近況

さて、帰国まであと約70日ほどになったようです。

最近も前回に書いたように、小学生7年生への社会科見学の活動、その準備のお手伝いと手続き、事後処理、同僚とのパトロール、大掃除イベントの調整などで時間を過ごしています。

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ここのクラスの先生はカメラを持っていて、この日の様子を写真におさめ、学校のFacebookページに載せてくれていました。翌日のアンケート実施時にもみんなと写真を撮ってくれました。

3回目の掃除イベント。

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途中のパンとコーラ休憩タイム。途中の差入れタイムもエクアドルでは絶対に欠かせないスタイル。

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途中で市役所の同僚が大きな大きな蛇の死骸を見つけ、みんなで見守る。

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この同僚は市役所の評議員さんで、市役所の中でも割と重要なポストです。彼が今回参加してくれたのは大きかったと思います。

4月19日金曜日はエクアドルは祝日でした。「セマナサンタ」というキリスト教関連の特別な日。英語で言うイースター、キリストの復活祭です。キリストが生き返った日ということらしい。

食べ物という点では、「ファネスカ」というスープ(豆や野菜などをたくさん煮込んだスープ)を食べたり、19日の翌日には断食をしたりなどするようです。断食に関しては人それぞれ。しっかりやっている人はやっているけど、周りに聞いた印象はみんなバラバラというかんじの印象。もちろん任地にもカトリックだけではなく、他にもいろいろな宗教を持っている人もいます。

「ファネスカ」。

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金曜日が祝日で、土曜日曜と3連休のため、今回はテナという街とリオバンバという街にあそびに行きました。

テナという街は任地ヤンササよりもさらに北、首都には近くなり、ナポ県にあります。任地同様オリエンテのアマゾン気候に属する地域です。任地よりもさらに湿気が多いかんじでした。

ナポ県の位置。

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キトに近いだけあり、観光業が少し盛んなので、アマゾンツアーがあったり。ということで、1日参加。本当は村のコミュニティに夜泊まるツアーも組み込もうと思ったのですが、途中から雨が激しくなり、体も冷えてしまったので、やめて1日のみにしました。

カノアでの川(ナポ川)渡りはとても気持ち良かったです。

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任地同様のジャングル感も。

動物保護区。

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バクがいた。

カカオを収穫しています。

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先に進むと小さな湖が、ガイドさんがお肉を投げると、なんとワニが出没。

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今は雨季なので、大雨に降られましたが、それもそれであり。

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夜、街を散策していると、セマナサンタの行進が。

キリストが磔にされるまでを演じながら、みんなろうそくを持って行進。やはり宗教心は偉大です。

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夜ごはん。隊員にも人気のエクアドル料理。スープはほんとにラーメンのスープみたいです。

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でも今回テナに行ってみて、オリエンテだったらやはり任地が一番過ごしやすいのかもしれないという結果にもなりました。オリエンテの中でもテナやマカスにはカビが生えますが、任地では生えたことないし、雨は多いけれど、あわせてさわやかな気候でもあります。

 そして翌日はテナからバスで5時間ほど、今度はリオバンバという街に。ここはシエラの街。標高もぐんと上がり、気候も寒いです。

リオバンバはシエラの街の中ではとっても大きく、エクアドル全体で見ても、国のかなり中心に位置する都市なので、ハブ的な街です。

山岳地帯にも近いので、インディヘナの数も多く、夜歩いていると、そしてレストランに入っても、インディヘナの子どもたちの物乞いが多かったのもとても印象的でした。任地よりかはるかに貧富の差を感じます。歩いていると「中国人が来た!」とつぶやきながら、インディヘナの子どもや大人(たいていは家族で居る)が私たちに声を掛けてきます。そしてお金をくれという行為や彼らが売っているガムや飴を買えと言ってきます。そしてそれらには応じずに足早に歩くと、それだけで悪口を言われる。なんだかな…というかんじですが、これが貧富の差なのでしょうか。

任地や任地周辺の街ではここまでのことはないので、やはりインディヘナが多い山岳地帯での大都市周辺とその周りの村との貧困差問題は大きいということなのかなとも思います。

任地では、たまに市役所に小学校1年生くらいの子が学校が終わった午後に、カーニャ(caña=サトウキビ)などを売りに来るという場面は多々あります。これも児童労働の一種になります。この前も首都キト周辺の物売りへの児童労働に関してはニュースで取り上げられていました。とまぁいろいろな場面があり、これもまたここの日常であり、任地のみんなにとっては当たり前のことなのです。

 夜のリオバンバ。

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ここは観光用の電車も通っています。

そして帰りはまたまた長旅のため、日曜早朝にリオバンバを出て、4時間かけて、オリエンテの街マカスへ移動。この途中にはSangay(サンガイ)国立公園の横を通る国道になっており、天気は良くなかったですが風景は壮大。f:id:reikomiyahara:20190425020545j:plain

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そしてマカスに到着後はそのまま南下して任地へ帰還。12時間の旅になりました。やはりいつも思うけど、こうして国内を移動するだけでここまで違う気候や風景、植物が見れるのは本当におもしろいです。エクアドルの魅力。

 任地では任期終盤戦になって、日本語を学びたいという男の子に出会い(はじめはこの子のお父さんとバスターミナルで知り合い、そこから話が始まったもの)、市役所の部署で週に2日教えることになりました。

活動も最後の方になってきたので、どこまで何ができるかわかりませんが、できるだけ最後まで任地の人々に関わっていこうと思います。

そして、先日の市長選ですが、当選した人物は「Matrin Jimenez」という人物。レインボーカラーをイメージカラーとした、インディヘナ民族からの支持を多く得る政党から出馬した人物でした。

私は正直彼が当選するとは思っていなくて、また、家族も支持する人物ではなかったので、結果のラジオを家で聞いていたときは少し衝撃。この結果放送は、各投票所ごとに票数が発表されるため、ラジオを聞きながら、だいたい足し算していって、勝っているか負けているかを予想しながらというかんじでした。

投票日翌日、家族はもちろん、市役所の同僚たちも選挙に関わっていた人々は本当にみんな感情が分かりやすく、特に負けてしまった候補者を応援していた人々は少し元気がない、そんな静かな雰囲気に包まれていました。

正直エクアドルの選挙、政治は日本以上にお金のニオイがプンプンします。日本よりわかりやすくて、市民に直結しているというだけかもしれないけど、それでも格が違います。なので、少なからずみんなそういう問題をはらみながらも選挙活動を行っているという想像は難しくありません。今回当選した人物もその一人。彼は本職は獣医さんなので、田舎で酪農を営む人々も候補者に巻き込んでいたようですが、農村地域の住民たちに莫大な数の牛を贈呈したり、家畜用の注射を贈呈したり、ということがあったようです。それによりさらに農村地域の票が彼らに集まったと言うことのようです。それがふつうに市役所で話され、当選したからにはそれを事実として受け入れるエクアドル人たち。この国にいると、これはよく隊員同士でも話しますが、改めて「お金で何でも解決できてしまう、お金がある人が一番強い」「権力社会」という社会構造をとっても感じるし、それが市民の生活に直結していることを強く感じます。だからみんなも市長選に情熱を持って関わるのです。一番は彼ら自身の利益のために。

市長就任式は5月14日。この日で最後になってしまう同僚も多いです。こうやって、市長が変わることで、市役所のメンバーもその派閥勢に一新する。メンバーより、それもエクアドルでは普通のことです。私にとっては新たに入ってくる新市長派閥のメンバーより、現市長派閥のメンバーのほうがより長く一緒に顔を合わせていたことになるので、少し寂しい気もしますが仕方ありません。ということで、ボランティアは帰国前に任地の配属先で最終報告会を行いますが、私は通常だと公式には6月半ばになりそう、でもその時期にはすでに新たな市長勢が到着し、わりとバタバタし、知っている顔も少なくなっているのでは…という思いから、現市長政権の間に一度非公式に最終報告会を設定することにしています。もちろん6月にあくまでも正式には行います。エクアドルなので、どうなるかはわかりませんがまぁそんなかんじで準備出来たらいいなと考えています。引き続き、残りも健康安全第一で過ごします。

ではまた。

 

 

新たな風の続き。

新たな風に続く動きも出てきています。私たちが管理する廃棄物管理課のFacebookページに新たな情報が入り、任地でタトゥーのお店を経営する若者が清掃活動を計画しているとのこと。

そんなこんなで彼らにも協力することになり、そして、先日立ち上がった「Eco Luciérnaga」チームにも協力要請をし、一緒になって清掃活動を行うことに。

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前回の川岸はポイ捨てが多いだけあり、なかなか人目につかない場所でしたが、今回は住宅地も抜けて。途中、私たちを見ていた市民が2組加わってくれるといううれしい流れまで。

出発時。

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みんながんばっています。

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手伝ったくれたちびっこ2人組。相当がんばっていました。

ひとりは市役所の近くの学校の子で、私のことを知ってくれていました。その学校の裏側に捨てられているごみを拾いながら、学校のみんなも捨ててると少し心配そうに私に言ってきたので、君がみんなに少しずつ注意することもできるけど、できそう?って話したら、がんばってみると答えてくれました。がんばれ。

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そして市役所の部署で行われた「Eco Luciérnaga」ミーティング。エクアドルに来て、自発的な会議というもの(誰かが呼びかけて、何時にここで集まろうという企画の会議)をはじめて目にしました。まぁ30分ほど遅れての開始でしたが。

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この中には、私たちが清掃活動をするのも大切だけど、市民に私たちが清掃活動をしてくれるからごみをポイ捨てしてもいいというイメージを付けてはいけない、同時にどうすればみんながごみをポイ捨てしなくなるか考えないといけないという意見まで持っている子もいました。さすがにこの意見が出ることは期待していなかったので、本当に驚きました。なんて心強い。

彼らのメンバーは主に大学生。任地には大学がないので、ふだんは他の街に住んでおり、週末や連休、長期休暇を利用しての活動になっていくと思います。それが少し心配なところでもあるけど、この前のタトゥーグループの若者たちはいつも任地にいるっぽいので、そういう部分とうまくコラボしながら継続性を見ていきたいと思います。

清掃活動に関してもこれまでの2回、開始予定時間の1時間~1時間半後に始まるというのが常。もちろん発起人はそれぞれ遅くても15分後までには到着してくれるので良いほうかと思っています。

みんな「Hora Ecuatoriana」(エクアドル時間)と言って、待っている方は「まったく…」という文句も笑いながら口に出しますが、それでも特に変える必要性を彼らの中には感じていないのがとても伝わってくるので、ここはこれからもこういうものなんだろうなと思います。

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みんなでお昼ごはん。この炊き出しもリーダーの友人がボランティアで無償で出してくれました。こういうところはほんとにすごい、エクアドル人。

私が取ろうと思ったときにはすでに終わってしまっていた鶏肉を、自分の分から私に分けてくれたりと、優しさもうかがえて、うれしかったです。

これからどういう風になっていくか、たのしみです。良い方向性に向かうことを応援しながら、お手伝いできたらいいなと思います。

ちょうどさきほど、第一回で掃除した川岸のチェックに向かいましたが、新たなごみが少し捨てられていました。ディエゴがごみの中の領収証などから捨てた犯人を見つけ、罰金の手続きを取ってくれていますが、これが現実。これらを少しでも広報して、市民の関心を高めていけたらいいなと思います。

 

3月のこの前の首都滞在を利用して、エクアドル大自然が感じられる場所のひとつ、「キロトア湖」という所も訪れたので、少し紹介しておきます。

キトからバスで2時間半ほどのところにラタクンガという街がありますが、キロトワ湖まではこのラタクンガ経由で向かいます。

ここラタクンガにもボランティアが数名おり、彼らにも会ったり、翌日、このラタクンガからキロトア湖までバスで。ラタクンガからはバスで2時間ほど。そこまで遠くないです。

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キロトアの入り口。

キロトア湖は標高がとても高いので、ラタクンガからのバスもどんどん登る、標高が高くなっていくような、道のりでした。

朝ごはん。エクアドルの一般的な朝ごはんです。パンと卵とフルーツと飲み物。

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途中いくつかのコミュニティや街を経由して、到着。途中までは曇っていたので、天気は良くないかな~なんて思いながら、向かいましたが、途中から晴れ間が見え始め、到着時には晴天でした。よかった~。きれいで感動。

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f:id:reikomiyahara:20190329010802j:plain標高が高いだけあり、昼間で太陽も出ていたけど、寒かった。

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コースは出発地点が湖を見下ろす上なので、下までくだって、また登ってくるというもの。しかし4000メートル近いので、登り坂は大変。登りには馬を使いました。この馬を操る現地の人々は、その度に上に上がって下ってというお仕事なので肺活量がすごそう。大変です。この日は日曜日なので子どもも手伝っていました。

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馬に近い少年はここで働く馬遣いの子。横で見守る女の子は観光客の子。見るのはだいぶ慣れたけどこういう貧富の格差、観光地でもたくさん感じます。

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上から湖を見下ろす景色は最高にきれいで、とってもすてきな場所でした。これもまたエクアドルの魅力のひとつに触れることができた日になりました。

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これはラタクンガの近くの大きな街、アンバト。都会でした。

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ロハに似たかんじの都会でした。

新しい風?

4月が始まりました。そして早いものでエクアドル生活も残り100日を切りました。日本では新元号が発表になり、時間は経っていないようで、確実に過ぎているのだなと感じます。新元号発表時は私も日本の生中継動画で発表を見守りました。便利な時代です。

さてさて最近の任地では、とりわけ私の活動に関わる部分において、少し新たな風が吹き始めたかな~と思っています。

まずひとつめ。これは今年に入ってから私がカウンセラーパートのオルランドと進めてきた案件で、学校の授業に社会科見学を導入するというもの。これまで学校に行ったり、その他いろいろなタイミングで学校の中で子どもたちと関わってきました。エクアドルの子ともたちはとっても元気で、時に親切でとても素直でおもしろいのですが、反面、他人を無下に扱うというようなことも見受けられました。細かいことは気にしないという大らかなことなのかもしれないけど、それでももっと相手の気持ちを考えたり、感謝の気持ちを持ったり、普段見えないところを知ることで発見したり、考えたりする機会を創ることはできるのではと、私からオルランドに相談して、彼が賛成してくれて話が進んだ案件。もちろん私たちの仕事の広報にもつながります。見学先は、最終処分場と水道浄化施設。最終処分場は私たちの部署の管轄ですが、水道施設は市役所の水道管理課の管轄。ということで、はじめて部署を超えて協力を要請しての活動。水道施設を入れたのには、もちろん水とごみという一番身近な環境問題につながること、また、任地では道のポイ捨てが多いと特に雨季の雨が一度にたくさん降る時期は、ごみが道の排水溝につまり、排水ができなくなるという事象にもつながっているため、合わせて紹介できたらいいのではと考えました。この手続きには、まず市長の許可申請、その後教育委員会への許可申請、そして教育委員会が許可してくれたら、各学校に通達文書と交通手段となる地元バス会社への通達文書、そのバス手配のために市役所の会計課へお金の申請などなど、それぞれに文書作成が必要になりますが、この部分ではオルランドとともに部署にいる秘書の女性パオラがたくさん協力してくれて、各文書作成を進めてくれました。そしてなんとか迎えた初日。今回のこの社会科見学は市内の中心部小学校5校の7年生の子どもたちが対象。ふだんはない外でのアクティビティにみんな大興奮で、元気いっぱい。たくさん学んでとは言わないので、何かひとつでも彼らの記憶に残るものがあればいいと思います。

水道施設にて。私はこちらをこの水道課の同僚と担当。

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一通りのお話が終わると脇に生えるグアヤバという果実を取って食べるのに夢中な子どもたち。食べ終わると残りはポンポン下に捨てるのですが、生ごみは肥料になるからまったく問題なし。でも改めてこうやってポンポン下に捨てるのが習慣にあったら、それがプラスチックか、肥料になるものなのかをポンポン下に捨てる前に考えて気にするという習慣付けの練習が必要なのかなとも感じました。

処分場。こちらはオルランドの担当。

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皆が見下ろす先は、埋立地エクアドルは日本のように焼却ではないので、リサイクル不可のものはそのまま埋めるだけ。もちろんしっかりとした素材のシートで覆い、汚水対策をして、砂をかけます。これは本当にちゃんとできているほうで、他の街ではただただ野ざらしにどんどん捨てて、砂などもかけず、風が吹いたら飛んで行ってしまうというような管理を行う街もたまに見受けられます。

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いつか処分場のほうにも付いていこうと思います。

そして週明け、子どもたちにアンケートを実施。f:id:reikomiyahara:20190402065538j:plain

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けっこうしっかり書いてくれる子も多くて安心。

中には下に私宛にメッセージを書いてくれていたりもしました。

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60人中1人、顔文字とともにお返事をくれた子も。こういう創造性は私は大好きです。

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この活動は今のところ5月中旬まで続く予定。これから嫌なことも出てくるかもしれないけど、まずは予定している回をちゃんと終えられるといいなと思います。

そしてふたつめ。なんと、任地で若者たちによるボランティア清掃活動グループが立ち上がりました。この企画には特段私は企画者として関わってきた訳ではありません。フランスのパリに清掃ボランティア活動をする日本人グループ「Green Bird」という団体があるのですが、この団体の活動について、以前2018年の6月にキトで行われた環境部会の中で、それぞれ参加してもらったエクアドル人同僚たちにこの事例を紹介しました。そのときの紹介資料を部署にいる同僚のディエゴにも見せていて、彼はそのビデオを見てからこういう活動に関心をもっている様子が見えました。ここ2月3月は市のお祭りやカルナバルが続き、ブログにも書いたように、私たちの部署でごみで荒れ果てたお祭り会場の清掃活動を行う中、市民のボランティアグループなどを設立できたらいいよねという意見も出ていました。そんな中、ある日ディエゴが、有志の若者たちがごみ拾い活動を始めるかもしれないらしいという動きを聞きつけ、市役所の私たちの部署としても協力しよう!となり、関われることになったもの。なので、本当に自然発生的にできあがったものです。すごいすごい。感動しました。何かが変わっていくというのは彼らが何かに気づいて彼ら自身が何かを思わないと動いてたいかないことで、たった2年の間に何かが変わっていく様子なんて、見ること、感じることすらないと思っていました。私は私にできることを淡々とやってあとはみんなと仲良くなって楽しむという部分をクリアできればいいかなと目標は高くせず、精神的に疲れないようコントロ―ルしていたので、あきらめとは違いますが、なかなか私がいるこの偶然の2年間にそういう風が吹くなんて思ってもいませんでした。もちろん今回の動きはいろいろな条件がうまく重なり、いいかんじに動き出した、とても希少なケースです。でもそこに立ち会えただけで感謝する限りで、残りの期間できるだけ関わって行こうと思います。

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発起人となったのは、ヤンササ出身の大学生で、ふだんはキトの大学に通っているためキト在住だけど、現在は大学が長期休暇中なので、里帰りしている、マックスという青年。この彼を中心に声をかけて集まったのが15人ほどの学生たち。この中には私のステイ先のお父さんの孫(長女パティの長男イラエル)も属しており、半分家族のようなイラエルもいるし、マックスやその他のメンバーとも少し打ち解けることができたので、よかったなぁと思います。彼らとはまずサモラ川岸のポイ捨てがひどい所を重点的に1日かけて清掃活動、この日は15人ほどで行いました。

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緑のTシャツを着ているのがパティの息子のイラエル。

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市役所からマスクや手袋、ごみ袋などの必要物品の調達と適宜ごみ回収車を呼んでの回収作業を行いました。この日回収したのはなんと3トンのごみ。マックスは当初市役所の手伝いもない中で全部自分たちでなんとかできるだろと考えていたらしいけど、こういう大掛かりな清掃活動を行うならやはり行政の力は不可欠でした。そこにうまく私たちが入っていけたので、かけ橋になってくれた同僚のディエゴには感謝です。

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最近SNSで流行りだした「Basura Challenge」という活動。(Basuraはスペイン語で「ごみ」という意味。)その中で、清掃前と清掃後の写真を一緒にしてアップされる画像が話題になっており、それを真似て、私たちも環境課のFacebookページや彼らのグループのFacebookページに拡散用に作成。広報の一環です。

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そしてこの第一回のあと、みんなで話す中で、グループとして継続的な活動ができるようなスタンスがよいという意見まで出て、まずは付いたグループ名は「Eco Luciérnaga」(Ecoはもちろんエコ、Luciérnagaはスペイン語で「蛍」という意味。任地Yantzazaは現地の先住民族語で「蛍の谷」という意味の街の名前なので、蛍はYantzazaの象徴。そこから取っています。)、悪くない名前です。こういうのがひとつひとつ彼らのモチベーションにつながっていけばいいなと思います。

みんなで話す様子。オルランドも加わって。

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やはり上から言われたことだけをやる、自分が良ければ良い(これはまだまだ先進国に比べて国が経済的に貧しいからということなのか、基本的な性格か、いろいろな側面があると思うけど)などなど、そういう雰囲気が強いこの国で、こういうような自由闊達な活動が自然とわきあがるなんて、正直私は思っていなかったので、エクアドルの最南部の田舎街にも、新しい風が吹いていくかもしれません。田舎街と言っても、以前に比べたら街はどんどん大きくなっているんだろうなと感じます。人口も増えているだろうし、たくさんの物も流通している。最近のSNSやインターネットの普及で海外の動きを見たり、実際に海外に出たりそういう人も多くなってきて、これからのことは想像もできませんが、人も街もこれからもっともっとどんどん大きく成長していくのだろうなと感じます。

エクアドルのバナナとサチラ族

 エクアドルは何を隠そう、バナナの輸出量が世界一の国。輸出量が1位といえば、バラの花も世界一らしいです、エクアドルは。特にシエラの地域では、道端でバラの花を売っているのをよく見る気がします。ですが、今回はバナナについて。

私が住んでいるアマゾン気候の地域でももちろん作られているバナナが、エクアドル国内の中ではコスタと呼ばれる海岸沿いのあたたかい気候でのバナナ栽培は規模が異なり、エクアドルでもっとも栽培されている地域です。

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ついている一房一房にかけられているビニールや木が倒れないための竹の支えはすべて手作業。大変な仕事です。ちなみにこの1本のバナナの木に成る一房が収穫されたら、その木はそれでおしまい。まわりに生えている他の木がまた房をつけます。

 

そういえば日本でもスーパーでバナナを買うときに「エクアドル産」の文字を見かけたことはあったかな~と感じます。食べていたのはフィリピン産が多かったかもしれません。バナナ農場はスペイン語では「banadero」。「バナデロ」と読みます。そんな中、驚くことに日本の反対側のこのエクアドルでバナナ農園を経営されている日本人の方がいます。

その名も「田辺農園」。経営者の方は田辺正裕さんという方。通常時500人から、忙しい時期600人という総従業員数のこの田辺農園では、田辺さんを含めて経営管理で日本人が3人ほど働かれていますが、それ以外はみなエクアドル人です。エクアドル×日本外交100周年記念行事にも実行委員長として関わられていた人物で、隊員にもとても有名な方です。2年の任期中にエクアドルの隊員は一度は訪れるであろう場所です。現在は近隣に隊員がいるので、彼が中心となり、いつもボランティアの田辺農園ツアーの取りまとめをしてくれています。

 そのバナナ農園がある場所は、サントドミンゴ・ロス・ツァチラ県という県のコンコルディアという州。

地図だとこのあたり。キトの西側に位置します。「サントドミンゴ・デ・ロス・コロラドス」というあたりです。

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このあたりはキトから車で4時間ほど、また、最大の都市グアヤキルにも比較的近いため、コスタと首都の間を結ぶ道も走り、特にこのコンコルディアがある県の県都サントドミンゴは人々も車も行き交い、物のやりとりや仲介という行為が自然と発生する大きな街です。

農園が位置するのは、コンコルディアのバスターミナルから車で40分ほど走ったあたりでした。

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ほんとに立派な田辺農園のバナナ。

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手と比べるとこんなかんじ。

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日本のスーパー向けには小柄なバナナと決められているらしく、大きなものは規格外出荷はできず、すべて肥料に。

ということで可能な限りの有機栽培を行う田辺農園では、3種類の肥料を使用します。出荷できないバナナを発酵させる肥料。

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ミミズコンポストにより栄養のある土を作る手法。

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肥料を作る過程で生成される液体を集めて液肥として使うもの。説明してくれた彼は、ここ田辺農園で一からすべて学んで今やベテラン感を醸し出していました。

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エクアドルにおける労働者層「trabajadores」と呼ばれる人々。主に肉体労働をする人々です。もちろんバナナ農園においては欠かせない労働力ですが、市役所にもいます。市役所同様、通常短期契約なのが一般的なように思われますが、この田辺農園ではみんな長期契約だし、お給料は他のバナナ農園に比べて少し低めな部分もあるようだけど、福利厚生の面で満足している方が多いため、一度ここを退職してしまってもここがよかったと戻ってくる人も多いそうです。一番はお給料の振り込みが遅れないこと。給料振り込みが遅れるってどういうこと?ってかんじもしますが、エクアドルではふつうのこと。給料日はあってないようなもの。毎月市役所でも同僚はみんなこそこそとお互いに振り込まれたかを聞き合っています。
食堂もあります。しかもおいしいごはん。この日いただいたのは、通常のものより少し豪華バージョンにしてくださったとのこと。

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バナナの収穫から梱包まで。

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園内にたくさんあるレーンを通って、園内に4つある梱包作業までを行う作業場にバナナ運ばれます。

それをしっかりチェック。

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洗って房ごとに切る。

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ここで出荷用の一房にカッティング。

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しかし、上のかごに載せられたバナナは規格外で、出荷はされずすべて肥料になるバナナ。

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大きな水槽。この水槽も毎日洗うらしいです。

そして最終段階。田辺農園のシールが張られます。

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梱包。

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番号などで、どの人がどの部分で扱ったものかがわかるようにマーク。エクアドルでここまでやるのは大変だと思いますが、しっかりした品質管理が伺えます。

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田辺さんのお父さんもエクアドルで農業をされていたそうですが、バナナ事業を始めたのは田辺さん代からとのことで、まったくの素人のところからバナナ栽培を始めたらしい。

エクアドルの土はとても良いらしく、放っておいてもいろいろできてしまうため、エクアドル人はあまり土壌改良や、さらに良いものを収穫するための試行錯誤などはしないらしい。

エクアドルのバナナ農園マップを使って説明してくださる田辺さん。

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エクアドルで権力を握る卸商社の財閥問題などなど、いろいろな背景が絡み、現在は日本の企業と田辺農園さん自体が直接輸出入のやりとりを行っているそうです。

ここエクアドルから16,000キロ離れた日本に、エクアドルのおいしいバナナを届けてくれている田辺農園さん、見学させていただきありがとうございました。

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とってもすてきな風景ですが、暑い太陽とバナナの下で毎日働くたくさんのエクアドル人と数人の日本人のとてつもない努力により、エクアドルの裏側の日本まで届けられるバナナ。バナナに限ったことではないけど、普段は目に見えない部分への感謝の気持ちを忘れない人間になろうと、改めて勉強になりました。

バナナ農園の真ん中で、今回訪れたみんなと。

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そしてこのサントドミンゴ周辺には「サチラ族」という先住民族が生活しています。

こんなかんじ。サチラ族の男性は髪の毛を中心部分でまとめ、その部分を植物を使って赤く染色しているのが何よりの特徴。

f:id:reikomiyahara:20190325063023j:plainこれが髪の毛を赤く染めるために使用する植物。

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私たちにも体験させてくれます。

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市の中心からわずか車で20分ほど奥に入ったあたり。今回見させてもらったのは、2時間ほどで彼らが住む周辺の木々や植物をどのように日常生活に利用しているか、彼らの服装、彼らの住居や人が亡くなったときの習慣などを旅行客向けに説明して回る、わかりやすく構成されているものでした。とてもおもしろかったです。

男性用の服。

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女性用の服。

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音楽と踊りはやっぱり大切。f:id:reikomiyahara:20190325070719j:plain

お清めに使う儀式のセット。

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やり投げ的なあそびを使っての娯楽。

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お料理するとき。甘くないバナナをすりつぶして、ごはんに添えます。

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家族が亡くなった時の棺。棺にくくられる紐がちぎれると(通常2~3週間ほどとのこと)、死者の魂は成仏したことになるらしい。たまにちぎれないこともあるらしい。

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このツアーにもバナナ農場の見学とセットで来たかったものだったので、今回、訪れることができてよかったです。

サントドミンゴの街をみんなで散策。

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大きな街だけに高台からの夜景もとってもきれい。

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そしてそして、2017年度1次隊の現職参加組5人の同期が帰国しました。無事に日本に着いたとのこと、ほんとに何よりです。改めて1年9か月おつかれさま。一緒に彼らとエクアドルに来られて切磋琢磨することができました。世界中でもどんどん現職参加組の帰国報告が始まっています。

今回の最終報告会は、なんだか自分が3か月後このような報告をすることができるのかという不安ばかりが募る報告会傍聴となりました。

そんな中うれしい出来事も。キトから帰ってくると、活動の件で進んでいないと思っていたことが意外に進んでいたりして、私がいない間にもカウンターパートのオルランドや同僚が手伝ってくれているのをすごく感じました。同僚のディエゴも新しいアイディアをどんどん出してくれています。彼から学ぶこともたくさん。形になるかはわからないけれど、まずはやってみるのみ、です。

そして今日、3月24日はエクアドル全国統一地方選挙の日。これからの5年間、各自治体を統括する体制の礎となる人物が決まります。キトから帰ってきて、最後の追い上げイベントにも拍車がかかり、それぞれの集会所から近い私の部屋は夜遅くまで、音楽と演説が響き渡っていました。おかげで安眠できず寝不足。いま現在、開票結果速報がラジオから流れています。そんなこんなで果たして選挙の結果はいかに…。

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エクアドル2017年度1次隊同期、現職組の帰国報告会後の集合写真。3か月後、私たちも追いかけます。それまで残りの活動がんばるぞ。

 

カルナバル2019終了。

今年も無事に2019年のカルナバルが終わりました。

ヤンササのいつものカルナバル会場「Playas de Chicaña」。このように川の近くなので、川に入ってバシャバシャできるし、水も汲み放題。

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今年は3月4日5日の月曜火曜がカルナバル。その前の土日からエクアドル全土でカルナバルのお祝いは始まっていて、合計で4日間のプログラムを組んでいるところがほとんど。私の任地も。今年の私は結局昨年同様4日間とも任地で過ごすことに。

初日はステイ先の長女パティのお家で旦那さん方の親族も集まってのカルナバルお祝い。豚肉を料理して、おいしいお昼ごはんのごちそう。

「Frittada」(フリッターダ)という豚肉の料理。味は日本人向け、少し生姜焼きに近い味もします。

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家族でのお祭り。家で騒ぐ。

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私はこの日騒ぎすぎたので2日目は家でゆっくりしました。

そしてカルナバル3日目にはステイ先次女クマの義理のお母さんたちが持っている田舎のおうちでお昼ごはんをみんなで作ってのんびり。

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そして最終日、任地のカルナバルに参戦というかんじでした。最終日、任地には有名なアーティストが来る野外ライブがあり、昨年以上の人の多さ。私たちは回避しましたが、あとから来た他の家族たちは、カルナバル会場に着く手前から車が渋滞していて家から車でふつうなら15分の会場に着くまで、この渋滞に巻き込まれた人たちは途中で車を降りて2時間かけて到着したとか。

もちろん私はカメラやケータイは置いて行ったので、今年も市役所のHPからの写真で少しでもイメージが伝われば。

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前のほうは人でひしめき合っていますが、少しうしろのほうに行けば、みんな来ている人たちのグループで輪になって、踊ったり、水を掛け合ったりしています。

まぁ予想通りのずぶ濡れ、泥まみれでしたが、これも予想通りのたのしさ。私も知り合いに会うと遠慮なく水をバシャバシャ掛けられたり、はんと今年は泥に突き落とされたりしたけど、それでもやっぱりエクアドルのカルナバルは私は良いと思います。「無礼講」という言葉がふさわしい行事。

他の街では水以外にも、小麦粉や卵も掛け合うようだけど、私の任地では暖かい気候も合わさって、水が一番多いです。エコ。

この日の帰りはみんな帰り道にステイ先の家族やその友達に会い、お迎えが来るまで甥っ子のひとりにあたるフアン・ディエゴと寒い中肩を組んで待ったのも良い思い出。

そしてお祭り後私たちを待っているのがお掃除。カルナバル後は予想どおりの惨状でした。1日では終わらず、2日かかってしまった。私も筋肉痛に耐えながらの清掃。川辺なので、日本の潮干狩りのように掘り起こさないとごみが収集できないのが難点。めちゃくちゃ疲れる。

着いたとき。まさに惨状過ぎて、たたずむしかなかった。

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1日半、みんなでがんばってなんとかここまできれいに。

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カルナバルのあとはもうしょうがないです。年に一度何もかも忘れてみんなでたのしんでベロベロに酔っぱらう、まさにパーリーピーポーになる。そんな中、きれいにして帰ってねと言う方がむずかしい。日本でもハロウィンのあとはごみで渋谷は汚いらしいし。汚すだけ汚してもいいけど、そのあと、どうするかをみんなでもっと考えていってほしいと思います。きれいにする仕事は市役所の廃棄物管理課の仕事だけではなくて、みんなの責任でもある。ハロウィン後の日本は、すぐにごみを拾い出す人が出てくれるけど、ここではみんな知らんぷり。ニュースにもなりません。ケチな同僚2人は掃除しながらも、お金が落ちていないか探すのに必死でした。

結局このカルナバル後の掃除の話も、もっと前から計画が必要です。はじめオルランドに確認したら、この大掃除を管轄するのは市役所の企画部の仕事だと言われたので(いつもの掃除関連はうちの部署だけど、カルナバルという大きな行事だから?カルナバル自体を企画する他の部署の仕事ということになっている?ここも意味不明。たぶん仕事の押し付け合いな気がします。)、直接企画部に確認しに行ったら、「???ちょっと今確認するね」と、市長調整局みたいな部に確認することになって、私が「確認よろしく」と終えた後、少し出かけて戻ったら、結局オルランドが部署で私に「カルナバル翌日はみんなで大掃除だから」と言ってきた件。おそらく市長調整局の担当者から改めてうちの部署=オルランドに掃除をお願いという連絡が来たのでしょう。私がそもそもオルランドに質問さえしていなかったらこの確認の流れさえなかったのでは…と少し怖くなります。なんでそのままにしておくのかということを平気でそのままにする。そのままにしておくことで結局自分たちが困りそうなことも平気でそのままにしておくからびっくりします。結局こんな調子でカルナバル前々日に掃除が決まり、他の部署からの応援もほぼない中、迎えた大掃除でした。途中から他の部署から少し応援をもらって、みんなでがんばりました。

3月8日は「el día de la mujer」。世界的な「女性の日」です。

去年はじめてのお祝いに続き、私にとっては今年2回目。エクアドル人にとってはふつうのこと。1年目は全てが新鮮だったので、こんな風にお祝いされるのもありだな、と思っていたけど、やはり27年間祝ってこなかったお祝いがすべて自分に適用するわけではないらしく、今となってはこれはこれですてきな習慣だとは思うけど、私にとっては馴染まない行事のようです。なんで女性だけが祝われるのかわからない気もする。これはあくまでも私だけの見解ですが。

市役所でのお祝い。ほんとにこういう大好きだね、エクアドル人。

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最前列にいるのは、この前ヤンササのお祭りで選ばれたレイナ(ミス)たちです。

彼女たちが最後にお花をみんなに渡してくれました。

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景品大会があって、当たりたくないと思っていたら、当たった…。まさか。一応頂きました。そして今年のミスヤンササに渡してもらいました。同僚が撮ってくれた写真。

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夜はステイ先のお姉ちゃんとそのお友達とbaile(踊り)に出かけて、彼女たちとたのしみました。

あ、そうそう、それから任地でピアノの先生始めました。たまたま私がある場所でピアノを弾いていたのを知り合いが見ていて、彼の娘に教えてほしいとのことで承諾。少しでも何か彼女に残れば、ピアノの楽しさをもっと感じてもらえたらいいなぁと思いながらやっていきます。

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今日は「3月11日」。東北の震災から8年が経ちました。

今日は学校で残りのクラスがあったのですが、最後少し時間が余ったので、ちょうど前に作っていたパワポを使って、東日本大震災の紹介もしました。f:id:reikomiyahara:20190312063356j:plain

ということでカルナバルが終わり、あとは任地でゆっくり過ごしながら、残っている活動を進められるだけ進められたらいいなぁ、というかんじの残り4か月になりそうです。もちろん合間を縫って、いろいろ国内も回れたらと思います。

来週はいよいよ同期のお見送り。「うん?同期なのにお見送り?」と思うかもしれませんが、そうです、同期のお見送り。

私たち2017年度1次隊は私を含めて9人。そのうち現職参加という制度を利用している隊員が5人。エクアドルの同期の現職参加隊員はみんな先生です。幼稚園から小学校、中学校、特別支援学校などさまざまな先生たち。働いていた場所も日本の北は北海道から九州までさまざま。彼らは帰国後、元のそれぞれの職場に戻って、日本の学校の新年度にあわせてお仕事が再開することになります。しかも約2年のエクアドルでの働き方から、日本の先生という元の激務に1週間もせずに戻ります。時差ボケとか言ってられないです。そんな5人の同期隊員現職組が無事に1年9か月のエクアドル生活を終えようとしています。彼らのお見送りをしに行くのに合わせて、少し他のまた知らないところを見て、帰ってくる予定です。

ということで次回はそんな同期の最終報告の様子や、その際に訪れたところについて書きます。

今日の任地。

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お祭り週間

2月22日早朝5時半頃、エクアドルで少し大きめの地震がありました。

マグニチュード7くらい。2回は任地を含むオリエンテ地方を震源とするもの、3回目はグアヤキルの沿岸部を震源とするもの。

オリエンテ地方を震源とするものも、任地からは少し離れた都市ではあるものの、それでも揺れは長くおさまると思っても大きくなっていく地震でした。みんなで外に家の外に出て、様子を見る。となりの家もみんな。わりとみんな裸足だったり、サンダルで外に飛び出していたけど、私はちゃんと靴を履いて。こういうのを見ると、地震大国の日本での防災教育の成果も出ているのかもしれません。同僚にも逃げる時は絶対靴履いてねと勧めておきました。

任地をはじめ、国内でも大きな被害はなく、その後特に余震もないです。びっくりした出来事。

ちょうどこの地震があった2日前からヤンササではお祭りが始まっていて、なんだか地震とともにお祭りも始まった、そんなかんじでした。

このお祭りは任地ヤンササがひとつの州にまとまったことを記念するお祭り。2月26日が記念日。ちなみに州は県の次に大きい行政区分です。

スペイン語では「Cantonización」という風に表します。

なので私の任地は簡単に言うと通常「サモラ・チンチペ県ヤンササ市」なのですが、正確には県の次に州(Cantón、読み方はカントン)が入り、サモラ・チンチペ県ヤンササ州ヤンササ市となります。私の配属先である市役所やステイ先の家、いつも行く学校はヤンササ州ヤンササ市にありますが、その他の2つの自治区がまわりにあるのでそれを含めてヤンササ州となります。

今年はヤンササ州38年目。となりの州に比べると5年ほど先輩になるけど、それでもまだまだ若いヤンササです。

このお祭り期間は1週間ほど続きますが、まぁだいたいのプログラムはすべて市役所が管轄しているので、市役所内はバタバタ、みんなお祭りに向けて忙しそうにしながら過ごしていました。

22日から大使館の方が視察に来てくれて、それと合わせて何人かボランティアも集合し、週末は任地を案内しながら日本人で過ごしました。そして3週間後に帰国する現職同期のおつかれさま会も一緒に。ケーキを作りました。

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お祭りの一環のミスコン。今年のミスヤンササが決定。エクアドル人はミスコン大好き。現地では「reina」(レイナ)と呼びます。

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メスティーソ(白人とインディヘナの混血)、インディヘナ(任地にいる山岳インディヘナ「サラグロ」とアマゾンインディヘナ「シュアル」からそれぞれ候補者が選出されている。

25日にはこれまたお祭りの一環で市場の出展があり、ここで私は任地ではじめて日本文化紹介をすることにしていました。エクアドル人との協働はほんとに当日になってこれまで言っていたことと違うことをしてくるので、訳がわからなくなることが多いのですが、それも想定内。同僚にも手伝ってもらい、途中でステイ先のDavid(日本大好き、私の甥っ子)の応援もあり、無事に終了しました。私もとてもたのしかった。こういう機会をもう少しまた持てたらうれしいです。

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出展後はとなりでダンスのコンテストが始まる。

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そして迎えた26日当日。

この日は恒例の「行進」があります。スペイン語では「desfire」。

それぞれの組織ごとにみんなで街を練り歩くやつ。エクアドル人はこれが大好き。それぞれ団体ごとに制服や決まった服装があるので、みんなそれを着ます。

先頭はこの前決まったミスヤンササや市長、市役所の要人などなど。

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そしてそのうしろが私も参加する市役所のグループ。市役所の女性陣も雇用形態によって制服を持っている人と、そうではない人がいます。私はもちろん制服なし。同僚何人かに浴衣参加をオススメされたので着ようか迷ったけど、直前にステイ先の家族と相談して、ふつうのワンピースで出ました。周囲には市役所に日本からコラボしに来ている人がいるということを示す機会にもなるよと言われたけど、今回はヤンササのお祭りなので、日本文化をこの行進の中で押し出す必要はないかなと私自身も考え、浴衣はなしにしました。またどこかの機会で。

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生徒たちもそれぞれの出し物をしながら。

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これはサラグロ族のインディヘナ民族の子たち。かわいい。

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こっちはアマゾンのインディヘナ民族シュワルのみなさん。

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ロハからも参加している方々。

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これまでお祭りのプログラムはいろいろと遅れて始まるものがほとんどだったので、遅れるだろうなと予想し、少しゆっくり家を出ました。同僚のディエゴと待ち合わせして、そうしたら意外にもすでに始まっており、途中ですれ違う市役所の同僚に「遅れてるぞ!」と言われながらも途中から行進にそっと入りました。他の部署の同僚が「ここに入りな!」と声をかけてきてくれて、ありがたかったです。

そしてみんなと一緒に一応私も行進。行進が終わり、教会前の中央公園を少しぶらぶらし、家に戻って、まだまだ続く行進を家の前で家族と鑑賞。そして最後はミリタリー。軍隊の登場。シェパードなどの犬も引き連れ、最後にその軍隊のパレードを見て、終了。

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プログラムには無料の市民全員に向けた炊き出しが行われたのですが、昨年の、待っても待っても炊き出しが始まらず、やっと始まったと思っても、長蛇の列で待ちくたびれ、結局何ももらわずに家に帰った記憶から、今年はさくっと帰宅し家で家族と過ごしました。そして午後はステイ先の家族のひとり、4番目のお姉ちゃん(Cuma)と私が作りたかったケーキ作りをして、わりとゆっくり。

私は今年は見には行きませんでしたが、夜にはお祭りのファイナルということで、中央公園にはアーティストが来て、ライブ。そして踊り。中央公園に近い私の家まで深夜2時くらいまで音楽がガンガンかかっていました。

翌日の公園周りはごみですごいことになっているだろうな、と思っていました。日本もお祭り後もまぁそうなのかな。ハロウィンとか。でもそれでも自分がこうして廃棄物関連の仕事に関わると、ほんとに「あぁ…」と感じました。

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ということで、今年は私も掃き掃除に参加。ほぼ午前中いっぱいを使って、私を入れて、街の掃き掃除担当の同僚たちと5人で。途中でごみ回収車の応援もあったりしながら、なんとか終了。掃き掃除担当の同僚はとても感謝してくれて、それだけで参加してよかったかなと思います。こっちではふつうはオフィスで仕事をする人はこういう肉体労働の仕事にはほぼ参加しません。

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同僚のディエゴがこのごみの状況を見て作ってくれた画像(著作権無視)。エクアドルではスマホSNSはけっこう隅々まで浸透していて、それこそ生活的、経済的に豊かではないと思われる人でもみんなスマホは持っています。それを使って拡散しようとディエゴががんばって作っていました。

そして市長選挙戦も盛り上がっています。きのうはそれぞれの候補者が一同に集まり、それぞれの政策を述べるという討論会、ディベートが行われていました。スペイン語では「debate」。

それを地元のケーブルテレビが生放送していましたが、こちらもSNS利用。そのテレビ局はFacebookを使っても放送していました。私の家にはそのケーブルテレビ局のチャンネルが入らないので、Facebookを使って見ることに。そしてなぜか私のスマホで家族で討論会視聴。私も興味はあったけど一人だったら見てなかったと思うので、彼らと一緒に視聴する機会になって、よかった。果たして市長のポストは誰の手に。投票日は3月24日。

 

ひさしぶりの学校。お祭りモードと試験、試験休みが重なり、約1ヵ月ぶり。

 

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そして今年もやってきたフルーツ「ヤラソ」の季節。私の大好きなフルーツのひとつ。

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ステイ先のお兄ちゃんの誕生日。無事にケーキに顔を突っ込みました。初めて顔を押す係。

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家の猫。最近は私がごはんをあげるので、私の部屋の近くで寝る。

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さてさて今度はいよいよカルナバルが始まります。今年はどんなカルナバルになるのかな~。

売り子さん

エクアドルのバスの中。ターミナルや大きめのバス停に泊まると必ずやってくる売り子の人たち。

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いきなり乗ってきてペラペラ喋って、挨拶して、いきなりチョコや飴の小さい袋を一人一人手渡ししてきます。はじめて乗った時は手に取ったらマストで買わなきゃいけなくなるのかとビクビクし、でもだいたいのエクアドル人がまずは受けっているのでたぶん大丈夫かなと、おそるおそる受け取った記憶があります。渡されるときに、売り子の人は「買わなくて大丈夫だよ~」みたいなことを言っていたのですが、最初はそれすらも聞き取れていなかったので、ほんとにおそるおそる受け取ったのを覚えています。そして渡した後にもまた少しペラペラ喋る。ここでの喋りはお菓子の広告や、これからのバスの旅のお供に必要だよと、売り文句を調子よく喋り、また一人一人回収もしくはお会計。喋りの中にはもちろん広報だけの人、ただ仕事としてやっていて、お水やアイス、軽食やフルーツなどを売ってる人、キーホルダーのようなお土産類を売る人、特産物を作って売りに来る人、中にはほんとに貧しいからという理由、安定した仕事がない、コロンビアなどの近隣諸国から来て仕事がないけどお金が必要だとか、家族が重い病気で…とかそういう状況を述べる人(どこまで本当かわからないけど。)、障がい者でここでの収入を生計にしている人などもいます。だいたい売るものは50セントから1ドルほどのもの。中にはさらなるまとめ買いを売り出し文句にしている人もいますが、通常はだいたい1ドルまで。

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日本だったらなかなか買わないんじゃないかなとか思うけど、ここでは見てるとけっこうみんな買ったりしています。キリスト教の関係からか、やはりみんなこういうところは慈愛の精神が強く、貧しい環境の人や貧しいけど家族が重い病気で治療費が必要みたいな場合はいつもより買う人も多く、そういう気持ちを込めて買ったりもしているのか、あとはみんなお金ないない言う割には「財布のひもを締める」ということはしないので、少し欲しいと思ったらすぐ買ってるという基本的なエクアドル人の性格も見られます。

バスの中にいきなりガンガン入ってきて、スペイン語でワーワー喋って、いきなり手渡し、そしてそそくさと回収し去っていく、この光景は日本では絶対に見れません。

まだエクアドルに慣れないころ、特に任地着任前のクエンカでの語学学校滞在中の1ヵ月間はなかなかエクアドルのすべてのことに慣れるのに疲れていて、そんな中初めて乗った長距離バスでこの売り子文化を目の当たりにしたとき、何も聞き取れないスペイン語でワーワー喋ってきて、いきなり問答無用で渡してきて、さらにどっと疲れが増した、というかほんとにこの国でやっていけるのかと不安になった思い出があります。

これまで私は、ほんとうにお腹が空いて死にそうだったときと、中学生くらいの男の子が学校に行かずに働いていると言って売りに来てくれて、その子の喋りは静かで丁寧で聞きやすかったので買おうかなと思い買ったケースなど、何回か買ったことがあります。

あとは私は買わなかったけど、前にクエンヵに行ったときにそこから出るバスで一度、ほんとうに芸人のように喋りだけでガンガン笑いを取り、乗客と会話するように話しながらやっている人がいて、「こういう人もいるんだな~」と感心したことがあります。やはりその人の売り上げは多く、多くの乗客が買っていたように思います。後にも先にもここまでこの売り子さんが短時間、数分の中でバスの中の空気を作って彼のテンポに乗客を持ち込んで、そしてちゃんとそれが売り高につながっているんだろうなと感じれたのは、今のところこの人だけです。きっとその人もそういうのが好きなんだろうとも思いますが。

今は通常の売り子さんからで、手にするのもめんどくさいときとかは、いらないよって初めから断ったりもしています。断ると無理に渡してきたりはしないのでそこはありがたい。

どんなことも仕事になると、そういうのが感じられる光景。

見てるとほんとにおもしろい習慣がたくさんある。日本では絶対にできない、絶対に馴染まない、いろいろな習慣が。

 

ここ最近はほんとに雨ばっかりで、任地のまわりでは土砂崩れのニュースが多いです。ロハサモラ間が通行止めになったりもしています。先週ロハに出るときにCPの車に乗せてもらいロハに出たときはいつも通る幹線道路がバス以外は通行止め、代わりに主に以前使われていた古い道を通ることになり、プラスで時間もかかり、道もガタガタの山道のところを2時間ほど走りました。帰りに任地に戻るときはバスだったのでふつうの道を通りましたが、崖崩れを修復する作業が行われていて、そのとなりを止まりながら通るのも少しハラハラしました。

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いつもより増水中。

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また、任地では先々週、土砂崩れにより山沿いに建っていた家が飲み込まれてしまい、家の中にいた男の子が亡くなってしまったという悲しいニュースもありました。市役所から歩いて行ける近い場所、同僚とも訪問したことがある一帯。衝撃的なニュースでした。

 

今月は学校はテスト週間。そのあとは1週間ほど子どもたちはお休み。そして地域のお祭り、カルナバルがやってきます。ということで先週と今週はやろうと思っていた授業も少し延期になったり、いろいろ予定が変わる、無くなるということが多かった。まぁもともとこちらでは、予定は「未定」です。

他にはうまくいけば、3月末くらいから少し動きだしそうな計画をオルランドと立てたり、同僚に手伝ってもらい、その話を関係者にしに行ってみたり。どうなるかわからないので期待はせずに、でも少しでも形になればいいなと思います。

先週末にはZaruma(サルマ)という街に行きました。ここはロハ県のとなり、エル オロ県というところです。El oroと書いて、「エル オロ」と読み、意味は「金」という意味。

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この名前から由来しているように、この県にある今回いったサルマという街も以前は金採掘がすごく盛んな街だったそうです。やはり少し経済的に潤っているかんじもしました。海側の街にも少し近いので、そちらのほうへ抜ける人たち、そちらから来る人達でにぎわう、そんな雰囲気がしました。気候はコスタ気候なので、日差しも強く暑かったです。コスタ方面へのアクセスはまぁまぁありそうでしたが、ロハから来るバスの本数は少なく、行って帰ってのトンボ帰りになってしまったけど、おもしろかったです。サルマに行くためには、ポルトベロ(Potrovero)という街まで行き、そこからタクシーで15分ほど。

ここが経由地点のポルトベロ。

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今回のバス。

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そしてサルマに到着。

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サルマの教会。

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これまで行った金が採掘される街はだいたい山の斜面に街が広がっている、そんなイメージ。坂の街並みがきれい。

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ロハから4時間ほど。でも道はガタガタのデスロードでしたが、無事に行って帰ってこられてよかった。

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経由地ポルトベロに行くまでに止まった小さな集落。ここもまだロハ県カタマヨ市の一部。

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こちらは良い天気でバスからの景色はきれいでした。

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カタマヨ市に住む同期。彼女とは一番任地が近い同期メンバーとして、いつもたくさん助けてもらい、たくさん一緒にエクアドルのいろいろなところへ出掛けました。そんな彼女は現職でのボランティア参加ということで同期として同じ訓練を受け、同じ日に日本を出発しましたが、私より4か月早い来月帰国し、すぐに元の職場で働きます。あと1ヵ月ほど、任地こそ異なりますが、もう少し一緒にエクアドル南部生活を共にします。

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帰りに彼女の任地カタマヨで飲んだ「agua de coco」(ココナッツの実の中のジュース)。通称「Pipa」。甘くなく、すっきりする味。この実を街のお店で冷やしてくれていて、それを買って飲むというスタイル。

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街の小さなお店には防犯でこういう檻がついているお店も南米には多い。好きに中を見られないし、本当に欲しいものを手に取って見てゆっくり考えることができないのでたまに不自由。でもふつうに出入りできるお店もあります。

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今週末は任地のお祭りにあわせて、日本人が何人か任地に集まってくれそうな予感です。たのしみ。