習慣の違い

 

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市役所で行われていなかった分別回収をするべく、注文していた分別BOX。これは全体の大きいごみ箱。各階に置いてたくさんの住民の人に見てもらおうと前のカウンターパート・オルランドと決めた箱です。遅れに遅れながらもやっとこの前届いて、同僚に急かされながらおとといから少しずつ各部署への導入作業に取り掛かりました。その作業をする中で、習慣の違いから進め方や考え方が違って、来週行くのが嫌だなぁと思っている週末です。

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これまで各個人の机の横に置いていた小さなごみ箱(分別なし)を部屋の一か所にまとめてシールで3色に分けて各部署でも分別して捨てようというイメージで、同僚とも話していたんだけど、結局いざうちの部署でやってみたり、他の部署に説明しに行ったら、自分の机の横のごみ箱は動かしたくない(立ちあがってたったの5歩の場所に捨てに行くのが面倒だから移動させるのは嫌だとのこと)とか、これは自分で買ったごみ箱だから自分の好きなように使わせてくれとか、いろいろ言われてしまい、私のイメージしていたものとは120%違う方向に進んでいます。ごみはごみ箱があるところに捨てに行くのが日本人的な感覚ですが、話を聞いていると「いかに自分たちが楽に捨てるか」のほうが優先されているかんじです。もちろん分別がうまくいく方向であれば私自身のイメージとは違う方向でも全然良いのですが、そうではないので、今はまだ分別BOXを置く意味を成していません。でもだからと言ってこっちの考えを押し付けることはできないし、それを主張したり、押し通して納得させるほどの語学力もまだなく、ほんとはカウンターパートとか他の同僚と同じイメージを共有したうえで、彼らと回るのが語学面でも理想的ですが、突然休んだり、マヌエルはマヌエルで自分の仕事に一杯一杯というかんじで忙しそうに出かけていくので、先週は1人で取り掛かるという以外に選択肢もなく。それで結局みんなの良いように事が運んでいって、何だこれ…というかんじもするのですが、とりあえず取り掛かれ的な雰囲気があるので、やってみています。今回の主旨とは異なるけど、他の部署に行って、時間を忘れていろいろな人と話せる時間もそれはそれでたのしいから、これからもみんなと他愛のない話をするこういう時間は大切にしたいな~とも思っています。でもやはり来週からはちゃんとカウンターパートに確認してもらえるように働きかけたいけどどうしようかな~というかんじです。

そんなこんなで、特に市役所で仕事が絡むといろいろ習慣の違いを感じています。例えば人遣いの荒さ。私にまったく関係ないことで、この書類をどこどこに持っていけとか、あれを借りてきてとか、あそこに行ってとか、顎でこっち来いと呼ばれるのは普通。あとは人の物遣いも荒い。使われて嫌なものは持って行っていないので使われること自体はいいとしてもお金がからむと私も嫌な時もあって、例えば携帯電話。隊員はJICAから国内で使用可能な携帯電話を貸与されています。これは緊急用だから常に持ち歩いて、常に通話可能な状態にチャージしておく必要があります。チャージというのは、日本のsuicaみたいにお金を入れておくこと。このチャージがなくなったら自分でまたチャージしなければいけません。まぁそんなにたくさんは減っていかないのですが、この電話から相手に掛けるときはこのチャージが使われます。自分のチャージを減らしたくないのか、なんかエクアドル国内の通信会社同士の問題で私の携帯から掛けた方が都合がいいとうまく丸め込まれ、結局言葉の力負けをして貸す。あとはみんなあまり物を持ち歩きません。特に文房具。いつもボールペンがないってなって、貸します。で、一番はここ。感謝して返すという行動があれば私も毎日笑顔で貸すけど、日本に比べるとそういう場面が少ない。使ったらそのまま机の上に無造作に置かれてたり、そのまま自分のもののようにずっと持ち歩いたり。小さなことなんだけど、毎日続くと「またか…」となります。まぁタイトルの通り習慣の違いなので流すしかありません。それに向こうに悪気は一切ないです。あとは、部署内で、住民がごみ箱を買いに来た時に手伝えるところは手伝っているのですが、私が住民の前で何か言うと、答えながらもエクアドル人同士で「彼女は日本人。だからまだ言葉がよく理解できないのよ。」と話しています。でも「彼女は日本人で、今スペイン語を勉強しているんだよ。」と言ってくれるときもあり、そっちの言い方をしてくれるならありがたいんだけど、前者の言い方をされるのは私は好きではありません。わからなくて何が悪いんだ、じゃぁあなたは日本語わかるの?ってめちゃくちゃ早い日本語で言い返してやろうかと思ってしまいます。日本だったら「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるくらい、他人と接するときには相手の都合を思いやって一定常識の範囲内で接します。それにそうじゃない接し方をされたら少しムッとするのが日本人だと思います。でもここの人は基本自分の言いたいこと、やりたいこと、しなければならないこと、思ったことがすべて最優先。何か頼まれたときに、私が今は忙しい、どうしても今なの?と言っても、今やってほしいとさえぎられることもある。頼むんだったら相手の都合を優先してほしいところですが、ほんとに悪気無くまったく気にしてない様子。しかも習慣の違いで、私は良いと思ってやったことが全然違ったりとか、しなくていいと思ったことをやれと言われたりとか、いろいろ読めないことがたくさん。ダイレクトに強めに指図することが普通なので、結局は力関係、見てると大人から子供、偉い人から部下にと、日本だったら感じ悪いと受け取られるような指図の仕方もします。子供のころから大人にそうやって指図されてたらそれが当たり前になるんだろうな~なんて感じます。やっぱりこれまで何十年もやってきた習慣を変えるのは難しい、というか結局はその人の価値観を変えないといけないので、そりゃぁ難しいです。ほぼ不可能に近いのではないかと思ってしまうほど。不可能と言ってしまうと、私の意味…ってなるけど、でもほんとに、99%不可能かもしれないです。まぁでも変わらなくても伝えられればいいのかな、残りの1%でどれだけ伝えられるのかというかんじです。

あ、でもエクアドル人を嫌いになったとかそういう話ではなくて、みんな人柄はすてきです。とっても友好的で、握手付きの挨拶をたくさんするし、毎回最近どう?って聞き合う。そういう部分では相手を気遣うという文化が強くあって、良いなぁと思うこともたくさんあります。通り過ぎるだけでみんな私の名前を呼んでくれて、それだけでありがたいことです。でも小さいころから培われる基本的な国民性がやはり違うので、日本感覚で良いと思うことが彼らにとっては変だったり意味不明だったりおかしかったり。しかも私は1人日本人で、圧倒的少数派。言葉だってまだまだ拙い。そりゃ、向こうからしたら余計に「?」って思うこともたくさんあるんだろうなとは思います。ということで、異文化って難しいと改めて感じる1週間でした。でもだからこそ異文化を持ってる人の強みもあると感じます。うちの部署の運転手さん・サロモンとだけは朝挨拶するときに握手しながらお辞儀をし合っています。それだけでたのしいし、日本人でよかったとも感じることができます。私は私で日本人らしいすてきなところを大切にしつつ、ここエクアドル・ヤンササの良いところもたくさん吸収して、もっともっとみんなと仲良くなれたらいいな~と思っている日々です。