乗らせてもらうことが多かったので仲良くしてもらって、彼もまた私との話を楽しんでくれていたように見えました。任地でのお祭りに一緒に行ったこともあったなぁ。彼は唯一私にスペイン語ネーム(彼が付けたのは「ミランダ」)と付けてきた人物でもありました。

彼が市役所での契約を終えてからは、彼の奥さんが部署で働くことになって、この奥さん経由で今年に入ってから彼が体調を崩し、療養しなければいけない状態にあるということを私達は聞いていました。直接彼とも連絡を取ったりもしていて、原因は心臓に何らかの問題を抱えていたこととのことでした。本当は先進国で手術するのが一番いいということでしたが、もちろん経済的な問題もあり、その中でもエクアドル国内でできることするために、キトやクエンカ、ロハに行ったりして様々な検査や方法があるのを探していたように思います。

ちょうど3週間ほど前に久しぶりにメールが届き、その時はクエンカの親戚の家で療養しているとのことでしたが、そのあとはキトかグアヤキルの病院に行かなければいけないというようなことを言っていて、6月24日夜、別件で同僚のディエゴと連絡を取った時にディエゴがグアヤキルの病院でマルセロが亡くなったというお知らせを教えてくれました。エクアドルでのお葬式は3日間続きますが、なんとか私が任地を去るまでに彼の体は任地に到着し、無事に任地最終日の夕方、オルランドや同僚たちとお葬式に顔を出すこともできました。ちょうど他のイベントに顔を出したり、いろいろな人とお別れもしなければいけなかったのでバタバタする中で、少しだけ参加させてもらったかんじでしたが、奥さんが、マルセロが私のことも気にかけてくれていて、私に挨拶をしておいてと言っていたということを話してくれました。棺の扉は閉まっていましたが、私に顔を見せてくれるために開けてくれて、最後に顔を見ることもできました。彼の冥福を心から祈っています。

お葬式に顔を出してからは、私はステイ先の家族と時間を過ごすことに。

近くのお店で軽く乾杯。

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Davidです。日本に恋する16歳。でも最近は彼女ができて、彼女ができたその日に私に「カノジョガデキマシタ」と日本語で報告してくれました。ふふふ。

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家に帰ってからは、余っていた日本酒でみんなで乾杯。

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家族が寝ても、お姉ちゃん2人と朝の5時まで飲み明かしながら、私は部屋とを行ったり来たりしてお片付けと掃除に追われていました。

私の部屋になだれ込み、お姉さん2人。そして一番上の姉Patriciaは私のベットで爆睡。

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そして任地出発の朝、市役所の部署に挨拶しに行って、ギリギリ家に戻り、最終の片付けと掃除、朝ごはんをかき込むように食べ、みんなと写真を撮って、バスターミナルへ。

お父さんとお母さん。お父さんのお名前はJulbio(フルビオ)、お母さんのお名前はMeche(メチェ)。仲良しの可愛らしいご夫婦です。

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お兄ちゃん2人。DarwinとRene。二人も私を妹のように面倒を見てくれました。

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そして泣きながらもバタバタと家を出て、ターミナルまでお姉ちゃんたちに送ってもらう中で、最後の景色かと思うとやはり涙が止まりませんでした。

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ターミナルでは市役所の同僚2人、そして付いてきてくれた家族と最後まで別れを惜しみ、バスがヤンササを出る時は感慨深いものがありました。ヤンササで出会ったすべての人、ものに感謝しています。

 

初めて首都からヤンササに移動してきたとき、オルランドと市役所の運転手さんとロハの空港から任地に向かいました。夜も更け、山をいくつも越えて、少し大きな街に着いて、心の中で「あ、ここかな、やっと着いたか」と思うと、また通り過ぎて、小さな小さなコミュニティしか通り過ぎなくなって、外も暗く、何も見えず、どんな所に連れていかれるのだろう…と心の中は穏やかではなかったことを今でもはっきりと覚えています。着いた先は思っていたよりも大きそうな街で、夜も10時を過ぎていたのに、そのときはステイ先のお父さんお母さん、お兄ちゃん、そしてお父さんお母さんの孫にあたる4人とも、みんな起きてくれていて、サッカーの試合中継を見ているところに私が到着しました。お母さんが「疲れたでしょ」とその場で作って出してくれたフルーツジュースはお砂糖が入っていないフルーツの甘さだけのおいしいおいしいジュースで、お腹も空いていなく、飲み物も飲みたくなかった私の疲れた体に染み渡ったこともしっかり覚えています。

くじ引きのようにこの街に来ることになって、首都から一番遠い、山をいくつも超えて着いた先の小さなアマゾンの街、こんなところで2年もやっていけるのかと不安しかなかったけれど、ステイ先の家族の暖かさとおいしいごはんと、自然いっぱいの素敵なのどかな景色とよくわからないエクアドル人の陽気さに魅了されながら、たくさんあった嫌なことも含め、気が付くとあっという間に2年が過ぎていました。たくさんの人に出会い、みんなに成長させてもらいました。ありがとう、ヤンササ。またいつか再会できるといいなと思います。¡¡¡Hasta pronto!!!

仲良くしてくれた同僚たち。

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最終処分場の同僚たち。

 

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最後に部署の同僚が開いてくれた送別会。普段はこういう会に来ない同僚も参加してくれてうれしかったな~。

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最後に市役所主催で開かれた音楽イベントにも参加。文化振興課の同僚たちと。

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知り合いの家族と。

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私の膝に寝転ぶAdrian。彼もステイ先の孫。よく一緒にお昼ごはんを食べながら遊びました。お兄ちゃんのDavidのように彼も日本語の単語を少しずつ覚えていたところ。猫、犬、クモ、クマなどを私と一緒に覚えました。彼とのお別れもまた一段さみしいものがあり、彼の成長をこれから近くで見れないのは悲しいな~。いつか大人になった彼に会えるといいなと思います。

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キトからの国内便。プロペラ機なことも多く、揺れる飛行機で何度首都と往復したことか。それでもエクアドル国内の飛行機は想像よりもずっとしっかり、ちゃんとしていました。

キトのJCA事務所に貼られた隊員マップ。私はずっと南のほう。

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今はキトで、数日は連絡所を起点に過ごします。来週はバタバタと銀行口座の閉設、大使館と外務省への表敬訪問、事務手続きなどを済ませ、エクアドル時間の7月3日深夜に、エクアドルからアメリカ経由で日本へ帰国します。

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