待望の!

これまで隊員がいる一番近い隣の県の都市ロハまで山を越え3時間ほど、地方の田舎で一人ひっそり暮らしてきた私ですが、ついに、ついに、先日同じ県内のサモラ市に新隊員さんが到着しました。サモラに隊員が来ると聞いたのが3ヵ月ほど前、それから首を長くして待っていました。順番で言うと、ロハ⇒(1.5H)⇒サモラ⇒(1.5H)⇒ヤンササというかんじの流れでの移動になるので、サモラはロハとの中間地点。任地があるサモラ・チンチペ県の入り口の街、県の州都(県の中にいくつかある州の中心、県庁が置かれている州)です。でもこれで任地から1時間ちょっとのところにも仲間ができました。私が到着する前にサモラには一人隊員がいたときがあったそうなのですが、私が到着した時にはすでに帰国されてしまっていたので、私にとってはという点ではじめての同県内の隊員仲間です。
ということで、来週は1週間首都に行くし、早めに会いたいな~と思い立ち、今日サモラでお会いすることができました。いろいろお話できたのでよかったし、たのしかったな~。ロハまでは日帰りだとバタバタするし、なんだかんだ往復のバス代を考えると、日帰りするのはもったいないのですが、サモラだったら現地のみんなもそうしているように、ちょっと行って帰ってこれる距離で、ほんとに気軽に会いにいくことができます。とってもうれしい。

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サモラのcentroの教会。

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となりに県庁。

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前にステイ先の家族とその友達にサモラのお祭りに連れて行ってもらったときに撮ったもの。暗いけど私が写ってます。笑

 

さてさて、話は変わって、今日はカルロスという人物について。

市役所の同僚にカルロスという人がいます。彼は私の部署の向かいの部屋にいるので、よく会うし、仕事してるのかと思いきや、だいたいはyoutubeを見ていることが多いので、用事がなくても行って挨拶したり話したりすることができます。市役所の中には日本語の挨拶を知ろうとしてくれて、がんばって一言二言覚えて、会うと使ってくれる人が数人いますが、彼もその一人。でもレベルはこの数人のうちでは最上級。例えば、「おはよう」と「ありがとう」は「おはようございます」「ありがとうございます」を使ってくれます。「ございます」という言い回しを見ないでスラスラ言える人は今のところ、このカルロスだけです。スペイン語で朝の挨拶をして少し話した後の去り際はだいたい「Que tenga un buen día!」(良い一日を)という決めゼリフがありますが、それも私が前に教えて今ではスラスラと「どうぞ良い一日を」と使いこなします。もちろん使える場面は私とだけですが。
今日朝、道を歩いていたら、カルロスが道の反対側に。「あ!」と思い、彼ならきっと聞き分けてくれるだろうという想定で、少し大きめの声で「おはようございます」と向こう側に向かって叫ぶと、予想通り、パッと反応。任地で叫んだ日本語が通じました。「よし!」と心の中でガッツポーズ。これだけでうれしくなる、任地ではそんな日常です。同じ部署の同僚たちとカルロス。

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もちろん上記の例はまったく日本語を知らなかった人、特に日本語にすごい思い入れがある人ではない場合で、一人例外はいます。それはステイ先の孫の一人、14歳のDavid。これまでも何回かブログにも書いていますが、彼はひらがなとカタカナは書けるし、読めるし、挨拶もできます。今漢字を勉強してるそうだけど、やっぱり数が多いし、難しいみたい。彼は5人兄弟の4番目。上の3人のお兄ちゃんは大学生、末っ子は今度小学生。お兄ちゃんたちは勉強できる風だったので勝手に彼もそうなんだろうなと思っていたら、そうじゃなく末っ子はまだこれからだけど、Davidだけはいつも試験を落として補習を受けているとのことでした。でも会うと私に「これから日本語の勉強するよ」とか「ギター弾きたい」とか言って日本語は積極的に勉強してるから、おもしろいです。この前、「今年はエクアドルと日本が外交関係100周年だからそのお祭りがキトであるんだよ」(←スペイン語で)という話をしたら、彼から「ホントに~?」(←日本語で)と返ってきました。自然に出ている感じがやはり勉強してるんだなと感じさせます。彼はギターを弾いて、歌も歌いますが、音楽と日本のすべてのことに魅了されている、そんなアーティスティックなかんじです。今から「僕はいつか日本に行って日本で働くんだ」と言っている姿は、キラキラしていて素直でいいな~と思います。いつか実現するといいね。

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Davidの家族(女性がステイ先の長女で5人息子です。水色のシャツを着ているお父さんの前にしゃがんでいるのが日本大好きボーイのDavid。)

ここまでの話とはまったく対照的な話ですが、最近のニュース。家の斜め前にステイ先の次女の嫁ぎ先のお家があります。ここの次男とステイ先の娘は夫婦ですが、この旦那さんのおじいさんが先日亡くなりました。このおじいさんは90歳くらいで、アルツハイマー病を患っていましたが、体は元気で、上品にいつも家の周りを犬とお散歩していました。この前の土日、私がロハに出かけていて、日曜の夜にステイ先に戻ると、なんだか家の前に大きなテントが。家の中からはまぶしいくらいの真っ白なライトが照らされています。このように家の前に大きなテントを出して、椅子を並べて、何人か訪問客がポツポツと座り、真っ白いライト。これがここではお葬式の目印。お葬式を出している様子は何回か見たことがあるので、「あ、誰か亡くなったんだ」ということがすぐわかりましたが、ここのお家で亡くなると言ったら、その90歳のおじいさんだろうか?でも元気そうだったし、この前も歩いてたからな~、誰だろう…と思いつつ家に帰り、ステイ先の家族に聞くとやはりそのおじいさんとのこと。私自身も少し信じられないといったかんじで驚きました。私でもこうだから、きっと家族にとっては相当な衝撃だったと思います。

ここではひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんまで生きていることが珍しくありません。今回亡くなったおじいさんも多くのひ孫たちがいました。おそらく一番はみんな若くして子どもを産んでいるからかなとも思いますが、割とエクアドルの人たちもみんな長生きです。現に今回亡くなったおじいちゃんも90歳前後だし、ステイ先のお母さんのお母さんも90歳くらいだけど、元気です。日本と同じで、エクアドルも昔と比較したら今はかなり食べ物も良くなっているのだとは思いますが、もともとの食習慣が日本に比べたらお砂糖も油も摂るし、野菜をあまり食べないし、そういう食生活の中でも日本に引けを取らないくらいの人生をみんな生きていると思うと、総じてエクアドルの人たちはもともとの基礎体力が強いというか、いろいろな意味で生きる力が強いと思います。あとはなんだろう…対人関係のストレスとかも日本人に比べたらほぼないと思うので、そういう点ももしかすると関係しているかもしれません。


先週はおおむね部署内で中間報告会用の発表準備をしつつ、最終処分場に行って栽培作業。この前はトウモロコシ、そして数日前はカカオを。私が処分場で栽培作業をしようと言い出した時期と2代目のカウンターパート・マヌエルが処分場の責任者になった時期がちょうど重なり、彼は農業大好きなので、今のところ協力して作業ができています。カカオの植え方もわかりやすく教えてくれて、私はエクアドルでカカオを植えれるようになりました。

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処分場で働く同僚・Mateo(マテオ)。生まれたばかりの小鳥を見せに来てくれる。

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バッタも見せに来てくれる。

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処分場で働く何人かの仲間とエクアドル日本祭りの一環で必要だったので撮ってもらいました。

そしてそして、1週間後、ついに8月26日がエクアドルを日本外交樹立100周年記念日です。エクアドル時間25日26日の土日昼間にDavidにも話したように、キトで100周年を祝うエクアドル×日本の大きなお祭りが行われます。それにあわせて今回の私たちの中間報告会も設定され、報告会翌日から私達ボランティアも公務の一環でお祭りの運営のお手伝いをします。楽器も演奏できる場があるとかで、一応そちらもみんなで準備中。日本からさだまさしさんも来ます。またその様子は中間報告会とあわせて。
果たしてどんなかんじになるのか、たのしみです。まずは中間報告を乗り越えられるよう、がんばります。

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ステイ先の飼っている猫にこの前子どもが産まれました。お母さんと同じ模様。